『 I_Dress、私は飛翔する 』


その一言で仮想飛行士たちは情報の宇宙へと飛び出していく。情報だけが世界をつくり、情報だけが世界を変える情報の世界・アイドレス。

データが意識に吸着される。パターンA-1、タイプM。座標、06-011。白色の波導が情報子の海を渡って頭上に集まる。続いて黒い波導。Blue,blue,blue.余りにもそれは青すぎて黒い、千夜の黒であった。最後に内側から染み出るようにして凝結したのは、濃い、肌の色。下唇の開いた笑いが形作られた顔に浮かび上がる。

そこにいたのは、熱砂に立つ黒衣の男。

開いた腹と長く伸びた灰色の髪を熱射にさらし、細い革をしっかりとつま先まで覆うように組んだサンダルに素足を通し、つば広の帽子を目深にかぶった、諸国の中でもひときわ異国風とされる国にあってなお異国の匂いをさせる、エキゾチックな男であった。

異国と異国の狭間にあるような。皮肉と怠惰の狭間にあるような。笑顔と上辺の狭間にあるような。そんな服装で、表情で、態度の男だった。


 * * *


さくさくと不自然なことなど何事もなかったかのように足が砂を踏み分けていく。15×3kmと規定された空間で、ふと目を向ければちょうど遠すぎも近すぎもしない距離に街がある。男はそれを見て思った。

この国は、貧しい。

その土壌の砂ゆえだろうか。それともきつい海風のせいか、それらの噛み合わさったがゆえのことか。否。

この国は、貧しい。

世界の貧困さゆえか。それともそれに抗わなかったのか、それらの噛み合わさったがゆえのことなのか。否。

ここに言葉は満ち、視覚は満ち、至るまでの道もまた常より大きく開かれている。情報は世界に満ちている。
愛ゆえである。愛が守り与えるものであるならば、それを成さんとするがために、常にその情報は外へと流れ続けているのだ。

蜃気楼を突き抜け、オアシスを横切り、男の足は市街の石畳を確かに踏んだ。街には賑わいが溢れ、賑わいが溢れているという情報に溢れている。雑踏は聞こえるが足音は聞こえない。今、ここにいるフィクショノートは彼だけのようだ。

乾いた空気に見渡す世界。乾いた空気という情報に満たされた世界。一つ、つながって、けれども閉ざされている、不思議な世界。地図のデータが彼の手元に呼び出された。それは羊皮紙の形を取って現れれる。

ふと、皮肉げに笑う。

さすがにそんな時代ではない、サイボーグが銃を取り、一人一人を州と見做しまたそれぞれに州法を認める、かつて見たことのないほどの民主的な連邦制がここにはある。何、印刷された味気ない紙よりは、時代考証が間違っていても雰囲気が出ていたほうがいいだろう。

左手に羊皮紙の地図を、右手には白い無機質な合成紙の挟まった簡易なバインダーを手にして、辺りに漂う情報を逐一チェックしては、何かの数値を書き取っていく。数字は紙面の上でほどけて踊り、自ら波打つような一つの地図を形成した。

男は文族であった。それは文字を操るものである。男は高等な数学はわからないが、文字の中でならば数字を泳がせることは出来た。数字という名の文字を操り数学的に情報を振る舞わせて見せることは、出来たのだ。


 「……まずはやはり、燃料か」


市場で手にするそれと冒険で手に入れられるそれとの価格は比較にならないほどの差がある。男はこの国の窮乏を憂えていた。この国で成したいことはまだ何もなかったが、この国にいることは好きだった。だから、彼は調べていた。この世界における冒険の可能性と、その組み合わせ方を。その足で、巡り歩きながら。

海がある。温泉が探せるらしい。得られる資源と娯楽は大きな助けとなるだろう。それを探すための力となるために必要な燃料も、同じところで探すことが出来るようだ。海に囲まれた島国では、海の恵みを活かすのが一番ということか。

