男は牢にいた。
その牢に鍵はかけられていない。
冷たく氷で出来た思考の牢獄。
力が足りない。思うのは、情熱ではなく、理性。
力が足りない。考えて、理性に委ねたのは情熱。
何が必要だ。
感情はいらない。世界を文字で見るように、世界を数字で見る心。
ロジカルに感情をデジタライズ、ラジカルに視界をロジカライズ。
感情のカテゴリを捨象する。
掌中に淡い蛍火のような珠。
感情はそこに捨てよう。感傷はそこに仕舞おう。
道化師は道化に舞おう。
勝つために感動することが不要ならそれはいらないものだから捨てて仕舞おう。
『かぱ……』
一枚の白い面が手にそれを顔に嵌めて仕舞う。
城華一郎(じょう かいちろう)はおどけた。
白い面の唇は、冷たく笑うだけだった。
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第七世界時間81307002、にゃんにゃん共和国はその大連合にも関わらず、ゲーム開始史上初といってもいい大きな苦杯を、世界忍者国の王城で舐めさせられた。楽観していたわけではなく、また手を抜いていたわけでもない。度重なる各地での同時多発攻撃に疲弊したにゃんにゃん共和国全体が、この戦いをしのぎきるだけの余力を残していなかったということなのだろう。
その日からレンジャー連邦のフィクショノートたちの日常は変わった。勝利のために訓練を、雪辱のために努力を、そして行方を追うために、真実を追うために、肩に鎖を背負って1tトラックを引っ張るが如き死に物狂いの気迫が漲るようになっていった。
消えたドランジは未だ戻らず、舞踏子たちはにわかに彼が何のためにどこへ去ってしまったのかを討論する一団と化した。また、ヤガミを追う舞踏子たちも、彼の真実と根元種族の正体についてを、まず語り合うより先に根源力と、国力増強のために、また、状況打破のために知恵を絞る彼の守護妖精へと姿を戻していた。
文族の華一郎の姿は特に街中で見られることが少なくなり、取材と称してふらふらあちこちを出歩く姿のかわり、いつもの冗句のつもりだろうか、よく、変なお面をつけている姿が見られるようになっていた。
表面上はいつもの日常が繰り返されているだけのはずなのに、その日常は、もはや以前の日常とは異なる温度、異なる空気を帯びていて、各国に出没したアラダの存在が、元々は今の生活も彼らの出現による逃亡から始まったのだという事実を思い出させており、国民の間には、どこか緊張が感覚の底に敷かれたような、歯に物が挟まったような、そんな微妙な違和感が、付きまとって離れなかった。
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「祭りをやろう」
言い出したのは華一郎だった。
『祭り?』
その日、会議室に集められたフィクショノートたちはその発言に耳を疑った。
「祭りなんて」
「やってる場合でもやっていい場合でもないな。けど、まあ、だからこそ、やろうと思うんだ。正確にはドランジお帰りなさい祭りの下準備だな。いつでも彼が帰ってきたらそれを暖かく迎えてあげられるように、今のうちから計画を立てておきたいと思うんだ。みんなだってドランジがこのまま帰ってこないとは思わないだろ?」
「それは、まあ…」
白い面を片手に持って下げたままの華一郎を前に、みな、真意を測りかねているというよりは、ついていけていない、と言った方が、正確だったかもしれない。
「お祭りが無理ならパーティーでもいいよ。歓迎祭りみたいな大々的なことは出来ないけどさ、せめて彼の好物料理でも用意して、くつろげるような企画でもいくつか考えておいて、その上で、これからの日々を過ごしたいと思うんだ」
「…理由は?」
これまで黙っていた蝶子が、一同を代表して尋ねる。この藩王は何より公正であり明確であることを重んじている。他のものたちもみな、当然抱くであろう疑問を、真っ先に責任をもって発言するのが、自分の役目と持って任じているようであった。そしてそれは実際に、藩王としての責務を、真正直に勤め上げることでも、あった。
華一郎はテーブルの上に面を置いて語った。
「緊張して張り詰めすぎるのはよくない。悪い結果が出た時も、良い結果が出た時も、同じように精進をして、同じように無理をして、同じように楽しんで、同じように頑張って、同じように愛せるなら、それが一番じゃないかと思った」
「でも!」
「これはゲームだ」
誰かの発言を遮って華一郎は続ける。
「負ければ悔しい、つらい結果が物語的に出てくれば、そりゃあ悲しいだろう。でも、それで楽しむことを諦めたら、ゲームを続けるための戦う力は、打ち止めになっちゃうと思うんだ。つらいつらいでやり続けて、いつの間にか自分でそれを義務のように感じて重荷にするくらいなら、悲しむのは俺たちじゃないよ。俺たちが愛している、当のキャラクターたちだと思うよ」
「……」
「悲しい時に笑えとは言わない。つらい時に下を向くなとも言わない。元々これでそんなに重苦しい雰囲気になったとは思ってないしね」
屈託なく笑って見せて、信頼感をアピールするかのようなジェスチャア。
「おまじないだよ。こういうのは、しっかり見つめて、それからぽいってすれば、案外前より具合が良くなるものさ。余分なものまで一緒に出てくからね。だから、まあ…ツイストゲームとか王様ゲームを企画しろとは言わないから、パーティーの、準備ぐらいはしておこうじゃないか。舞踏子たちだって、きっと日常の合間にするべきことが見つかって、張りが出ると思うよ?」
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ドランジが、どんな気持ちで帰ってくるだろう。本当に帰ってくるんだろうか。もしも帰ってきたとして、その時彼がつらい気持ちでいるのに、無理に騒ぎ立てるような結果にはなったりしないだろうか。無駄足を踏むことになって、みんなにつらい思いをさせることになるんじゃないか。
その後も話し合いでは、そんなような意見が、どこからとなく、出てはきていて、なので結局その件については、各自、賛同したものたちだけが、準備を進めてみるのもいいんじゃないだろうかという結論に、その場は落ち着いた。
「無駄になるかもしれないと思って、それでも準備できる人なら、たとえドランジがどんな気持ちで帰ってきても、きちんと迎え入れてあげることができると思うしね。うん、これも、やっぱり愛ゆえに、だと思います」
と、蝶子などは言っていた。
それ以来、彼の真っ先に戻ってくる場所であろうハンガーで、あるいは彼の滞在していた建物で、時折誰かの作業している気配や、その成果物とおぼしい作りかけの飾りつけだけが、国内では、目立つようになっていた。
それが、ドランジがこの国からいなくなった、最初の頃の、日々だった。
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-The undersigned:Joker as a Liar:城 華一郎
最終更新:2007年03月29日 22:34