「物語が成立するためには抗うべき運命がなければいけない。ゲームにおいてそれは課題という形で現れるわけだ。ところがそのゲームにおいて課題が出されないと、物語は途端に成立が困難になる。それは文字を使ったただのごっこ遊びでしかなくなるわけだ。それでもなお物語であろうとするなら、自然と、その物語において抗うべき運命とは、抗うべき運命が見つからないことそのものになってくるわけだ。そしてそれに立ち向かうためには、何か物足りなさを感じているような若き少年少女、あるいはまあ、この場合、同じような欠落を抱えている人物造型だな、とにかく、そのようなキャラクターによって、挑みかかるべき運命の流れを見出さなければならないわけだ。この場合、欠落を抱えているというのが特に重要になる。欠落は購わなければならない。これは既に呪いだ。代償行為によって忘れ去ることをする以外では、決して消え去ることはない。それは人生に置いて緩やかに傷を蓄積しひずみを拡大していく。これを取り除くための一つの良質な手法が物語による代理体験というわけだが、わけだわけだと繰り返しておいて済まないが、今のところ俺もこれ以上はわかってない。何しろ手さぐりなんだ。手さぐりで、この物語の中に抗うべき運命を必死に探している状況なんだ。状況状況に応じて人々の心に予防線を張るような時事ネタ的な活動はその場しのぎの糊口をしのいでいるに過ぎない。真に取り組むべき運命とは何か、それをいまだに俺は見つけられないでいる。自分のテーマなんてものが確立しているのならまだしも、今はまだ、そんな大層なものというよりは単なる好みや手癖というレベルでしからないからね。
 そんなわけで俺は今大変に困っているわけだが」

 * * *

「物語には自走性というものがあり、それはある一定以上の質量を帯びたときに発生する―…」

からんからーん。授業開始のベルが鳴らされる。

「今日も長そうだな」
「ですね」

レンジャー連邦の国立大学に通う国民、クラディスとミードは、そう言い交わしながら早くもこの授業の間を有意義に過ごせるかどうかについて、諦めかけていた。

 * * *

「パワー・イズ・ザ・ドリーム」

男はそういうとやけに大仰な仕草でこちらを振り返った。

「物語はゲームの一部でしかない。だがその一部が全体を打倒しうるだろうか、それこそが私のテーマなのだよ」

艶めかしい指で、イグドラシル、電子の世界樹を指差す。

「自走性を帯びた物語がいつかイグドラシルの土壌をも侵食し這い上がり締め上げて滅ぼす。いや、この場合は滅ぼすと言ったのは間違いだったな。土壌より這い上がり侵食し、そしてやがては、勝利するのだ。ゲームに対し、物語という名の正当な剣を使って。それこそが文族の、いいや私の夢だ。そのための力を手に入れることこそ、私の夢だ。

 パワー・イズ・ザ・ドリーム、華やかならざる見知った文字の塊が、いつか絵画や歌や、ゲームたちをも駆逐して世界を席巻する、それが私のささやかな夢なのだよ。それは、野心と呼ぶにすらささやかで、ただのちっぽけな、反乱にも満たない試みに過ぎない。だが、私は今、ここにいる。

 アイドレスという、プレイヤーが望み、臨んだ世界の物語の中に、私はいる」

指差す手付きが、握り拳に固め変えられた。

「物語という物語を物語るのだ。文字という文字を文学して席捲しろ。これは、文族による、世界への挑戦である!」

 * * *

「教えよう、少年。あえてその若き獅子の孤独な野心に対して少年と呼ばせてもらおう。それは無謀な夢だ。孤独に為しうるものなどなにほどのものでもありはしない。人は、手をつなぐものなのだ。たとえ最初はそのために生まれたものではなくとも、手を、つなげるからこその人間なのだ。そして、信じた時には、その手を離していられるからこそ。

 …永遠にひとつながりであることがよいとされるのならば、何も人はこのように形作られなかったろう。群生生物のように細胞同士が癒着しあい、あるいはファンタジーの如くに精神を共有しあい、そうして個にして全なる生命を常にまっとうするようデザインされていただろう。だが、我々は違う。人間は、そのようには作られていないのだ。それは、人間が、つないだ手を離すことも、傷つけあった拳を解いて握り合うこともできるよう、作られたからだ。

