ぴちゅぴちゅぴちゅ…
鳥の鳴き声が森閑に木霊する街道を行く、大きなリュックを背負った女性が2人。
「ようやくリンクゲートを抜けましたね…」
「みたい、かな?」
木漏れ日に、ほう、っと額の汗を袖でひと拭き、2人はリュックを背負い直す。
「いくら重要な研究のためとは言っても…」
「この大事な時期に旅行って、気が引けるよねー」
そう言って、たははっと困ったように笑う、さらりとした髪質、小柄の、青いおなかが開いた軍隊風のコスチュームに身を包んだ女性と、癖毛でこれも同じく髪の短い、黄色のトレーナーを腰に巻いたパンツルックの大柄な女性。
ここはにゃんにゃん共和国、ゴロネコ藩国。
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「ふー、やっと着いたあー…」
小柄な方の女性がリュックをホテルの玄関で下ろすなり、どっかとロビーのソファーに腰をおろす。そこへ髪の長い、肌の色も服装の系統も、彼女たちとは異なる女性がやってきて、愛想良く笑顔を浮かべながらお辞儀した。
「いらっしゃいませー、お二人様でよろしいですか?」
「はい、一泊でお願いします。グレードはノーマルで」
「ではこちらにご記帳お願いします。お荷物は私共で運びますので」
ぱんぱん、と髪の長い女性が手を叩くと、これもやせぎすな男性が2名、フロントから出てきて、お手伝いします、と、2人がリュックを下ろすのを手伝い、重たそうに一抱えしながら、小柄な方の女性を先導して建物の奥に歩いていく。
大柄な方の女性は差し出されたペンを手に取り、出身国にレンジャー連邦、宿泊者名に、コヒメ=ウタカワ(西国人+パイロット+整備士+舞踏子)、アスミ=ミズノナ(西国人+パイロット+整備士)、女性2名、目的:観光と記帳し、最後に財布を取り出すと、宿泊料を前払いで清算した。
「まあ、わざわざ山形から」
「ええ、国外旅行は初めてでして。粗相がありましたらすみません」
「いえいえご丁寧にありがとうございます。あとでよろしければこの国のパンフレットを差し上げますね」
「ありがとうございます」
にっこりと、女将とお辞儀を交わしあうと、アスミはぱたぱたと自分たちの泊まるところだと教えられた部屋に急ぐ。
入国した時から思っていたが、この国は空気が瑞々しい。風が、肌に張りつく感じもしなければ、直射日光が激しいわけでもないので、空気がおいしいのだ。海岸まで出ればまた受ける印象も違うんだろうな…と思いながら、壁の向こうにせせらぐ清流の音を聞き、しみじみする。
なるほど。観光地なだけ、あるんだなあ……
「わあ…」
部屋についてみると、一足先にごろんと羽根を伸ばしているコヒメがいた。虫にでも刺されたのか、丸出しにしたおなかをぽりぽり掻いており、アスミがやってきて、部屋の広さに驚いている様子を見て取ると、にこにこしながらあぐらをかいて起き上がり、頷いた。
「いい部屋だよねー」
「ほんと、雰囲気ありますね…」
ゴロネコ藩国は全体的に自然そのままの地形、自然そのままの環境を元にして作られた国であるため、建物も樹木を模した洋式に乗っ取っており、北方の国境からほど近いところにあるこの温泉街もその例に漏れず、彼女たちが泊まった宿も、実に堂々とした大樹の風体を成していた。
どこかで回されている水車の音が、清流の音にリズムと変化をつけていて、水音に、くつろぎを覚える。
2人の故郷であるレンジャー連邦では、川らしい川がほとんどなく、聞こえる自然の水音といえば雨季の雨垂れか海岸線に打ち寄せる潮騒だけであったので、このように常日頃から水と共にありそれでいて穏やかな時間が流れている空間に身を置くのは、生まれて初めてのことだった。
「うちからは、誰と誰がこの国の方と組んだんですっけ?」
「ちょうど誰も組まなかったんじゃないかなあ…そういう話も聞かないし」
「じゃ、私たちがゴロネコ藩国初体験、かな?」
「だねー」
じ…っと、顔を見合わせて、それからきゃらきゃらと笑いあう。
「今日はここで一休みして、明日取材だね」
「うん。お土産はまた明日、帰る時に、ということで!」
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コヒメとアスミ、2人のフィクショノートならざるレンジャー連邦国民が、いくら直接戦火にさらされなかったとはいえ、自国同様に出兵直後であったゴロネコ藩国へとこうしてやってきたのは、温泉を楽しむ慰安旅行でもなければ、観光が目的のぶらり女2人旅というわけでもなかった。
