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森の中をメイドが歩いていた。
いかにも日当たりのよい、何も無さそうな、気のいい森の中である。
足取りは軽い。すぐ目と鼻の先にまで、その光景が見えてきていたからだ。
上天気に花の香りが凪いでいるその家へと、彼女は一抱えほどもある袋を持って、訪れた。
ちょうど玄関で出くわしたのが、分厚い筋肉のドアーみたいな体をした、巨躯の男である。
2人で揃って声をあげる。チャイムのような不粋はない。ノッカーを使う必要もない。
ここへは友を訪ねて遊びに来たのだから。

「こんにちは。沢邑ですー。お邪魔しにきましたー」
「中々ご立派な家ですな」

中からはーいという返事。
なかなかに元気な足音で、玄関は開け放たれた。小さな少女を肩車している、家主だ。

「いらっしゃいませ。まあ、まずはお上がりください」

気さくな感じで足元に揃えて出されるスリッパ。
沢邑勝海と谷口竜馬は、こうして高原家へと客人として足を踏み入れることになったのだった。

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ゆったりとした間取り、解放感のある天井は、2mほどもあろうかという谷口の五体にも、悠々とした感覚を与えていた。のみならず、世界を放浪し、広めた見聞のおかげでその価値がわかる、この豪邸の調度の豪華にも、彼は驚きを与えられていた。

巨樹。
巨大であるがゆえにいびつで、いびつであるがゆえに自然で、そして、偉容。
家中にそびえるそれは、一般的な観念から見れば突出していたが、良く眺めてみると、実に間取りや物の配置と調和している。

家族四人と一匹だけではなく、客人も幾人と着ける広いテーブルの表面もまた、磨き抜かれた古木だった。

人の手ではない、歳月に、磨き抜かれている。
沢邑の感性はただただそれらの圧倒的な完成度に圧倒された。
魔法使いの家人がいる、ならではの風景だった。

さっきから小さな双子がきゅんきゅんと谷口を見上げては目を輝かせている。
既にお土産は家主である高原鋼一郎に手渡されていたが、沢邑の手元にはまだ袋が残されていた。
大事そうに握りしめつつ、挨拶。谷口は子供達に見上げられて、いまいちわかっていない。

「アララさん、こんにちは。……それと雷蔵くんははじめまして、ですね」
「あ、こっちは息子です。ほら、二人ともちゃんと挨拶しなさい」

夫が促す傍らで、アララは笑顔で谷口を見上げ続ける息子を蹴り飛ばした。バウンドして動かなくなる雷蔵。猫が慰めている。

不憫な息子を手馴れた様子で蘇生させる鋼一郎。なかなかに頑丈な光景だ。

「翠蓮ちゃんもはじめまして。挨拶おくれてごめんなさい」
「高原翠蓮と申します。お見知りおきを」

少女は沢邑が頭を垂れるのへ、礼儀正しく同じようにしてお辞儀を返した。

「うわ、翠蓮が難しいこといった!」

何もかもが違う片割れに、がびんとなる雷蔵。

翠蓮の頭を誉めながらなでる鋼一郎。
アットホームな雰囲気に、はははと谷口は沢邑と談笑している。
奥では優雅に美麗に忙しなく、アララがもてなしのための準備をすすめていた。
そこへ、翠蓮もミニアララみたいな風情でちんまりしっかり混ざる。

手際がなかなかによい。
子供だからとあなどれない、女の子ならではの利発さが、早くもその振る舞いからは垣間見えていた。
普段の癖で落ち着かなくする沢邑を、やんわりと止めるアララ。

時間が、いつもより穏やかに流れていた。

空間が広いだけではない。
空間の、広さと同じ分だけ、家人達の気持ちが大らかなのである。
来る途中にも胸一杯に感じたフィトンチッドの鎮静効果みたいな化学的な論理だけではない、心の論理が、ここにはあった。

沢邑は、そのことに気がつくと、手の中にいまだある袋を見つめて、迷う。
隣では谷口と雷蔵が相変わらずのやりとりをしていた。

「その筋肉、魔法?」
「いや、努力だ。あとは食い物だな」

かつてターニ・キルドラゴンとして遍歴を重ねてきた谷口竜馬には、人好きのするような、頑なな角の取れたところがある。それが、男の子らしい逞しさへの興味と結びついているのだろう。もっとも、物怖じしない雷蔵の頑丈な性格も大いに関係してはいただろうが。