 孤独な獅子がどれほどに猛り、吼え狂えようが、世界は何も変わりはしない。獅子が獅子呼び世界が変わることもあるだろう。孤独が孤独を呼び、連帯ではない団結が、有形無形に生まれることもあるだろう。だがそのたくらみはそうではない。他者を拒絶するものに福音はない。恐怖がそうさせるのか。己を必要とされないことの恐怖が。それとも、もはやそこまで世界が見えぬほどに文字だけの世界で文字そのものであるところの自身に思い上がったか。

 少年よ、今一度言うぞ、貴様のたくらみは、ここで終わりだ」

 * * *

ふぁー、とクラディスがあくびをした。

「そういえばさ、映画のCMってあるよな。一部の例外を除いてやたら面白そうな奴。あれが面白そうなのも物語と同じで、というか、あれそのものが既に読者にとって一つの物語化してるから、むしろ本編より面白いことすらあるよな」
「ああ…激変する情報に振り回されながらそれを理解しようとする行為そのものが読者にとっての物語体験行為ってわけですか。理解しようとすることすなわち理解困難な情報の断片化という運命に抗うこと、みたいな」
「そう、それそれ。大抵の場合はデモだけ見てた方が時間的にも精神衛生的にも良好だっていう」
「つまんないものこそちゃんと最後まで見ないと成長しませんよ」
「もう俺は文族やめたからいいんだよ。適当なとこだけつまんでご機嫌ってのも、立派な読者のやることだろ」

教壇ではいまだに教授が物語における物理学をとうとうと説いていた。

満腹な午後一番の昼下がり。

 * * *

「では問うが」

と、敗北を前にしてその男は口を開く。

「貴様にとっての力とは、一体なんだったのだ。速度でも、量でも、質でも、ましてそのテーマの深遠性でも挑戦行為そのものでもないとすれば、貴様にとって、文字の世界における力とはなんなのだ?

 人の心を動かすこと以上に、注目されること以上に、いや…」

皮肉に一呼吸、区切りながら、その致命の言葉を唇から吐く。

「読まれること以上に大事なこととは、一体なんなのだ?」

 * * *

その男は独白を続けた。

「文字は心の扉だ。入ればそこに世界がある。けれども、そこが読者にとって望む世界であるかどうかは、まったく保証されていない。文章は、自己を構築する思考のそのものを記述するのに優れた不自由なツールの一つだが、はっきり言ってしまえばお前の考えたことなんざ知りたくもないと言われてしまえばおしまいなわけだ。面白いかどうかはただ生粋に娯楽であるべきという捉え方だな。これを果たして文学と呼んでいいものだろうか。いいものだろうと俺は考える。そこに文字があり学ぼうとする限り、それは文学になりうるのだ。それが生粋であるか純粋であるかなんて問題にはなんらならない。そこでさらに重要になってくるのが、読者の想定、だ」

 * * *

「そういえばさー」
「あん?」

珍しくミードの方から声をかけてきたので生返事しながら内心驚く。

「この間も意見が分かれたことなんですけど、結局その授業が面白いかどうかって、相手がどれだけ独りよがりになってるかどうかじゃなく、相手のことをどれだけ面白がれるかだと思うんですよ」
「そりゃお前、相手によっかかった発信者側の意見だろう。変わり者風のパフォーマンスを眺めて面白いのは最初のうちだけさ、飽きれば鬱陶しいか、それよりもっとひどいのは、なんのリアクションもなくなることだ。単位が取りやすいのなんて独演を聞いてもらったお礼に過ぎんだろ、結局」
「極論だなあ」
「けど事実だぜ。面白さには技術が必要だ。圧倒的に。新味であれ抑揚であれ、絶対それは必要だ。内容の是非に関わらず、な」

 * * *

「文字の力は対話の力だ。それ以上に求められるものなどない」

冷酷に剣が抜き放たれる。

 * * *

「アイドレス世界に限定するのか、それとも国内に限定するのか、それとも、誰が読んでも面白がれるようにするべきなのか。それは、一番に考えるべき最優先事項だ。

 だから、人間の根本的なテーマを描き出している作品はジャンルを越えて言語の壁を越えてどこまでも広がっていく。また、根本を扱っているだけに、定型が決まっていて見えやすい。その分予想を裏切る面白さを作り出すのにいつだって時代人達は苦労しなきゃならんわけだが、同じように時代だって変わっているんだ。いや、ありていに言ってしまえば、変わった時代こそを舞台設定の変化と捉え、作品のパーツに使う、ぐらいの気持ちが必要なんだ。もちろん、その根底には、どうしてもそれを描かねば、それを使って描かねば、というような、作者の情念がこもっていなければ、共感による心の扉は開かれないわけだが、それを考えると、実に今の立ち位置というのは微妙だね。ずっと微妙であり続けたけれども。なぜって、それは―――」

