「書いたものを面白いと感じるのは、それが読む側にとって新しい体験を提供しうるからであります。激しい感情、未知なる知識、時を一瞬にして超える人生体験、あらゆるファンタジー、そうしたものが、フィクションを古来より、ただ、人類の叡智を伝えるためのみの言語ではなく、人の心への体験という形で実際の経験に代替されざる稀有な現象として、文化たりまた娯楽たらしめてきていたのです。
我々は新しい。だが同時にもっとも誇るべき最古の存在であります。仮想。なんと素晴らしい。人に抽象化の能力なくば、またそれをデコードする能力なくば、人は世界をこうまで知り得なかったことでしょう。仮想。それは我々の依って立つ偉大なる現実であります。仮想現実大いに結構、それは現実がなければ成り立ち得ない絶対の世界でありますが、と同時に、現実もまた我等なくば絶無と言ってよい静寂を取り戻すことでしょう。ただ生き、ただ死ぬことのなんと崇高なることか。だがそれはもはや我々には許されざる果実なのであります。それが渋いのか、それとも甘いのか、死に至る毒なのか、もはや私達にはわからないのであります。人が今得た叡智をなげうってただに生きることは、もはや夢想の世界ですら許されないのです。なぜならその夢想を為す行為そのものが、我々のゆるぎなき現実だからであります。
よろしいですかなみなさん、我々の目指すところの職業は、生業は、虚業は、世界でもっとも古いもののひとつでありまた我々の世界から欠くことのできない絶対の柱なのであります。未来を、今を、過去を、ただに生きて生きて死ぬことはもはや私達には許されない。私達は、思考しなければならない。その思考の中枢を為すものの一つと、我々は断固として向き合わねばならないのです、そう、断固として!
そのためにもまずは過去の先人達がどのようにしてそれを為してきたかを理解し模倣し偽造し変造する必要があります。時を超えるということは偉大な行為です。私達は時間と空間を渡り歩いている。その軌跡を見ることなしに過去の先人達の秘蹟も軌跡も奇跡も鬼籍も、何ひとつ、受け継ぐことはできないのです。よろしい、時間ですね。では来週は中期レンジャー派の巨匠ミネを愛してやまなかったかの文豪ダーダックについてお話いたしましょう。そもそも彼の生い立ちは…」
からんからーん…
授業終了を告げるベルが、あちこちで鳴り響く。それを意に介することなく淡々と喋り続ける禿頭の壮健なスーツ姿の男性。
* * *
「今日もテキスト進まなかったな」
法官志望の青年、クラディスが手にわんさと紙の束を抱えながら、大学構内の廊下を歩いていた。
「まさかあそこまで押すとは思いませんでした」
机の上に広げた教材一式を、しまう暇なく次の授業のために教室から追い出されて、歩きながらやっとこさとかばんにしまう、文族志望の青年、ミード。
2人はてれてれと食堂に向かいながら、互いを見やることなく会話を交わす。
適当な距離を歩こうが、適当なところを見ながら会話しようが、何不自由のあるわけでない、そんな間柄が、彼らだった。
「あの先生、話は長いんだけど、話は長いよなー」
「ためにならないんですけど、ためになるんですよねえ」
ふー、とため息をつく。
ここはレンジャー連邦南部の国立大学。法学科のクラディスと、文学科のミードは、それぞれ先輩と、後輩。2人は仲良し。
最初は選択授業がいくつか重なることもあってつるみだしたのだが、法学科にいたミードが文学科に転科して、文学科にいたクラディスが法学科に転科して、まあ、そういうような人生的なあれそれがあって、2人で街外れに家を借りて住むようになって、さらに深くつるむようになった、そういう間柄だった。
「ままなりませんねえ…」
「誰だ単位が楽だから絶対取ろうって言ったのは」
「先輩でしょ」
「過去の自分は既に他人という言葉を知らんのか」
クラディスは短躯に長髪、フード姿なのにフードを下ろしているという、やや挑発的な顔立ちをした青年であり、ミードは中背、やや細身の、平坦な造型をした顔立ちの青年である。共に、レンジャー連邦にある四つの大学のうち一つに通い、学ぶ、学生だ。
西国人のイグドラシルに学生はない。だから、彼らはフィクショノートではなく、純粋なアイドレス世界の住民ということになる。まあ、アイドレス世界では、藩国がフィクショノートの手によって創られたからといって、フィクショノートたちだけしかそこに住んでいないのかといえば嘘になり、そのような次第から、つい先日も、レンジャー連邦の惨劇と銘打たれて、にゃんザーズに投機していた投資家たちが市場停止のあおりをくらってばたばたと没落、自殺の憂き目にあっていた。
