真昼の太陽が、一人の白衣の女性の頭上を、さまよう様に照りつけていた。
島々を揺らめかす陽炎。
慣れた肌にも汗を生む、容赦のない灼熱。
その灼熱をやわらげるのは、海から来る潮風だった。
風は、凪いでなおも潮の香りを運んでくるほどに、彼女の周りを取り囲んでいた。
港から離れたところにある、穏やかな農村だ。首都からはほど近いところにある。
といっても、海底都市であるところの紅葉藩国の首都・メープル市からは、陸上の光景など見えはしない。
風も、太陽も、ドーム型の天井の、揺らめく蒼の向こう側に位置する存在であり、高床式の木造建築こそ国のどこへ行っても変わらないものの、近代的な施設の乏しい村落には、時の一段緩やかな流れが落ちていた。
国策ゆえ、最低限にしか切り開かれておらぬ、みっしりと群生した熱帯雨林。
その葉の色にも似た、緑の瞳の視界を、木々より高く遮るものなど何もない。
海上では太陽に照らされて上気した雲が、むくむくと姿を現そうとしていた。
海鳴りがぼんやりと耳に木霊する。
遠く盛り上がった雲は、けれども入道雲には成りきらず、視界の端で、押し流されては消えていく。
それだけの時間を、彼女は一人、佇んでいた。
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駆け抜ける足音がした。求めるものを持っていた目が、その源をはっと追う。
子供達が走っていた。
小柄だが快活な、はしっこいその足取り。
曲がり角に元気よく消えていく姿を、何とはなしに、足が追いかける。
今は、何でもいい。動くための口実が、欲しかった。
かいた汗を散らしもしないほどの距離を行くうちに、視界は新たに開けてくる。
村落の中、そこだけは特別な用途もなく開けていて、おそらくは集会などに使われているのだろう広場を、きゃあきゃあと転がるような声を弾ませて、子供達が1人の黒衣の青年を取り巻いている。
生い茂っていた木々の、すぐ向こう、最初に佇んでいたところとほんの十数mほどの距離に、日向玄乃丈が立っていた。
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「せんせー!」
「せんせ、遊ぼ!」
「んー!」
長身の日向の、長い足や腕に、ぶらさがり、抱きつくようにしてくっついている子供達。とてもよく懐いている様子が伺えた。
目を隠すサングラスもなく、いつもの黒尽くめのまま、日向は穏やかに笑んで、順番だぞ、と彼らに告げる。
行儀よく並んでいく子供達。
日向の視線は、その向こうで立ちすくんでいる女性の上を素通りする。
びく、
と、視線が向けられた瞬間だけ、小さく身が震えた。
順番に子供達を抱き上げて、リクエストに答えるように、日向は彼らを腕に乗せたり、一緒に回ったり、そうして戯れ続けた。
小さな目の不思議そうな視線にさらされながら、ぎゅうと握り拳を膝元で二つ作って、懸命に日向の方を見ぬようにしては、ちら、ちらと伺ってしまう、目。
周囲を取り囲んでいた子供達は、自分達の列の一番最後に並んでいる女性の雰囲気と様子に、なんとなく立ち入ってはならない『大人の話』を察したのか、好奇の視線を投げかけつつも、邪魔にならぬよう遠巻きに散っていく。
立ち昇るのは、皆で遊びを誘いかける、賑やかでよく通る子供達の声、だけ。
日向とむ~む~は、しばらく黙って対峙した。
ほんの1秒ほどもない、長く長く感じられた無言の後に、視線を交し合っている2人の間に、言葉が生まれた。
「大きな子供だな」
「……こ、子供じゃないです」
冗談めかした日向の台詞にぼろぼろと涙が零れてくる。それでもむ~む~の緑の瞳は日向から目を離そうとはしなかった。
「……」
にじんだ視線の先で、それを見て、日向が笑う。
「会いたかった……」
そうか、と、言葉少なにいらえる日向。
「どこにいるか、ずっとわからなくって。あせりすぎて。
日向さんを探してもらおうとした知恵者さんに、すごく申し訳ないことまでしました…」
必死に伝えてくるのにも、いらえは少ない。
「……きいてた」
日向の口元から笑みが消える。
ゆっくりと、続けて言葉が吐き出された。
「ほんとはもう会わないと思っていたが」
「……どうして?」
おずおずと、聞き返す。
「なんとなく。顔あわせるのが、つらかったから」