「日々の鍛錬の賜物ですか。見事ですねえ」

鋼一郎が自身もくつろぎながら相槌を打った。
天性の骨格のみではない、鍛練の成果による肩幅と胸板は、事実そのように感嘆されるに価する。

太い。
首も、手首も、胴も、足も、腕周りも、何もかもが、太い。
それゆえに、とてつもなく大きく見える。

柔道と、勉学と、戦場と、冒険とが磨き上げた、家中の巨樹に勝るとも劣らぬ、偉容であった。

あまりに体格が大きすぎるのだろう。
耳にすれたようなところはない。彼を寝技まで持ち込める有段者が、おそらくはいなかったに違いない。

畳で擦れると、耳は腫れ上がる。
海老や、逆海老という名前で知られる、背筋を使って体をくねらせ相手の組み伏せから脱する技術があるのだが、谷口の膂力を持ってすれば、生半可な学生レベルの技術では押さえ切れないのだろう。だから耳が腫れ上がらない。

代わりに、ファンタジー風のその格好の下には、それよりもっと生々しく無数の傷跡が残っているはずだ。

世界から、今は異端、異物の存在として排斥される運命を持った、風渡るものならではの、旅の証である。

谷口は、先ほど雷蔵を慰めていた猫が、それきり姿を見せていないことに気付いていた。
だがそれを殊更に強調するでもなく、雷蔵の疑問へと謙遜で返している。

やわらかい態度だ。

一連の会話に加わりつつも、迷う沢邑。
ためらいながらも、彼女は彼へと声をかけた。

「……あー、あのー……谷口さん」
「はい?」

なんでしょう、といった風に、自然な調子で谷口は振り向いた。
彼の目に、彼女の緊張で紅潮した面持ちがどう映ったかは、本人にしか分からない。
ただ、もう、差し出すだけで、目一杯。

「あの、やっぱり、あの薔薇物凄く高かったんで……これ、追加です!」

そう言って彼女が差し出した包みは、彼の大柄な体格にあわせたジャージが入っていた。

「…いえいえ。おかまいなく」

やや紫がかった青を基調に、紺でボディラインを引き締めて見せる、手製のものだ。

谷口は丁寧な口調で礼を尽くしながらもそれを受け取った。
大きな手で握られて、包みがぱりりと鳴る。

その、彼と彼女のやりとりから、自然に外れる形で高原父子は話している。
鋼一郎の、細やかな心配りであった。

「ジャージだったら何処でも使えるかなと思いまして……この国、出て行かれるんですよね、たしか……」
「ええ。いつまでも浅田の家にいるわけにもいきませんし」
「その、やっぱり知り合った人が国離れると……ちょっと、寂しいですし。
 と言うか、かなり寂しいです……あははー」
「やっと仕事が出来て嬉しい限りです」
「……そうですよね。その、向こうに行っても元気でいて下さい。」

はきはきと答え、笑ってみせる谷口。
対照的に、沢邑は言いよどみ、言葉を選びに選んでいる。
勇気を振り絞って告げた言葉を、谷口はさらりとかわして運ばれてきた料理に気を向けた。
それで沢邑も、立ち上がって料理を運ぶ手伝いをする。
むしろ、救われたような心地だった。

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食事はとてもおいしかった。
料理を取り分けてもらった谷口が、赤面したのにあわせて沢邑もちょっと照れたり、谷口の誰かを語る口調に、早熟にも何を感じたのやら、翠蓮が何故か父・鋼一郎をぽかぽかたたいたりしていたが、概ね平和に過ぎた。

客人を送り出した後、戴きもののガラスタイルをしげしげと眺めながらアララはそれをテーブルに置いた。

対面では、鋼一郎が同じく戴きものの果実酒を嗜んでいる。

猫のアントニオがその膝の上で、にゃあと鳴いて丸まった。

子供達は、今はお風呂だ。

この家の様子は変わらない。

夜のとばりが落ちてきても、木々に取り囲まれ、やわらかい星月夜に包まれ、昼よりいっそ優しい雰囲気がただようばかりだ。

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町の夜空は光に満ちて、星が良くは見えなかった。
番犬のような谷口に町まで送り届けられてから、1人、沢邑はその夜空を見上げている。
空の袋が手の中でからからと風に揺れて音を立てる。

観光大国であるところのキノウツンの城下町は、むしろこれからが本番とばかりに雑踏で溢れ返っていた。

賑やかな人込みを避け、見晴らしのいい、政庁近くの丘まで上がる。
ここまで来れば、藩邸はあと少しだ。

警備も行き届いているので、人気のないところとはいえ危険もない。

居住区を取り囲む壁の中は、大分緑化が進み、前シーズンの途中からこの国を訪れた彼女にとってさえ、随分と様変わりして見えた。

それでも風に、砂塵が舞う。

水平線が、遠い。

「……………………」

言葉を何も口にすることなく佇む彼女の、まなざしは遠く。

それは水平線の彼方よりも遠く。

けれども、決して険しくも、厳しくもありはしなかった。

再び見上げれば、星空は満天。

濃い夜の、すぐ向こう側に、瞬いている流れ星――――

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署名:城 華一郎(じょう かいちろう)