「まったく…出席だけは厳密なんだからなあ」
「ああいうタイプの人に限って異様に記憶力がいいんですよねえ…」
「話はつまんないんだけどな」
「話は面白いんですけど」
「……」
「……」
顔を見やりあう。
「あれで授業っていえるのかよ!?」
どさっと、紙の束を食堂のテーブルに乗せて座りながらクラディスは言った。
「あれが授業でしょう」
どさっと空いた椅子にかばんを投げ置き自分も座りながらミードが言った。
「はー…どうしてこうああもあいまいなことばっかり話したがるかねえ、文族は」
「何でもテキスト頼みに杓子定規にする方がおかしいんですよ。授業は伝えたいことを伝えてそれを学んでいるかどうか確かめるための場なんですから」
「法学の方がまだ楽だっての」
「気がしれませんよ、法学だって情状酌量とかあるじゃないですか」
「それをするために判例集があるんだろ」
「そんなわけないでしょう」
「じゃなんのためだよ」
「それは……」
「ほら言えねえ。俺のが正解ー」
「あーもー腹立つなあ。あ、俺レンジャー定食で」
「馬鹿言えお前が買ってくるんだろ。俺はドランジ定食な」
じ…とにらみあう。
ほい! と、同時に手が出る。
ちょき、と、ぱー。
「ちっきしょ~!!」
「正義は勝ーつ!!」
しょうがねえなあと立ち上がるクラディス。
「じゃ、俺が並んでる間にお前それ目ぇ通しておけよ」
「なんですかこれ」
「決まってるだろ、水着のプランだよ」
ぶーっ!!
「本気だったんですか!?」
「おうよ本気よ大マジよ。誘う女の子も今考え中だ」
「はー…」
カウンターの方へと遠ざかるのを見届けると、テーブルの上に山積みにされた紙の束の一番上を、ぺら、とつまみあげてみた。
「……」
あの人は馬鹿だろうか、と思う。それとも自身の品性や信用と引き換えにした壮大なギャグなのだろうか。いや、もともともうそんなに信用残ってないか、こういう面では。品性もあやしいな……
ぺらぺらめくるそのどれもが女性用水着であり、ちょっとは自分たちの着るものぐらい、リストアップしておけよと思うのだが、ない。まったくといっていいほど、ない。
これで自分たちも実は女性でしたとか、どちらか一方が実は女性でしたとかいう文章ならではのレトリックが利いていたらまだしも、どちらもこれまでに三人称が彼だったり男だったりしているので、残念ながらそのようにうれしはずかし華やか展開にはなってくれなかった。野郎2人で悲しくどこまでもライクアローリングストーン、あとは転がっていくだけ、止まらないのだ。悲劇の青春であった。
「それにしても…女の子誘う前から着せる水着のこと選んでどうするつもりなんだか」
はぁー、と、ため息も止まらない。
見れば、片手に一つずつ、その小さい背丈に見合わぬしっかりとした腕力でお盆を確保し定食二つをこちらに向けて運んできている真っ最中であった。
「それで、今日はまた世間話ですか?」
「おう、市場回復についてだ」
どん、と紙の束を割ってお盆が置かれる。レンジャー定食は、この藩国独特の風景を真似たカレーピラフに、たくましい焼肉と赤いスープが添えられたものである。ドランジ定食とは、先日よりレンジャー連邦に逗留しているACE、カール・T・ドランジ氏の歓迎祭にあわせて作られた、パイロット用ならではのハイカロリーフルボリュームの食事であり、消化に良いよう、デザートまでつけられている逸品であった。
ちなみにこのドランジ定食、学食ではあまり人気がない。ドランジファンの女学生たちがきゃいきゃい注文してはこれをつついていたら率直に言ってかなり太ったからだ。元々藩都では軍事基地の置かれてる東都と違い、そのカリキュラムもほとんどデスクワーク系に絞られている。向いていなかったとしか言いようがない。とはいえ、新名物として堂々デビューさせてしまった以上、ドランジ氏がいる間は間違っても引っ込めるわけにもいかず、こうして欠食児童がごくまれに注文する以外にはっておいごしゃあ。
「…つっこみ厳しいですよ、先輩」
「なんで途中からお前のモノローグが混じってるんだよ。誰が欠食児童だ、誰が。お前が料理下手なのが駄目なんだろうが」
「他力本願な……」
もぐもぐと、食べ始めながら例によって二人は雑談を始めた。
「今回うちの国が供出量決定したろ」
