【-感 ドウチョウ 覚-】
鋼のギアには肉が絡まり、流れるオイルに血が入り込む。
実際にそんなことはしない。けれども、心情はいつだってそのつもりだ。
I=Dの足の裏が、自分の足の裏のように。I=Dの重心が、自分の重心のように。I=Dの腕の動きが、自分の腕の動きのように。
感覚を精妙にリンクさせ、脳を介して指へとそれを変換、『本当に同調』させるために、文字と数字とを羅列する。
人が、空を飛べるか?
その感覚を知ることができるのか?
できるのだ。
脳の延長線上にして一部たる手足とそこからつながる鋼鉄・電脳・HEATあるいはそれらの反動あらゆるものを自分の動きとつなげて考え、フィードバックすることにより、それが、できるようになるのだ。
経験だけがその感覚を洗練させる。正しい手順をさえ一度固めて覚えてしまえば、あとは繰り返しが圧倒的な洗練を生む。
こう動かせばこう反応する。
次につながる操作ではない。次の次の、そのまた次と、有機的に結合した、複雑精妙な、時間を越えた動作の連なり。
そう、人の意志は時の流れを容易に跳躍してみせる。
さらに、その人の、意志と意志とが同調する。
それだけで何と多くのことができるのだろう。
頭でなく、体で理解する。
鋼のギアには肉が絡まり、流れるオイルに血が入り込む。
それは神経と神経とをつなぐインパルスのかわりにキーボードの、有形の液体が流れるかわりに無形に流れる想いの、火花散らすような作業量と総量によって成される人機一体。
ペダリング、視界に入るモニターの光の些細な変化、そうした予兆から予備動作から、感覚がI=Dへとつながっていく。
唇から放つものとは異なる言語で、私たちは語り合う。
―The undersigned:Joker as a Liar:城 華一郎
最終更新:2007年04月14日 21:42