日向の顔から、少しずつ、表情がなくなっていく。
それとは対照的に、涙でくしゃくしゃになりながらもいっぱいに表情を使ってつたなく言葉を使おうとするむ~む~。
「私は、ずっと会いたかった…今までずっと探してたんです。こんな近くにいるって知らなくって」
「探すのは難しい」
探偵である彼が、そう言ったので、む~む~はふと昔の事を思い出して、笑ってしまった。
「……でしたね」
涙もぬぐわずに見つめ続けてくる彼女の事を、日向は黙って見つめ返している。
サングラスの黒も遮ってはおらぬのに、表情の読み取れないその瞳。
口が、彼女の見つめる中で、ぼそりと動いた。
「元気だったか?」
「……なんとか。手がかりがあるかもって聞いた後は
食べて寝て元気ださないと探しにいけないって思ってたから……」
「……俺のこと、少しは好いてくれてたんだな」
「少しじゃないです!」
ぎゅー、と、こらえきれなくなったかのようにむ~む~は思いきり日向の事を抱きしめる。
長身の胸の中に飛び込むようにして抱きしめて。
そしてその抱擁のさらに上からぎゅうと、包み込まれるように抱きしめ返される。
「……少しじゃなくって、大好きです。愛してます。
桜の園で会ったときから言ってたのに」
「ほんとかどうか分からない」
「……どうすれば、分かってもらえます?」
「……」
「病院で死んでいるあなた見た後、ずっとろくに眠れず食べれずすごしてきたことを言えばいいの?
二度と会えない夢見ては、夜中に子供みたいに泣いていたことを話せばいいの?」
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空に雲が浮かんでいる。
南洋の空には似つかわしくない、切れ端のようなか細い雲。
肌を焼くほどの強い陽射しに、今にも消えてなくなりそうな、白い雲。
風が、たなびかせていた。
「一番分からなかったのは、俺の心だ」
む~む~を抱きしめながら日向は言った。
「昔、好きだった女がいる」
言葉は短く、そしてとても少なくて。
だからこそ、それを放つ彼の唇と顔を。彼女はまっすぐに見上げていた。
「ずっと好きだと、思っていたかった」
彼らを取り巻く熱帯雨林の、その木々の葉の濃い色にも似た瞳を、日向は見つめ返して、そっと手を離した。
背を、向けようとしたところを、抱き止めるかのようにしがみつくむ~む~。
すがるようにして続きを乞い、促した。
「今は……?」
日向には、沈黙よりも他に返すべき言葉が見つからなかった。
さわ、と風がそよいで葉を鳴らす。
「その昔があって今の日向さんがあるなら、私は日向さんの昔ごと好きです。
それじゃだめでしょうか?」
日向の唇が、震えていた。
その唇を、懸命に腕を伸ばして、頭を抱えこみ、震えを止めてあげるように、唇でふさぎながら、彼女は言った。
「……好きです」
はらはらと、肩を震わせて涙を零しながら、日向は黙ってそれを受け入れた。
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太陽が、1人の男と女を照らしつけていた。
自分よりもずっと小さな女の腕で、涙に濡れる男と、その苦しげに震えた唇に、そっと唇を重ねて口付ける女。
黒衣の背と、白衣の背を、焼いて灼熱に撫でる太陽。
遠くには子供達の遊びに耽る笑い声と潮騒の音。
寄せては返す海鳴りのリズムに、重なるようにして触れる唇から伝わる鼓動と吐息。
いつまでも、いつまでも、2人はそうしてつながりあっていた。
金と銀との髪の色。
それは、決して1つにはならない心を象徴しているかのようで。
けれども2つの心は触れ合って、つながりあう事は出来ていて。
それでよいのだと言うかのように、凪いだ風、照りつける陽光が、じっと2人を覆っている。
切れ端同士がつながって、今はかさぶたのように盛り上がっている入道雲。
その厚い白が、そっと陽射しを遮って、優しく彼らを影へと包みこむ。
波の音も、笑い声も、いつしか耳には絶えていて。
そよぐ木々の葉擦れの音だけが、濃く、2人を取り巻いていた。
暑い暑い、南国の昼下がりの事だった。
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署名:城 華一郎(じょう かいちろう)
最終更新:2008年05月29日 18:52