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名残りのような肌を刺す日差しとは裏腹に、風は既に心地よい涼感を含み始めていることに、その男は気付いていた。

年の頃こそまだ若そうだが、ゲルマン系の特徴を備えたその顔立ちは、スマートさを感じさせる彫りの深さで表情の読めない鉄面皮を保っており、独特の威圧感すらかもし出している。あたりを見回している、大柄な白人男性。

見慣れたものでなければそうとわからない、ほとんど雰囲気だけの変化で、彼は口元にかすかな笑みをほころばせると、ゆっくり歩を進めた。待ち合わせていた彼女はやわらかく微笑みそれへと手を振り、返す。

「もう、秋ですね」
「そうだな」

並べば頭2つは違うその男の、隣に並んで、萩野むつきはそう言った。ぐいと男は上着を脱ぎ捨て、引き締められた肉体の稜線をさらす。背の高さもさることながら、厚く、がっしりと実直そうな筋肉が、むつきの前に現れる。この肉体は、見た目以上の働きをすることはないが、決して期待を裏切ることもないはずだ。常に変わらぬ確実な力を発揮し続ける、等身大の誠実な印象が、そこに現れていた。男、そのものと変わらぬ肉体だとも言えただろう。

宇宙の、そして火星の海を文字通り潜り抜けた、元・太陽系総軍の騎士、カール=T=ドランジである。その本来の名をドラケンといい、ヨウヘイという、遠く、祖先に日本人の血を持ち、代々パイロットを輩出する家系に連なる男であった。

ドランジが水着だけになり、波打ち際から身をどんどんと海面に浸していくと、むつきもまたそれを追った。灰色の髪をまとめた、可愛らしい女性であった。どこか揺らがないところを持っており、それが自然とやわらかさになってあたりの空気を包むようなところのある、女性だった。

たった1組きりの男女は南国の海を思う様に泳ぎ、回る。

「――――…」

足の裏をちりちり焦がしていた砂粒が、踏み込むだけでゆるいぬかるみに拭い去られ、そしてやがてはそれすらなくなり、ただ、身を包み込み、流れる、清冽な力の世界一色になる。

水を掻く、手足が流れを生むのではない。流れを貫いていく、体のすべてが、感じる流れを生み出している。

ぐ、っと、頭の先が押されているような軽い抵抗感。弾けるほどの滑らかな動きに蹴散らされ、それが気持ちのよい爽快感に換えられる。

海の中で見た世界は、なぜだろう、ずっと色濃く水中眼鏡越しの瞳に感じ取られた。

鮮やかな、色。

空気よりもずっと濃い、空気の中を生きている魚達。その俊敏で何の抵抗もないかのような動き方は、自分の体が無性に悔しくなるようなものだった。

珊瑚の森は、海の森。ごつごつと武骨なほどにありのままの海底は大地。ここにはかつて人が遥かな昔に失った、とてつもなく広大な世界が、今、なお、変わることなくあり続けているのだ。

そこにある、なにもかもが変わっても、なにひとつたりとも変わらぬことがある。それは、命が命であることだ。そこに命がある限り、世界は何ひとつ変わっていない。命の織り成すきらめきこそ違えども、命の光に違いはない。

海は、光に満ちている。

心で感じる、光の海が、ほんの呼吸いくつか分の酸素が持つ間だけしか属せない、それほど遠い場所になっていることに、無意識に、自分の体が悔しがるのだ。体と、意識は、つながってはいても一つじゃない。自分は意識に依ってあるけれど、それっぽっちの小さな小さなものじゃない。ここにいると、それがわかる。

風よりも濃いものでつながった、命の光と光の、距離は近い。

瞳にそんな世界を写し込んでから、萩野むつきは浮上した。ほとんど同時で変わらない、けれどもほんのわずかに後につく、そういうやさしい動きでドランジは彼女が浜辺に上がるのをエスコートした。彼の意識はむつきを後ろからやさしく包んで追い越し、その行く道にすら伸びている。

深く、潜り込んだ体に、砂浜の熱が心地よい。ドランジはむつきの手荷物を取ってあげ、むつきはにこりと、その中から金色の小さなものを取り出し手渡した。丸い金色だった。粒を縒って紡いだ、その粒の丸さよりも丸いほど、それは穏やかに丸い色だった。やさしげな黄金色、タツノコの形をした、ストラップ。

