バレンタインの一幕 楠瀬とじにあの物語
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じにあは焦っていた。
明日は聖バレンタインデー。
年に一度のこのチャンスを、逃すわけには行かない。
だがしかし。
「うみゅう・・・」
数冊のレシピ本と、山のような材料を前に、じにあは唸っていた。
何でもこなせる猫士、と思われがちだが、実はじにあは料理方面はからっきしであった。
こういうとき、じにあはいつも楠瀬に聴くのだが、今回ばかりは楠瀬に頼れない。
頼れない理由があった。
「と、とりあえず!たくさん材料買ってきたからちょっと試してみるにゃ!!」
そして、じにあが調理室に居座って3時間。
じにあの背後には、失敗作の山、山、山・・・。
いつもは強気にピンと立っている耳もしおしおになり弱気モードだ。
「ううう、あと少し、あと少しなのよ・・・がんばるのにゃ・・・」
へろへろになりながらも何度目かのチョコ作りにかかるじにあ。
『ううう、じにあちゃんけなげ・・・』
『愛よ、愛なんだわ・・・』
…このとき、その姿を扉の隙間からのぞき見てそっと涙する小奴と浅葱の姿があった事には誰も気づかなかった。
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明けて翌日。
何とか深夜のうちに1個だけ成功したチョコをきれいにラッピングし、気合十分のじにあ。
「・・・よし!」
今日も今日とて政庁に出資するであろう楠瀬を待ち構えるため、じにあも政庁へと向かった。
さて、一方の楠瀬。
今日も今日とて政庁にお勤めである。
いつもどおりに身支度を済ませ、三角巾とエプロンを付けて朝食とお弁当を作る。
「・・・今日は、来ないのかな?」
いつもなら、このあたりでご飯を目当てにじにあが来るころだ。
だが、まれに来たり来なかったりと気まぐれなので、今日は来ない日だろう、と勝手に納得する楠瀬。
さて、準備完了というとき、呼び鈴がなった。
”にゃんにゃーん”
「はーい」
じにあなら呼び鈴を押さずに入ってくるので、なんだろうと思いそのまま玄関に向かう楠瀬。
ドアを開ける。
「「おはようございまー・・・って、うわー☆」」
見事にハモったのは、小奴と浅葱空。
玄関先に、目を星にした二人が立っていた。
「おや、浅葱さんに小奴さん。おはようございます。何か用ですか?]
と、質問する楠瀬を無視し。
「小奴ちゃん、エプロンだよエプロン!三角巾までして!!]
「写真撮るよ、写真!空ちゃんほらツーショット!!」
「まずはピンで撮らなきゃ!あ、藍ちゃん、お玉もって」
「次はフライパンで、目線こっちに」
「次小奴ちゃんとツーショットで」
「その次は空ちゃんだね」
「蝶子さん見たら喜ぶかな」
「虹ノとツーショットさせたいよね」
キャーキャーと沸き立つ乙女2人。
「・・・で、何か用ですか?」
楠瀬が口を開いたのは、フィルムであれば24枚撮りを5本くらい交換したころだ。
「あ、そうそう。バレンタインのチョコ渡そうと思って。はいこれ」
「今日は飛行場のほうに行くから、早めにと思ってね。いつもどーも♪」
どうやら2人でひとつのようで、包装紙を見ると藩都で有名なチョコレート職人の店のもののようだ。
「あ、ありがとうございます」
にっこりと受け取る楠瀬。
「じゃあ、3月期待してるね!」
「それじゃねー」
「あ、山下さんとアスカロンさんにもよろしく言っておいてくださいー」
楠瀬の声は届いたかどうか。
言うだけ言うと、二人はあっという間に帰っていった。
「・・・何なんだ、いったい」
楠瀬は、呆然とするしかなかった。
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政庁に着いた楠瀬は、まずは藩王に挨拶すべく執務室に向かった。
その姿を柱の影から窺うものがいる。
じにあである。
どうやらじにあは、楠瀬に話しかけるタイミングを計っているようだ。
と。
「お、楠瀬ちゃーん」
「あれ、豊国さん。おはようございます」
眼鏡・・・と、白い肌が魅力的な豊国ミロが、楠瀬の姿を見つけて走ってきたのだ。
あわてて隠れるじにあ。
ミロは、楠瀬に話しかけた。
「えっとね、楠瀬ちゃんのは・・・ハイこれ。お世話になってます」
