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再び気がついたのは、夜だった。
ぱち、ぱち、という焚き火のはぜる音で目を覚ました私は、起き上がって周囲が夜であることを確認した。
幸い、焚き火もあるせいか体は冷えていない。
身の安全を確認した私は、ようやくなんでここにいるのかを思い出した。
「そうか、船が難破して・・・遭難したのか、な」
体はどこも痛くない。
どうやら怪我はないようだ。
体を触ってみても違和感はない。
あるのは唇に残る感触・・・唇?
それに、毛布みたいなのにくるまっているけど、服を着てない・・・!!
そのとき、後ろから声がした。
「あれ、起きたんだね。大丈夫?」
振り返ると、かばんらしきものを抱えた男がこちらに向かって歩いてきた。
「気分はどう?痛いところはない?」
そういって男はかばんを置くと隣に腰を下ろし、私の顔を覗き込んできた。
男は、優男風でめがねをかけていた。
「な、何ですかあなたは!?私をどうするつもり・・・?」
あまりに顔が近かったのと、現在の自分の状況を思い出した私は思わず後ずさった。
「どうって・・・どうもしないよ。助けた娘が無事かどうか、ちゃんと確認したいだけ。他意はないよ」
苦笑しながら男は答えた。
「助け・・・って、命の・・・恩人?」
「まあ、そうなるのかな。甲板から転げ落ちる君を見つけたんで、海に飛び込んで助けたんだ」
「あ・・・」
「で、海面に救い上げたはいいけど、脱出用のボートからは離れちゃったから、近くのこの島に泳ぎ着いたんだけどね」
そういえば、最初に目を覚ましたときに声をかけてくれた人と声が似てる。
顔もなんとなく思い出せる。
顔を見ながら、「あー、この人美形なんだ・・・」とわけもなく思う。
っとと、そうじゃない。お礼を言わないと。
「あ、あの私、知らなくて・・・ごめんなさい。ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
その男はそういうと微笑んだ。
う、この笑顔はかなりやばい。
なんだか背景に花が咲きそうだ。
「で、私はいったい・・・」
「うん、海に落ちたときにたくさん海水を飲んだみたいで、陸に上げたときには息してなかったから、人工呼吸を」
「じ・・・!?」
「いや、すまないとは思ったんだけど、死んじゃったら元も子もないし、って思ってさ。ごめんね」
私が慌てふためくよりも早く、素直に謝ってくる。
確かに、死んじゃったら何にも意味がないんだけれども。
でも今こうして生きてるわけだし、知らないうちに唇奪われたわけだし。
そう思いながら、ちらり、と男を見る。
目が合うと、「ほんとにごめん」と謝ってくる。
・・・どうしよう。
悪い人じゃなさそうだし、許してあげても・・・
と、いつもの癖で胸元に手をやる。
そこには、いつもどおり母の形見のロケットがあった。
が。
「・・・あれ?」
服を、着ていなかった。
実際には服の代わりか毛布のようなもので体をくるまれているようだが、一切服を着ていなかった。
「何で、私服着てないの?」
「ごめん!」
私が訊くのと、男が誤るのはほぼ同時だった。
「実は、濡れたままで体が冷えるとまずいと思って、その、服を・・・」
「あ・・・」
男は必死に謝ってきた。
「毛布はその、ほら。あっちに見える小屋あるでしょ?床が痛んでて使えなかったけど、毛布とか非常食とかはあったから失敬してきたんだ。えっと、その・・・できるだけ見ないようにはしたんだけど、ごめんなさい]
頭を砂にこすり付けんばかりの勢いで頭を下げてくる。
・・・なんだか怒るのも馬鹿らしくなってきちゃった。
私は「ふう」とため息をひとつつくと、男に向き直ってこう言った。
「ま、まあ今回は事故から助けてくれたってことでチャラにしてあげるわ。本当だったらこんなもんじゃ許してあげないんだから、感謝してよね。・・・初めてだったんだから」
「あ、それなら大丈夫。俺も初めてだったし」
「そんなの大丈夫じゃなーい!!・・・て、え?あなたも・・・初めて?」
「うん、そう。マウストゥマウスも、女性の服を脱がすのも初めてだよ」
あっさりとした言葉とは裏腹に、男はそっぽを向いていた。
照れ隠しなのか、男は鼻の頭をかく。
ずり下がるめがね。
「そっか、よかった・・・」
何がよかったのか、自分でもわからないけれど、そんな言葉が口をついてでた。
「ん・・・あ、そうだ。缶詰の入ったかばん拾ってきたんだ。たぶん食べられると思うんだけど、食べる?」