 * * *

轟然と目の前に立つものを、睨み上げながら、彼は再び問うた。

「読まれなくてもか。いいや、たとえ読まれたとしても、読んだ相手の心を揺さぶることができなかったとしてもか」

 * * *

「そも、作家において物語を続けていくということはほぼ唯一の読者とのコミュニケーション手段であり、それが長く続けば続くほどに、作者と読者の間には一種の共犯関係ともいうべき構図が浮かび上がってくる。知りえているからこそ、これまでを見知ってきたからこそ、より、大きな意味を持つ、それこそが物語における自走性の本義なわけだが、ここに弊害がないわけでもない。作者が客観性を見失えば、疾走する物語体そのものに魅了される場合を別として、断片として切り分けられた文章そのものに力が失われるのだ。薄まった文章を、これからとこれまでの連続の中に浸すことによってのみ重層構造と化して分厚いものとする。だが、これが別段悪いという主旨の話をしているのではない。

 重要なのは、いつも始まりだ」

教授の熱弁が続く。

 * * *

「そういえば俺とお前ってどうやって出会ったっけ」
「先輩から声かけてきたんでしょ、食堂で。面白そうな本読んでますね、とかなんとか。よくあんなことできますねー」
「たまたま一人でメシ食うことになったのがやだっただけだよ。いや、今の教授の話で思い出したんだけどな」

クラディスは感慨深げに頬杖をついているその顔で、遠いまなざしをした。

「始まりなんて大抵運命的でもなんでもなかったりするんだよなあ、案外、これが」
「そうですねえ…あ、そうそう、始まりといえば」
「おう、俺も思い出したことがあるんだ」

 * * *

「書いたことはゼロではない。アイドレス世界では提出されれば報酬として代価が得られる。そしてそれは少なくとも誰かには読まれているということだ。

 それに、もし、誰も読まなかったとしても、自分だけは、例外だ。少年よ、その傲慢なるがゆえに愚かな大志を抱いた少年よ、貴様はただ一点、そこを忘れていたから、負けたのだ」

銀色の、プラスチックで作られたかのような、おもちゃの剣をまるで致命の宣告の如くに振り上げた。

「自分を楽しませるという、そのことを、忘れていたから、負けたのだ」

 * * *

「結局のところ、いつも自己満足との戦いなんだと思うよ。こうしてつれづれに考えているだけで、そう思うんだからさ。
 だから、面白いかどうかは自分が決めよう。他人に惑わされることのないよう、自分の書けることだけを書けばいいさ」
「ん…そう、言われると助かるな。やっぱり困った時は自分の考えを人に聞いててもらうのが一番だ」

黒衣の文族の男、城華一郎と、一人の文族見習いの青年とが、向かい合う椅子から立ち上がって、固く握手を交し合う。

「次の作品、待ってるよ」
「ああ」

にこりと笑って、華一郎は青年にお礼を言った。

 * * *

「…ってなわけで、昔、フィクショノートの人と話したことがあったんだけどさ。今思うと、あれが転機だったのかなあ…って、思わなくもないよ。ああ、俺は自分で何かを作るよりも、それを作っている人のことを応援する方が楽しいんだ、って。あんだけ文章を書くってことについて、いろいろ考えてる人がいるんなら、俺がわざわざそっちに回らなくても大丈夫だなって、話を聞いてて、そう思ったよ」

クラディスは言う。

「俺も、あの戯曲に参加したのがやっぱり転機だったと思います。今から思えば随分先鋭的だったとは思いますけど、舞台に参加することで、なんていうかこう…普段思ってもみなかった、自分の中の言葉が見つかった、みたいな気がして」

ミードも告げる。

「なかなか、振り返れば感慨深いよなあ…」
「ですよねえ…」

はふー、と、2人揃ってため息。

「で、私の授業は結局のところ君らにとって読んでもらえなかった、というわけだな」

ぬ、と、彼らの前にかかる影。見上げれば、そこには教授の赤ら顔。

「……」
「……」

思わず一瞬顔を見合す。

「抗うべき運命を与えよう。レポート提出だ。明日まで。遅れれば単位は認めんからな。題は、そう…アイドレスにおける物語とは、だ」

 * * *

かくてこの文章は書けり、というわけで。

実験小説スタッカート、これにてお開き!

  • The undersigned:Joker as a Liar:城 華一郎

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2007年02月24日 19:09