大石内蔵助良雄 おおいしくらのすけよしお(よしたか) 国家老、1500石(譜代)。討ち入りの指導者。享年45。
大石主税良金 おおいしちからよしかね 部屋住み。大石良雄の長男。討ち入りのときは裏門の大将をつとめる。
最年少の同志。享年16。
原惣右衛門元辰 はらそうえもんもととき 足軽頭、300石(新参)。早くから江戸の急進派に同調していた。享年56。
片岡源五右衛門高房かたおかげんごえもんたかふさ
側用人・児小姓頭、350石(譜代)。忠臣蔵では浅野長矩切腹の際に最後の対面をした。
仇討ちを強硬に主張し独自の行動をとっていた。享年37。
堀部弥兵衛金丸 ほりべやへえかなまる(あきざね) 前江戸留守居、前300石、隠居料20石(譜代)。同志のうち最年長者。享年77。
堀部安兵衛武庸 ほりべやすべえたけつね 馬廻、200石。越後国新発田藩出身、旧姓中山。
父の代に新発田藩を放逐となり浪人していたが、高田馬場の決闘での活躍により、堀部金丸の婿養子となり、
赤穂浅野家の家臣となる。仇討ち急進派の中心人物。
討ち入りでは大太刀を持って大いに奮戦したと伝わる。享年34。
吉田忠左衛門兼亮よしだちゅうざえもんかねすけ
足軽頭・郡奉行、200石役料50石(譜代)。
浪士の中では大石内蔵助に次ぐ人物として、これを補佐した。享年64。
吉田沢右衛門兼貞よしださわえもんかねさだ
部屋住み。蔵奉行吉田兼亮の長男。享年29。
近松勘六行重 ちかまつかんろくゆきしげ 馬廻、250石(譜代)。討ち入りの際に負傷する。享年34。
間瀬久太夫正明 ませきゅうだゆうまさあき 大目付、200石役料50石(二代)。享年63。
間瀬孫九郎正辰 ませまごくろうまさとき 部屋住み。間瀬正明の長男。享年23。
赤埴源蔵重賢あかばねげんぞうしげかた 馬廻、200石(譜代)。忠臣蔵では「徳利の別れ」で有名。享年35。
潮田又之丞高教うしおだまたのじょうたかのり 郡奉行、絵図奉行、200石(譜代)。享年35。
富森助右衛門正因 とみのもりすけえもんまさより 馬廻・使番、200石(二代)。享年34。
不破数右衛門正種
ふわかずえもんまさたね
元馬廻・浜奉行、元100石(譜代)。浪人していたが懇願して義盟に加わる。
討ち入りでは最もめざましい働きをしたと伝わる。享年34。
岡野金右衛門包秀
おかのきんえもんかねひで
部屋住み。美男で忠臣蔵の物語では大工の娘を通じて吉良屋敷の図面を手に入れている。享年24。
小野寺十内秀和 おのでらじゅうないひでかず 京都留守居番、150石役料70石(譜代)。享年61。
小野寺幸右衛門秀富 おのでらこうえもんひでとみ 部屋住み。小野寺秀和の養子。享年28。
木村岡右衛門貞行 きむらおかえもんさだゆき 馬廻・絵図奉行、150石(譜代)。享年46。
奥田孫太夫重盛おくだまごだゆうしげもり
武具奉行・江戸定府、150石(新参)。
仇討ち急進派の中心人物。享年57。
奥田貞右衛門行高おくださだえもんゆきたか
部屋住み。奥田重盛の養子。
近松勘六の異母弟。享年26。
早水藤左衛門満尭はやみとうざえもんみつたか 馬廻、150石(二代)。刃傷事件の第一報を江戸から赤穂へ伝える。享年40。
矢田五郎右衛門助武やだごろうえもんすけたけ 馬廻・江戸定府、150石(二代)。享年29。
大石瀬左衛門信清 おおいしせざえもんのぶきよ 馬廻、150石(譜代)。享年27。
礒貝十郎左衛門正久いそがいじゅうろうざえもんまさひさ 物頭・側用人、150石(新参)。享年25。