さっきまでいた砂漠で黄金を探すのもいいが、それは一番後回しだ。今は何より物がない。それと引き換えるためのお金はあるが、貿易に頼り切っていては支援金の返済もままなるまい。お金は、使って、手に入れたものと引き換えに、最後に前より膨らませられればそれでいい。最初は焦らなくても。いいはずだ。

なぜ燃料が出てくるかはわからないが、学校や塔を探検するのもありだろう。学問の盛んなこの国には大学が幾つもあるし、塔なら諸島のあちこちに建てられている。みんなで探せばこわくない。

組み合わせを検討して、ペンがバインダー上に展開された可能性の海をしばし泳ぐ。

もしも。もしも同じものが二度とは来なかったとして、あるいは新しい冒険が始まったとして、それでもこの情報はいつか何かの役に立つ。この世界は情報でつくられ、情報でのみ変えられる。育てばよいのだ。この行動自体の意味はなくなったとしても。


 きぃー…ん。


不意の、大きな音。エンジン音。空からではない。
そうか。ここは。

歩き続けて気がつけば、王都から街道を東に抜けて、飛行場を目の前にしていた。もうすぐ有名なエースパイロットが招聘されるという。今の音はその彼の到着だろうか?

首を横に振る。まさか。まだそれには早いし、第一あくまで今の段階ではそのことは予定にすぎない。大方招聘に刺激を受けたパイロットたちの仕事だろう。


 「…………」


ついとひと飛びに情報を飛び、倉庫の中に降り立って、様子を覗いてみる。そびえる四機の巨躯。白いボディに赤い胸。可変人型兵器、I=D01、アメショー。

これさえ出撃できれば、冒険も一気に楽になるな…打算的な思考が頭を掠めたその時だった。


 「どうしたんですか?」


振り返れば、大きなスパナを小脇に立てて抱えた、長い癖毛の女性がいた。この国のパイロットたちは整備もこなす。まして仮想飛行士の腕は、アメショーのテストフライトに自ら出撃した藩王の優秀さで折り紙つきである。いい、アイドレスで飛んでいる。

実戦がすぎてまだ間もない。きっと飛ばすことはできなくとも、整備に忙しかろう。ひらり、手を振って彼は邪魔をしないように後ろ歩きでその場を離れ始めた。ふと口を衝く言葉。


 「飛ぶの、好きかい?」
 「はい!」


唐突な問いにもよどむところのない屈託のない彼女の笑顔と頷きに、帽子を被りなおし、笑って踵を返す。くしゃり、手の中にゴルフボール大の球体状にして留めていた情報を握りつぶして、書き直した。


 「そうかい。好きってのは、いいことだよな」


忘れていた。何故、自分がここにいるのか。
この国が、こういう人たちで一杯だからだ。同じ宇宙を飛ぶならば、こういう人たちが理想だと、そういう人たちがいたからだ。


 「何でもない、騒がせちまったね。頑張ってくれよ」
 「?
  はい!」


ゆっくりと、黒衣を揺らして砂漠に出る。背後からはまた、音、音、音。歩きながら、その間隔がだんだんと耳に遠くなり、その大きさがだんだんと目にも遠のいてくのを、彼は、一人、笑った。

飛びたいところに飛べばいい。飛べるところへ、どこまでも、飛べばいい。俺たちの飛ぶのは宇宙だ。ネットという名の広大な、仮想。想い、描く限り、フィクショノートは飛べるのだから。

その飛んだ軌跡を描くのだ。それが俺の、仕事だろう。

砂漠の真ん中でねぐらへと戻るために男は唱える。たった一言、満足を持ってその身にまとった情報子を解き放つ、決まり文句を呟いて。


 『 I_Dress、私は飛翔した 』


空に浮かぶ雲より白く灰色で、夜よりも青く青く青い黒、濃い肌色が、拡散する。

 * * *

後に残されたのはただ彼の、飛んで描いた軌跡だけ……

 * * *

-The undersigned:Joker as a Liar:城 華一郎

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最終更新:2007年02月21日 03:02