ごりごりと愛らしい顔の瞳に亀裂が走る。たっぷりとした瑞々しい唇の肉感、長いまつげ、天然に整った、少し濃い、ゆるやかにつりあがった両の眉。首から肢体をきゅぽんと覆う、ふれずともわかりそうな柔肌は艶やかで白。胸元は腰部は太股は、ぐりんと内側から筋肉が形を引き締めていることが瞭然なはじける形状。剥いた歯からは透明がきらめき、牙が獰猛に、笑うようにも、威嚇しているようにも見えている。
大きくコケティッシュなどんぐりまなこがぎらぎら。ぷりんとしたやわらかそうな、そのせいで少しあつぼったくも見える唇が、ぎろり。くるくるとまるでその目の周りに映える炎のように、まつげが美しく吼え猛り、それでいて、首筋はほどよくまろやか。その曲線が崩れることなく体を包み、うっすらとも筋肉の稜線は見えず、けれども肌身は厚すぎず、健康的なバランスを抜群にたもっている。
何よりも、その、髪。
きゃらきゃらとあちこちに跳ね回る癖っ毛が赤く、まるきり炎を従えているようで、肩から背中の上の部分あたりを粗く覆ったその色彩に、まとったモスグリーンの軍用ジャケットがこんな彼女に似つかわしいほど猛々しい。
ぷわり、ぷわり、足跡は素足。やわらかな足裏が音をひょうとも立てず、薄く半目に悠然不敵と笑いながら歩いていくその威風たるや、炎の滑らかさを具現化した剣の如きで、それが、ただ一振り無造作に来るのではなく、四肢、髪、いやさあらゆるおうとつそのものが、そのような刃のぬらぬらと生えたような異形の刀身、否、もはや刀剣の領域を通り越し、一個の強固で魁偉な存在のように、見せていた。
腰に手を当てて歩くその姿態が危険である。隙だらけのように見えるはずなのに、火を噴いているかの如く近寄りがたい。獣の瞳孔が常ならざるものの威圧感をかもし出し、遊んでいるように、そして実際そうなのだろう、辺りを面白げに見回している、そのまなざしすらもが、かちゃかちゃと刀剣のこすれる火花のようで、切っ先をいつ向けられるものか、見るものを落ち着かなくさせる。
爪に美しいキューティクル。滑らかに鋭く、ぷわん、と、ほほにでも、触れただけで血の玉が浮かんできそうな。
同じくモスグリーンの、これはジーンズを短く切り詰めた意匠の短パンに包まれたお尻が歩くたびにたわわに振れる。楽しげな光景ではない。肉食獣の後肢が見事に盛り上がっているようなものだ。いつ、地を蹴り飛びかかるために躍動するかわからない、そんなものにのんびりと美的あるいは性的な注釈をつけられるやつは、二重の意味でしあわせだ。
へそのあたりには、ゆるく、真ん中に線が入っている。これだけが鍛え上げられた肉体の痕跡を、疎いものでもわかるようにしるされた、唯一のもので、きゅとくびれたウェストの露出に、絶対的な自信があるがゆえの軽装であるという以上の意味を見出すことは難しい。
歩けば炎止まれば溶岩、まるきり落ち着くところをまったく知らない、エネルギーの塊。ちろりとのぞくピンクの舌が、本物のサラマンダーのそれであったとしても、もはや誰も驚きはすまい。だが、実際にその口の中に収められているのは、レアーな血の滴る肉。
何の肉だろうか。
当たり前に考えれば、そこらの野生動物のものなのだろう。だが、ここ、この場に立っているということと、血の滴るということとを結びつけると、自然、次に食われるのは自分ではないかという、理性的には極めて狂った、だが、動物的にはまるきり正しい本能が働くのは必然だった。
蠱惑がある。
食われたい、という狂った衝動を、男にも、女にも、抱かせる、蠱惑がある。
そのものの肉となり血となりまた快楽となるのであれば、悦んでこの身を捧げよう、と、思わせるような、言葉では表現できない、理屈でも表現できない、物理的には決して正しく表現しえない、体を突き抜けていく、磁力のような、魔性があった。
細胞が、そちらへ引き寄せられていくのだ。脳細胞の何十億あるか知らないが、そのうちどれだけがきちんと働いているかは知らないが、残りの体細胞が、一つ残らず、それぞれに反応してしまっているのだ。抗いがたい。
そのような、蠱惑の磁気とエネルギーの嵐吹き荒れる、彼女はまるで、太陽であった。
あまりにも、近すぎる、決してこの地上にいてはならない、太陽であった。
彼女が動けば、それがどれだけ機械的には対応可能なレベルの速度を測定していたとしても、人の意識を、動いたことそのもので刈り取り、反応できなくさせる。身に迫る、危機が危機と認識できなくなる。見とれてしまうのだ。そして目が焼かれる。意識が焼かれる。神話にある火の化身したとすればまさにこのようなものか、と、知識あるものならばそう感じたかもしれない。それを判ずる知性は、見つめている時点でずたずたに引き裂かれ、用を足さなくなっているのだが、記憶の残滓が自動的に、そのようなことを、感じさせてくれたかもしれない。だがもう遅かった。彼らは見てしまったのだ。彼女を。
目をつむり、ひたすらにトリガーを引けば彼女を殺せただろうか?