間 喜兵衛光延 はざまきへえみつのぶ 勝手方吟味役、100石(二代)。享年69。
間 十次郎光興
はざまじゅうじろうみつおき 部屋住み。間光延の長男。
吉良上野介に一番槍をつけ、その首級をあげた。享年26。
間 新六郎光風
はざましんろくろうみつかぜ 間光延の次男。
養子に出されたが養父と折り合いが悪く江戸に出て浪人になっていた。願い出て義盟に加えられた。享年24。
中村勘助正辰なかむらかんすけまさとし 書物役、100石(譜代)。享年46。
千馬三郎兵衛光忠せんば(ちば)さぶろべえみつただ 馬廻、100石(二代)。享年51。
菅谷半之丞政利すがやはんのじょうまさとし 馬廻・郡代、100石(譜代)。享年44。
村松喜兵衛秀直むらまつきへえひでなお
扶持奉行・江戸定府、20石5人扶持(二代)。享年62。
村松三太夫高直むらまつさんだゆうたかなお
部屋住み。村松秀直の長男。享年27。
倉橋伝助武幸くらはしでんすけたけゆき 扶持奉行・中小姓、20石5人扶持(二代)。享年34。
岡嶋八十右衛門常樹 おかじまやそえもんつねしげ 札座勘定奉行、20石5人扶持(二代)。原惣右衛門の弟。享年38。
大高源五忠雄 おおたかげんごただお(ただたけ)
金奉行・膳番元方・腰物方、20石5人扶持。小野寺秀富の兄。吉良家出入りの茶人に接近して
12月14日の吉良屋敷で茶会があることを聞きつけた。
俳諧をよくして俳人宝井其角と交流があり、これをもととして「松浦の太鼓」の外伝が作られた。享年32。
矢頭右衛門七教兼 やとう(やこうべ)えもしちのりかね 部屋住み(譜代)。
父長助ともに義盟に加わったが仇討ち決行前に父は病死した。享年18。
勝田新左衛門武尭 かつたしんざえもんたけたか 札座横目、15石3人扶持(譜代)。享年24。
武林唯七隆重 たけばやしただしちたかしげ 馬廻、15両3人扶持(二代)。吉良義央の養子吉良義周と切り結び負傷させ、炭小屋に隠れていた吉良義央を討ち取った。享年32。
前原伊助宗房まえばらいすけむねふさ 金奉行・中小姓、10石3人扶持(二代)。江戸で呉服屋を開き吉良屋敷を探索した。享年40。
貝賀弥左衛門友信 かいがやざえもんとものぶ 中小姓・蔵奉行、10両3人扶持(新参)。吉田兼亮の弟。享年54。
杉野十平次次房すぎのじゅうへいじつぎふさ 札座横目、8両3人扶持(二代)。享年28。
神崎与五郎則休かんざきよごろうのりやす 徒目付、5両3人扶持(新参)。享年38。
三村次郎左衛門包常 みむらじろうざえもんかねつね 台所奉行・酒奉行、7石2人扶持(二代)。享年37。
横川勘平宗利 よこかわかんべいむねとし 徒目付、5両3人扶持(新参)。12月14日に吉良屋敷で茶会があることを調べる。享年37。
茅野和助常成かやのわすけつねなり 横目付、5両3人扶持(新参)。享年37。
寺坂吉右衛門信行てらさかきちえもんのぶゆき
吉田兼亮の足軽、3両2分2人扶持。足軽では唯一の参加者。討ち入り後に一行から立ち退いている。討ち入り時は38歳。
事件後に幾つかの家に仕えた後、江戸で没。享年83。
該当キャラ無しの浪士たち
大石内蔵助良雄、大石主税良金、大石瀬左衛門信清
堀部弥兵衛金丸、堀部安兵衛武庸
近松勘六行重
間瀬久太夫正明
富森助右衛門正因
小野寺十内秀和、小野寺幸右衛門秀富
大高源五忠雄
矢頭右衛門七教兼
勝田新左衛門武尭
貝賀弥左衛門友信
横川勘平宗利