~岩田アリアンと海:SS:二人が来るまでの時間~
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「フフフフフ…」
左手に埋め込まれた多目的結晶から流れ込むのは、非正規ルートで入手した気象データ。が、がぴー、がー、ざざざー…。
「イイ!」
気象データの解析結果に上書きが加わった。私に介入しているアリアンの仕業だ。天気晴朗なれど波高し、か。続いて響くのは、海の向こうから渡ってくるクルーザーの波切り音。ざざざざざあ…岩田の鼻先につけるとクルーザーに備え付けられていたクレーンが動き出し、コンテナを下ろし始める。かちっ。ワイヤーが解かれ、その4メートル強ほどの鋼の立方体が開かれる。
「…さすがですね、ブラック」
「例のものは」
船上に姿を現したのは、いかにも悪事を働いていそうな悪人顔をした壮年の男であった。ブラックという呼び名にふさわしく、その装いは南国の陽射しの中でもかなり黒い。無愛想な顔立ちの中からその唇が鬱蒼と開かれると、どこかしら威圧感さえ、常人ならば覚えたことだろう。
だが岩田もまた常人ではなかった。しましま水着に白衣というエキセントリックな格好をしており、白塗りの顔には面妖な紫の化粧が施されている。耳にはピアスリング、尖った耳、細い眉、怪しげな切れ長の目、どれもこれもが、尋常一様ならざる異彩を放っていた。
その長い手足がきりきりと動き、どこからともなく白い布袋を取り出した。さきほどまでひなたに出されていたのだろうか、気のせいか、ほこほこと布地が怪しげにふやけている。
「女子学生の夏用指定、800gです。純度100%、上モノですよ」
「フ……」
男は布袋を受け取りコンテナの中に梱包されていたものを運び始める。いかにも恰幅の良い悪人然とした見かけによらない逞しさが、電話BOX丸々一つを砂浜の上へと押し出した。その隣におかれていたなにやらレンズつきの小型機械を自分で取ろうと岩田が立ち上がろうとした時、ソックスブラックは満足するに価する報酬に浮かべていた不気味な笑みを消し、裏マーケットの親父として彼を手で制する。
「お前はそこで休んでいろ、バット」
「すみません…」
「気にするな。アフターサービスだ」
よく見れば、岩田の白く塗られた顔は心なしやつれており生気がない。優雅にビーチパラソルとベンチを広げて寝そべっていたのは何もリゾートを一人で早めに満喫しているわけではない。
「それに、ここには上客が多いからな」
岩田は何も言わずに笑うと素直に従って、あ、そのBOXはここです、などと、アリアンからの介入を受けて厳密な指示出しをする。それとこことここに仕掛けを。そうです、海辺ですからね。
その指示に従いすべてのものを配置し終えると、親父は再び船上へと戻っていく。
「じゃあな」
「はい」
ぶるるん、ぶるん。がたがたがた…っ。
エンジンがかけられ、船影が遠のいていく。正規の船着場に行き、ヤヴァネット経由で注文された通販の品を校内へ卸しに行ったのだ。
「やはり自爆はロマンですね…」
満足げにひとりごち、それから脇に広げていた小さなサイドテーブルの上で筆を取る。
元気のない自分の姿を見せたくなかった。ありがとう。ククク、中々のいやらしい水着ですね。アリアンによろしく。
…こんなものでいいだろう。くまは、怒るだろうか。藤崎は。考えてから、紙を裏返し、そこに書付を残そうとして手が止まる。
もしもこれが彼女達の見る私の最後の言葉だとしたら、どうだろう。私は満足するだろうか。
その考えはなかなかに魅惑的だった。
多分、する。
だから、やはり筆を取る。
全部嘘。書いて、満足げに笑った。
本当のことなど何ひとつ書かなくていいし、残さなくていい。最初から最後まで、何が本気で何が嘘か、わからせないぐらいでちょうどよい。
それでも。
それでも私を求め、見つけ出す人に、私は私という存在の中身のすべてをグラスを傾け注げよう。
介入されていながら岩田がアリアンを信頼している唯一の理由が、ただ一つ、その考えだけが、完全に一致していたからであった。
このいつもの悪戯も、彼なりのひねくれた愛情表現なのだろう。そして私も。
愉快犯は、すべてを自覚している。
愉快犯は、すべてを自任している。
もうすぐアイドレス本土から藤崎とくまがやってくる。くまはどんな水着を着用してくるだろうか。藤崎は。
くくく。
既に書いてある文章を読みながら、その時の彼と彼女の反応を想像すると、笑みが止まらない。
にやり、岩田はその唇を細く横に引き伸ばして笑いながら立ち上がる。
さあ、隠れなければ。
ぽちり。ちゅどーん。
それまでいた場所のすべてが火薬に吹っ飛ばされる。ぴー、ががが、が。何事もなかったかのように砂浜が復元。美しい白を保ち続ける。
アリアン、アリアン、聞こえていますか。
私の死んだあとも、彼女たちをよろしくお願いしますよ。
『おー海水浴日和だねー!いい天気!』
『天気よすぎ・・あつー』
賑やかしい声が響いてきた。よかった。くまの水着は、とてもよく似合っていた。
心置きなく、からかえる。
そうして岩田は離れた岩陰に滑り込む。
「今日は、本当に暑いですね…」
そう呟いた唇には、とても満足げな微笑が浮かんでいた。
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-The undersigned:Joker as a Clown:城 華一郎
最終更新:2007年08月25日 17:41