それを肯定するだけの自信が、周りには誰もなかった。
弾丸が、たどり着く前に彼女はそこからおそらく消えるのだろう。そして気がついたら、グリップを握っていた両の腕が、骨ごと無造作に地面へ切り落とされている。それとも喉笛に爪の、内側へと生えているだろうか。あるいはもはや願望の領域ですらあったかもしれないその通りに、牙が、動脈を食いちぎり、赤く飛沫を上げているかもしれない。
一秒間に数百の弾丸が殺到するとしよう。
どうだろう。
当たったとして、彼女は、ちゃんと死んでくれるのだろうか。
太陽に、どれだけ猛烈な攻撃を加えようとも、びくともしないのではなかろうか。
鎧袖一触にすらならず、吹き出るコロナの一撃で、自分たちは今立つ大地の命ごと、皆殺しになってしまうのではなかろうか。
恐怖ではなかった。
自然現象ならばまだ恐怖心は抱ける。
だが星々に、畏敬以外の何を抱けるというのだ。
あまりに、遠い。
ただ肉体にすれば自分達より遥かに小柄なはずの、ただ平面にすれば自分達よりまったくか弱く見えるはずの、その存在を、存在たらしめている、内側よりも遥かに奥底に秘められたもの。魂。
その、質量が、自分達とは桁が違いすぎている。留めるところの技術がなければ伝えることすら容易には許されないほどの、量。
太陽を絵にはできるだろうか。
見上げるだけで、目が潰れる。
描こうにも、見ることすら許されないのだ。
筆舌にも尽くしがたい。
熱風が、空気を陽炎のようにゆがめているのではないかと、思うほど、彼女はこの場を支配していた。
見えずとも、空気が人と人との間を伝播して、居合わせたすべての人々に、それを感じさせた。
歩いている。どこを、歩いている。
放射している熱量が大きすぎて、その中心点が移動していることすらわからない。
目は、追っている。体が理解しないのだ。
ひょうとも音を立てずにやわらかな足裏がすらすらと一筆書きに彼らの間を抜けて回った。
誰にも触れない。誰にも触れられない。にこり、微笑みが、彼らを唯一撫でただろうか。
それは、一人一人の目をのぞきこむと、人生の、数年、数十年をいっさんに焼き尽くす無慈悲で巨大な眼球となり、天地を一人一人の内なる世界で砕いて潰して圧して通った。
もう、獰猛さはどこにも見当たらなかった。
ただ、愛らしく微笑み、一人一人に心からの愛情を注いで歩いているかのようだった。
戦いが、終わった。彼女が終わったと決めた。彼らが終わったと認めてしまった。
だから。
愛らしく、彼女は微笑んで、そして優雅に彼らを置いて、立ち去ってしまった。
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「…相変わらず常軌を逸したシミュレーターだな」
城内備え付けの、寝そべるシートタイプのそこからスライドアップしたハッチ。足を揃えて立ち上がるその顔色は青い。
対アラダシミュレーター。今日はなんだか敵アラダのデザインが趣味に走っていたような気もするが、一人として同じ相手が出てきたことはない。今日の相手は強そうだった。彼我の相対基準で60万倍は強いのではないだろうか。評価差で言えば33か。目分量だけは随分達者になったものの、こんな訓練に効果があるのかと、疑問視する向きもあるのを彼は重々承知でよくここに篭もっていた。
威圧され、腰が引ければそれだけで戦いにならない。
数を頼んで相手と戦う。それはいい。勝つことが大前提だ。でも、それに甘えて自分を磨くことは、忘れたくなかった。
平たく言えば、一人でも、アラダには負けたくなかった。
高い勝率を収めるには35のシフトが必要になる。常識から言って不可能だ。だが、それを覆すために、自分は今ここにいる。
作戦を立てるシフトする残り33ロールプレイをする残り31、イラストは描けない。一人で出来ることなんて、まあ、せいぜいがここまでだろう。
だが。
考えながら、にやり。
「あと、28万倍…無限じゃないなら、いくらでもやりようなんて、あるさ」
「そう…いくらでも、な」
めきり。
敗北し、打ちのめされ尽くした自分を払拭する、そのために。
一瞬前の屈辱を、握りこむようにして、かきあつめる。
男は再びシミュレーターへと、意識をもぐりこませた。
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-The undersigned:Joker as a Liar:城 華一郎
最終更新:2007年10月26日 17:11