文族事始め・ぱあと3:『そろそろ文章の話でもしましょうか』


小説だけではない、文章全般に共通する、「まあ普通アイスクリームに醤油かけないよね」みたいな常識レベルでの書き方というものを書いていこうと思います。あ、ちなみにアイスクリームに醤油かけて新しい味を開拓したい人は是非本気でチャレンジしてみてください、案外世界に名だたる文学とかって、本質ではそういうものが山ほどあります。

それはそれとして、一番大事なことを最初に書きますね。

読みやすくしてください。

ぐちゃっと盛られた料理は食欲がそれだけで落ちます。食べやすく取り分けられた料理は、それだけでついつい食べすぎちゃいます。それが文章におけるレイアウトの大事さで、それが箇条書きや、無駄なことを可能な限り徹底的に省く、同じ内容を少しでも繰り返すことのないよう吟味して項目ごとに書き分けることの意味です。

わ、わからないよ、そんなの!と、やり方がわからなくてパニックになる人は、まず落ち着くことから始めてください。慌てて麺を投げるとラーメンが宙を吹っ飛びスープが盛大な飛沫をあげることになります。

まず、その料理はどんな性質のものか、把握することから始めましょう。

ステーキをお茶碗に盛りつける人はあまりいませんね。どうしてでしょう。肉が器から無駄に浮いたりはみ出したりして、冷めてしまったり、そのことでおいしくなくなったりするからです。見た目にも、普通の人は慣れていないので、よっぽど頑張って盛りつけをしないとおいしそうだとは感じてくれないでしょう。

文章も同じことです。

たくさんあるうちの1つとしてそれぞれ手に取ってもらいたいなら、全部の料理をいっしょくたにするよりは、別の皿に取り分けた方が当然いいですよね。また、文章とはそもそも誰かに読んでもらうために書くものですから、相手や状況によっては印象を良くするために飾りつけをするみたいに敬語を使ったり、なるべくスマートにと業務用にえいやっとレトルトパッケージングするみたいに無駄を極限まで省いたり、目的によって適した書き方というのがいくらでもあります。

小説と同じです。

伝えたい、体験してもらいたい考え・イメージというものがまず最初にあって、そのためにはどうすればいいのか、自分で考えることが大事なのです。そうでないと、いつまで経っても教え込まれた通りにやるだけで、知らない状況に自分で対処することが出来なくなってしまいます。

何でも自分で工夫して、意味をわかって行動しようとすること。これがもっとも大事な心がまえで、その次に大事なことは、やろうとしていることに必要なものは何なのか、必要だと思ったら、いくらでも人に頼っていいと思うことです。

「何かをしたいんだけど、ここがわからない、どうすればいいだろう」というのと、「何かをしたいんだけど、とにかくどうすればいいだろう、教えてください」というのとでは、まったく意味が違います。後者は相手も困らせてしまいますし、自分のためにもなりません。

どうすれば読みやすいか、それはやっぱり自分で考えないと身に着きません。ですから、あなた自身が、あっこれ読みやすい、と思った工夫を、そっくりそのまま真似してください。かっぱらいバンザイです。レイアウトに著作権もへったくれもありません、いや、もちろんあるところにはありますが、これは読みやすいと思っても、参考になった、よし、別のやり方を自分でゼロから作り出してみよう!じゃ、まったく勉強した意味がありません。

使ってみて、その中でそのレイアウトがどういう意味を持つのか、あるいは小説ならその表現方法がどういう意味を持つのか、自分で理解していくことが、自分なりのやり方を確立するために一番手っ取り早い方法です。

一人前になろうと思ったら、ただぼんやりと誰かに教えてもらうのを待つのではなく、自分なりのやり甲斐や、これなら出来ると思えるとっかかりを見つけて、とにかく自分でやってみること。これ以外に近道はありません。

その代わり、これだけは保証します。

文章を書くというのは技術です。小説を書くというのも技術です。

必ず身に着きます。

どれだけ身に着くかは知りません。それは、その人がどれだけのものを求めるかによるからです。

あなたが書きたいものは、あなたにしかわかりません。

自分の中に、確かなものを見つけましょう。それを少しずつ育ててやることが、あなたなりの文章の勉強で、重ねる作品の履歴で、あなた自身のやり甲斐です。

頑張ってください。

ぱあと4:『幻をぶっとばせ!』へ、行ってみる?

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最終更新:2008年03月30日 09:42