「いえいえ、こちらこそお世話になっております。お気持ち痛み入ります」
どうやらミロはみんなにチョコを配っているらしく、紙袋を提げていた。
「これから、全員に配って回るんですか?」
「うんそう。挨拶代わりといっちゃ何だけど、いいチャンスだしね」
「そうですか」
それじゃあね、と手を振ると走っていくミロ。
それでは、と執務室に入ってしまう楠瀬。
「~~~!!」
出て行くチャンスを失ってしまったじにあであった。
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「うーん、どのタイミングで入ろうかな・・・」
じにあは、藩王執務室の前で考えていた。
基本的におおらかな気風のレンジャー連邦では、藩王の執務室は入りにくい、ということは無かった。
偶然を装って入れば大丈夫よね、と、中の様子を窺うじにあ。
中では、楠瀬が蝶子に挨拶をしていた。
「藩王、おはようございます。本日は・・・」
「・・・うん、ありがとう。じゃあよろしくね。あ、そうだ!」
蝶子は机の下からなにやら取り出す。
「ふっふっふー」
取り出したのは、なにやら眼鏡ケースのようだ。
「ジャーン!」
ケースを開けると、そこには眼鏡・・・の形をしたチョコがあった。
「こ、これは・・・!?チョコのフレームに、飴のレンズが!!こ、これは技ですよ・・・!!」
「でしょでしょ!思いついたはいいんだけど、実際の形にするのに手間取ってさぁ・・・」
「おお、この部分は・・・」
「・・・あいつぅ、眼鏡の話で盛り上がって・・・!」
こぶしを握り締めて怒りのオーラを出すじにあ。
しかしなぜか、邪魔して入るという気にはなれずに、この場はすごすごと引き下がってしまった。
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その後もじにあは楠瀬のあとをつけ、チャンスを窺っていたのだが、執務室を出たところでは摂政の砂浜ミサゴにさきをこされ・・・
「あら楠瀬さん。そうだ、日ごろのお礼にこれを」
「やあ、恐縮です」
「・・・」
吏族詰め所には先に城華一郎と双樹真がいたため・・・
「あ、楠瀬さん!藩王の眼鏡チョコ見た?」
「ええ、見ましたとも。アレはよい眼鏡です・・・!」
「さすが楠瀬さんだ。アレも眼鏡とカウントするのですね」
「そういえば、華一郎さん宛にたくさん届け物が来てましたよ」
「・・・・・・」
昼時には先に青海正輝とビッテンフェ猫が楠瀬に話しかけてしまい・・・
「おう楠瀬!チョコ分けろよ」
「いやだ。腹減ったなら昼飯食えよ。大体お前もたくさんもらってるじゃないか」
「いや楠瀬殿、量はともかく質がいかんのですよ。特に最近の大量生産品はですな・・・」
「それは仕方ないではありませんか・・・うむ、やはり今日はカレーだな」
「・・・・・・・・・」
図書室への移動中には逆にマグノリアに声をかけられて楠瀬を見失い・・・
「おや、じにあさん。こそこそ隠れて、かくれんぼですか?」
「にゃっ!?いや、ち、ちがうですよぅ。(ああ、楠瀬が行っちゃう・・・!!)」
「そうですか?まあ、なんにせよ不審な行動はよくないですよ。何も無くても、疑われてしまいますし・・・」
「(あーもう!見失ったじゃない!)・・・っと、用事を思い出しましたので、この辺で失礼します!」
と、失敗が続いていた。
「あーあ・・・」
議事堂の見えるテラスで、じにあはたそがれていた。
「なーんで今日はうまく行かないかな・・・」
いつもは、いつでも楠瀬は隙だらけだ。
だから、いたずらするチャンスはいくらでもあった。
でも、今日はその隙が無かった。
あっても、誰かしらに先回りされてしまう。
その理由は、じにあの見方が変わっていたからに過ぎないのだが、今のじにあにはそれに気づく余裕は無かった。
「はあ・・・」
何度目かのため息。
もう帰ろうかな、と思ったとき。
後ろから、声をかけられた。
「どうした、じにあ?」
「楠瀬!・・・な、なんでもない」
思いもかけない偶然に、飛びつきたい衝動に駆られるじにあだったが、今日の今までのことを思い出しそっぽを向く。
『楠瀬にも、今日私が味わった苦労を味わわせてやるにゃ!』
ということのようだ。
「本当に?今日は朝から姿が見えないから、心配したんだぞ」