「君らにはある仕事をやってもらいたい」
との仮想飛行士の言葉を受けた、偵察、兼、取材のためである。
「とはいえ…」
「はー、ふうー…」
かぽん。ばじゃー。湯殿に音が響き渡る。
ちちちちち…夜霧に小鳥の鳴き声が風情を添えて、月夜の風が、ひらり、木の葉を彼女らのもとへと舞い込ませた。
「さすがに強行軍だったから、今夜は休ませてもらわないとー」
「ですねー」
よく日焼けした素肌を、白いタオル一枚で隠し、表情筋という表情筋から緊張を解いたふにゃふにゃの笑顔で、2人は温泉に浸かっていた。浴槽となっている檜の香りが実にグゥ、である。
心なし、露天風呂から見上げる夜の色すら、あでやかに墨色深く青深いようで、ゴロネコ藩国の観光収入に寄与しながら彼女らは昼間の疲れを癒していた。
制服デザインの展示会場での裏方作業に、大吏族チェックのための経理資料の精査、さらにはレンジャー連邦の仮想飛行士たちを中心として行われた護民官活動のお手伝いと、大連合が終わるまでほとんどひっきりなしに特別な仕事が入ってばかりで、実際体を休める暇もなく、さすがに訓練で鍛え抜かれた彼女たちも、ここらで一息入れておきたかったというのも、偽ることのない本音である。
「へっへ、役得ー」
ざぱあんと顔を湯で洗いながらコヒメは笑った。
「ご飯もおいしかったよね、デザートのフルーツケーキがまた、ブランデーがきいてて…」
「りんごジュースもおいしかったねー! すごい後味さっぱりしてたし」
同じ食糧増産時の果樹園でも、国土が違うと、こうも違うのかと思える個性の違い。連邦特産のナツメヤシのジュースもおいしいんだけど、旅行先での物珍しさもあって、おいしさはひとしおだった。お互い同僚に、お土産はまずこれで決まりと、自分用のものまで買えるか財布とも相談しながら決めている。さいわい財布はここのところの激務続きで大幅な手当てが出ていたのでほくほくとこちらも嬉しいことになっているのを、ここでようやっと2人とも思い出し、予想だにしないしあわせに、何重にも喜びを噛み締めていた。
湯の香が、ふうわり、凝った筋肉の疲れを体の芯から温めてほぐす。女将さんのサービスも実に丁寧で、それでいて意識に自然と入ってほどよく楽しませてくれるので、邪魔にならずに夜の食事を心地よく楽しめた。お風呂上りに一杯、と考えてから、おっと、これでも一応仕事なんだっけ、と、改めて気を引き締めたのは、コヒメだった。
「…それにしても、見つかりますかねー」
「さあ…何しろ国でたった四人だけっていうし、私たちのアイドレスとも違って、相当レアな類だし」
彼女たちがこの国に派遣されてきた理由は、にゃんにゃん共和国の同志国の地勢を把握し、有事の際に対応できるシミュレーションデータを作るための調査と、もう一つ。
ある意味で、それこそがこの旅行の本題とも言える、重要な接見だった。
「噂によると、にれの巨木の下に居を構えているとか…」
「忙しくなければいいんだけど…もし無理だったら、手紙だけ送っておきましょう」
それは魔法。
誰の目にもただの一片の影響を及ぼさぬ、おそらくは、初歩中の初歩であると思われる、とある魔法のことについて、2人は質問に来ているのだった。
「…………」
「…………」
しとしとと、雨がこの地に降り始める。
明日は地下道を通って、まずは王都に訪問だな、と、コヒメは思った。
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レンジャー連邦の王宮内、壁に点々と等間隔でランプのつるされた、薄ぼんやりと暗い地下室に、てふてふとのどかしい足音が降りてきた。
「華一郎さーん、コヒメさんたちから郵便です」
「ん」
ありがとう、にゃふにゃふくん、と、その白い仮面をつけた黒衣の男はうなずくと、遠くゴロネコ藩国の消印がされている絵葉書を裏返して、そこに書かれている短い文章を読んだ。
『手がかりあり』
「…………」
その白面の下は、何を思うのだろう、冷たい笑顔の彫り込まれた仮面をにやりともさせずに男は葉書をテーブルの上に差しておく。
魔法使いならざる一介の文族。その身で何を、思うのか、手に取られたのは羽根ペン。
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-The undersigned:Joker as a Liar:城 華一郎
最終更新:2007年03月29日 22:35