「ああ、ノルマ通りに出しましたね。もっと出したがってたらしいですけど」
「市場原理ってものがあるからな。国力どおり、やや小口でちょうどいいってもんさ…むしろ最良のバランスで供出できて文句ないくらいだ。FEG、そうはいっても」
「やはり大国ですね、器量、藩王、ともに」
び、と肉を刺したフォークでミードを指す。
「うちの大将に見せ場こそ取られたものの、タマ大統領を失脚させて共和国全体の方針を健常化できたのも、元はといえばあの王のおかげだからな。今わんわんに攻め込んでどうするんだっつー話よ、目の前にわけわからん敵がいるのに」
「実績から言っても、次の大統領は文句なしに是空藩王ですかねえ…」
「結果残したからな。文句はさすがに出ねえだろ」
ずずー、自分のとこのミネストローネをすすりながら、ミードの上品にスプーンですすっているスープを注視するクラディス。
「…なんですか」
「いや。一口くれないかなーと」
「やですよ」
「いいじゃんよー、たまにはスイカのスープが飲みたいんだよー」
「いい歳して駄々こねないでください」
「人の精神が本当に求める行為に対して、年齢とはなんら枷にも障害にもならぬものなのだよ、ミードくん」
「かっこいいこと言ったつもりですか」
「うん」
「……」
レンジャー連邦の領土はその大半が砂漠におおわれている。そこで自給自足できる食糧と言えば選択肢には限りがあり、中でも注目されたのが、動員に際し大規模の食糧増産の号令がかけられた折り植樹されたナツメヤシと、元々砂漠で水分の供給源として頼られていた、このスイカであった。
そういう用途で求められているため、一部の国がしているような、糖度の高い品種改良はされておらず、野菜としてのスイカ、といった風味を生かしたスープ作りがこの国では当たり前とされていた。汁気の詰まった果肉はもちろん、種まで食べられるのが、本来のスイカなのである。
現在でもスイカの品種改良については西都大学で進められており、古くからの土壌改良研究と共に植物学者達には親しまれている題材であった。
「ふー…」
ずずー。食後のお茶がうまい。
「そういえば、もうすぐですよね、法官試験の合格発表」
「ああ。今度のは少し込み入ってるから、合格者出てから公開回答見に行こうと思ってるんだ」
「過去にさかのぼっての罰則か…うちの国も関係してるだけに、少し、緊張しますね」
クラディスは、答えずにまた茶をすすった。ミードは言葉を続ける。
「一時期は…本当にかつかつでしたし、連邦」
「生真面目にノルマに応えようとした結果だろ。タマ大統領の支持率が落ちたのだって、もとはといえばその因果応報だっての。とはいえ、まあ…」
「市場停止はさすがに堪えましたからねー」
「……」
「……」
どちらからともなく、沈黙する。
「思考せよ、か」
ぽつりと言ったのは、クラディスの方であった。驚いて見つめるミード。その、普段は見せぬ真摯な表情に、ふと、思考が止まる。
「…ん? どうした、そんなに見つめて。俺様の美貌に惚れたか?」
けかかかか、と笑うクラディス。
「いや…俺が本当に女だったら、確かにどうだったかわからないよなあ…って」
「げ、マジか。いくら愛ゆえにでも俺はノーマルだぞ」
しっし、と露骨に追い払う仕草。それを見て、笑って相槌を打つ。
「心配しなくても、先輩なんかについていく男も女もいやしませんよ。ほら、こんな無駄なプラン立ててないで、午後からの授業、がんばりましょう」
「あーお前、こら、これは俺の大事な計画書…!」
がさー、とお盆を持ち上げるさいに揺れた紙の束を、慌てて抑えるクラディスをよそに、ミードはすいすい返却カウンターへと向かっていった。
まったく、この人は。
からんからーん。午後の授業の開始を知らせる予鈴が、大学の屋上、ひときわ大きな鐘から鳴った。のそのそと動き出す学生達。その、同じ一人として、無駄な計画書をまたひとかかえにするのに苦戦している先輩をさしおき、席に置いてあったかばんをひっさらって駆け出していく。
「うおーちょっと待て、置いてくなー!」
「次の授業は別々でしょうー、今日は夕飯までにちゃんと帰ってきてくださいよう」
零れる笑顔に、空は青く、まぶしいくらいに、とても高く。
今日という日の後半戦が、そうしてまた何事もなく平穏に、始まっていったのだった……
- The undersigned:Joker as a Liar:城 華一郎
最終更新:2007年02月24日 19:08