眼鏡をかけるとむつきは、ストラップを脱ぎ捨てた服のポケットに、なくさないよう、踏まないよう、気付かないことのないよう、忘れないよう、大事にしまいこんだドランジの傍らに寄って、そっとその腕に抱きついた。

「………………」

微笑みあいが、通じ合う。ぐいとドランジは、ほんの少し腰を落としただけで、ほとんど体の片側だけの力でむつきを持ち上げ肩に乗せた。迷いなく、力強い、まっすぐな感触を、その時むつきは抱き上げられて触れた箇所から感じていた。

まぶしそうに濡れた二人は空を見る。日は天高く二人を見ている。青空は、白い雲に、今一時だけの濃い青の、その濃さを際立たされていて、雲は、青い空に、変わらぬ艶やかさを引き立てられている。

二人が見つめている間にも、空は、広く、濃く、強いものから、高く、透明へと姿を変えていく。まぶしいほどの昼下がりが、刹那に過ぎ去り、ほどけていくかのようだった。

むつきを肩に乗せたまま、防波堤を巡り、見える限りの景色の変化を一緒に楽しむと、ドランジはまた海辺に戻って彼女を砂の上に下ろした。

見える景色や、移り変わる季節のこと、海の中で見つけた珍しい魚や珊瑚のこと、そんな他愛のないことを、ゆったりとした時間の中で語り合った後のことだった。

肌には潮風と水着の吸った水の湿り気で気付かないほど薄く汗がにじんていて、それを洗い流すためにも二人は再び海に挑んでいった。どちらがどちらを導くわけでもなく、二人が一緒にリードしあう。意識する間もないほどに、自然に二人で過ごしあう。

くつろいだ時間だった。

ぎゅうっと濃く、疲労が感じられる前に、二人はどちらからともなくまた砂浜に上がり、用意してきた軽食や、ドリンクで体を潤した。

ドランジがたまに、これはどうやって作ったのかと聞いて、むつきがそれへと身振りを交えて簡単に説明してみせる。なるほど、自分もやってみよう、そんな風にドランジは真面目に聞いて、気がつくと話題がいつの間にか別のことへと流れている。ゆっくり腰を落ち着けて休んだ後は、今度は泳ぐでもなく波打ち際を、足を浸しながら、歩いていく。

いつしか夕暮れが、黄金色に世界を染め始めていた。

あのタツノコのストラップと同じ、とてもやわらかな丸い黄金の色を、空も、水平戦も、見せていた。

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「私、幸せだ」

ありがとうと満面の笑顔で見つめられながら言われる。

「自分もだ」

ドランジは、感じていた。

「自分も、今日はとても幸せだった。いつまでも、こうしていたい気分だ」
「はい。でも、もうそろそろ帰らなくちゃ」
「そうだな…国でも、また、あえる」

一緒に帰るか。そう、言いたくはない自分がいるのを、感じていた。

空気は肌に冷たいものを含み始めている。日が沈みきる前にここを発ち、政庁へと彼女を無事送り届けることが、今日の自分の最後の役目だ。それは重々わかっている。

「一緒に帰るか」
「はい!」

屈託なく笑うむつきを見て、ドランジは自分の言うべきことが正しかったことを改めて確かめる。

そうだな、今日は、もう、帰ろう。

置いていた上着から砂を払い袖を通すと、同じく手荷物を持って帰り支度が終わったむつきと共に、並んで海岸を後にしようとした。

と、くるりと先行したむつきがやにわに振り返る。

「―――また、来ましょうね」
「ここへか?」

それは、ドランジにしては珍しく迂闊な返しだった。そうだな、と頷くか、少なくとも、ただ聞き返すだけにして、拒んだようにも感じられる返事はしない。我にもあらず、考え事をしていたせいか、と瞬時に自省。だが、むつきは首を横に振った。

「一緒に休暇」
「―――――ああ」

今日、初めてとも言えるほど、ドランジは大きく微笑んだ。

やっぱりその表情の変化の度合いは、見慣れたものしかわからないほど、ささやかだった。

むつきはにっこり微笑み返し、そうして二人は後にする。

小笠原の水平線は、やわらかな薄墨色に包まれて、夜の訪れを安らいだ潮騒と共に、告げている。ずっと鳴り止むことのなかった昼間とも、まったく同じ響きでもって―――

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~小笠原と宇宙の騎士~ 了

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-The undersigned:Joker as a Clown:城 華一郎