「し、心配してもらう必要なんて無いにゃ!」
心配した、と聞いて、心が揺れ動くじにあ。
さっきの決意もどこへやら、もはやすでに負けそうである。
「うーん・・・まあいいか。じにあ、お茶にしないか?」
よくないにゃ、とは思うものの、お茶には惹かれるじにあ。
「・・・仕方ないにゃ。付き合ってあげるから、お茶は楠瀬が入れてきてよね」
「はいはい」
やれやれ、といった感じで苦笑する楠瀬。
ちょっと待ってろよ、とじにあに声をかけ、脇の給湯室に入っていった。
「・・・」
待つ間、じにあはどうやってチョコのことを切り出そうかと迷っていた。
いつものお礼、ではあまりみんなと差がつかない。
だからといって、直接口に出すのは躊躇われる。
猫士じにあも、このときばかりは乙女であった。
「おまたせー」
結論がでないうちに、楠瀬がお茶を運んで戻ってきた。
あわてて包みを隠すじにあ。
「どしたの?」
「なんでも」
と、目の前にケーキが置かれる。
チョコケーキのようだ。
「・・・楠瀬、これ何」
「え、チョコケーキだけど。お前これ好きだろ?」
「そうじゃなくて。誰からもらったの?」
そう、今日はバレンタインデー。
日ごろの感謝の気持ちだけでこの日にチョコレートを配る習慣のあるレンジャー連邦では、手間のかかるものに関しては評価が違う。
まして、これは見たところ既製品ではないのだ。
じにあが疑ってかかるのももっともである。
「・・・俺が作った」
「うそ」
「うそじゃない。食べればわかる」
「・・・」
疑心暗鬼でチョコに手を伸ばすじにあ。
一口食べる。
「これ・・・」
「うまいだろ?」
確かに、これは楠瀬の手作りだ。
じにあは味にうるさい。
チョコの甘さひとつとっても、甘すぎず苦くなく、それでいて軽くない食感とか言う無茶な注文を平気で出すくらいだ。
そして、それを知っているのは食べ歩きに付き合った楠瀬しか知らない。
「でも、どうして?」
「いやまあ・・・お前にはいつも迷惑かけてるし。そのお礼というか」
「でも、何で今日なのよ?普通今日は女子から男子に渡す日じゃないの?」
「いや、俺実はこの国出身じゃなくて。俺の地元では西洋風に男性から女性に渡すことになってたからさ」
「欧米か!」
思わず突っ込むじにあ。
実のところ、そうでもしないと恥ずかしくて死にそうなのであった。
その理由は。
「・・・で、どうして手作りなのよ」
「いやまあその・・・察しろよ」
言ったじにあも、答えた楠瀬も真っ赤である。
つまりは、そういうことである。
「・・・馬鹿みたい」
「悪かったな」
「そうじゃなくて。・・・ハイこれ。あげる」
つい、と袋を楠瀬に突き出すじにあ。
「これは・・・?」
「・・・っ!!いいから!受け取んなさいよっ!!」
ぎゅむ、と楠瀬の手に押し付ける。
「・・・あけていい?」
「勝手にすれば」
そっぽを向いて答えるじにあ。
顔はもう夕焼けに染まっている、では言い訳できないほど赤い。
あけるたびに楠瀬が「わあ」とか「おお」とか言うたびに耳が反応する。
「じにあ、これ手作り・・・」
「見ればわかるでしょ!?」
「だってお前、料理苦手なのに」
「あんたのために頑張ったんだから、一個くらい成功しててもおかしくないわよっ!!」
言ってから、しまった!、と口を押さえるじにあ。
一瞬あっけに採られた楠瀬だったが、まじめな顔に戻ると逃げ出そうとしたじにあの手をつかんだ。
「待て、逃げることは無いだろう」
「だってあたし・・・」
じにあは泣きそうである。
「・・・じにあの気持ち、うれしいよ。今まで気づかなくって、ごめんな」
「楠瀬・・・」
じにあの手を握りなおし、涙をぬぐう楠瀬。
目を閉じるじにあ。
二人の影が重なる・・・その直前。
二人の猫耳が、何かの音にピコピコと反応した
ジィー・・・
それは、ビデオカメラの駆動音だった。
はっと振り向くと、そこにはカメラを構えた青海、集音マイクを向ける虹ノ、興奮する蝶子、恥ずかしがりながらもちゃっかり覗き見ているミサゴの姿があった。
「・・・これはいったい何の冗談ですか?」
「・・・各自撤収!散開よー!」
「「ラジャー!」」
「こらまてー!!」「待つにゃー!!」
散り散りに逃げる藩王たちを追いかける楠瀬とじにあ。
その手は、しっかりと握られていた。
(文責:楠瀬藍)
最終更新:2009年03月27日 14:13