「あ、うん食べる」
ちょっと待ってて、というと、さっきのかばんを拾い、中身を広げ始めた。
缶詰は、芋、肉、野菜スープ・・・と、いろいろ取り揃えてあった。
でも、こういうときのお約束って・・・
「ねえ、缶きり、とかはあるの?」
「缶きり・・・はないけど、このナイフならあるよ」
男が出したナイフは、ナイフというよりは短剣に近く、結構贅沢なつくりっぽかった。
「・・・ナイフで切れるの?」
「ん。ちょっと貸してみ」
男は私の手から缶を取ると、器用にくるくると缶のふたを剥いた。
「ほい、一丁上がり。あとは火の近くで暖めれば大丈夫かなー。大きい器があれば水を張ってその中で茹でられて楽なんだけどね」
そういってウインクひとつ。
やばい、こういうときにデキる男って、ちょっとかっこいいかもしれない。
「・・・ありがと」
「あと、ハイこれ」
手渡されたのは、木でできた匙。
「・・・これは?」
「そこらの流木を使って匙を作ってみたんだ」
「へえ・・・これもそのナイフで?」
「そ。あると便利でしょ?」
なんて準備がいいんだろう。
そしてこの笑顔。
くらくらくら。
私、だめかもしれない。
頼れる男に弱い私は、このときすでに完全に参ってたんだと思う。
すっかり男のペースに乗せられてしまった私は、(男が作ったらしい)即席コンロの上に缶詰を並べ、二人で缶詰が温まるのを待っていた。
「・・・そういえば」
「なに?」
「名前、聞いてない。私はミル。ミル=ミリエル。貴方の名前は?」
「俺か。俺はアンリ。アンリエット、だ」
「え?」
私は驚いた。
彼が名乗った、アンリエットは女性名。
普通、そんな名前を名乗る男はいない。
いるとすればそれは、2種類しかいない。
詐欺師と、後は・・・
「あ、やっぱり名前信じてないでしょ。でもこれはまだ本名なんだよ?後3年経つか、嫁さん貰ったら真名になるけどね」
「嫁さんって…貴方もしかして王族!?なんでこんなところにいるの?」
そういえばいつだったか、船員さんに聞いたことがある。
4王族の一部には、生まれつき体の弱い男子は成人、もしくは婚姻するまでは女性名をつけて、災厄を避ける風習がある、と。
・・・いけない、頭がぐるぐるしてきた。
何で王族の坊ちゃん(あ、王子様か)がこんなところで私と一緒に遭難しているのか、そもそもなんで海賊船なんかに乗っていたのか。
言葉が出なくて口をパクパクしている私を見てクスリ、と笑うと、彼(アンリ)は自分のことを話してくれた。
「俺は次男坊なんだ。簡単に説明すると…うーん…そうだな、兄さんの手助けをするべく外の世界をもっと知ろうと、身分を偽って市井で学生やりながら働いてたんだ。で、ちょっとやばめなバイトに手を出したら捕まって、おまけに身分がバレて今に至るわけだ」
「案外ドジなのね」
「そういうなよ。ところで、えーと・・・きみは?」
「ミル、よ。私は・・・子供のときから商家の下働きやってて、10歳になってからはよく船旅のお供をしていたの。まあ、料理番と洗濯当番としてね。で、今回船が襲われてみんな捕まって…あとは知っての通りよ」
話を振られ、つい自分のことも話してしまった。
何でだろう…と思ったとき、ぐう、と腹の虫がなった。
まさか、聞かれた?と思いアンリのほうを見ると、彼もおなかに手を当てて『しまった』なんて顔をしていた。
「そっかー。お互い大変だったねぇ。でもまあ、助かってよかった。他の人のことも気になるけれど、まずは自分がちゃんとしてないと、他人の心配どころじゃないよね」
苦笑しながら熱くなった缶を器用に取り、私に渡してくれた。
「熱いから、落とさないで」
「あ、ありがと…あつっ!?」
しまった。
彼の手に触れないようにと変に避けたのが失敗した。
私は缶の熱くなっているところに触れてしまい、取り落としてしまった。
「大丈夫!?」
アンリはそう言うが早いか、私の手を取り海へとダッシュした。
「ちょ、ちょっと…!!」
勢いで立ち上がった私は、落ちそうになる毛布を何とか押さえてアンリについていくしかなかった。
「海水だけど、冷やせば何とか…痛くない?しみたりとかは?」
浅瀬で私の手を冷やすアンリ。
その目は真剣そのものだった。
「うん、大丈夫…けど、その…」
でも、私は別の事を気にしていた。
走ってきたせいで、毛布がズレまくってる。
かろうじて前を隠してるくらいで、油断するとずり落ちそうなのだ。
「え?じゃあ走ってる間にどこかぶつけたとか?だいじょぶ?痛いところは?」
指をつかんだまま、私の顔を覗き込んでくるアンリ。
思わず目が合ってしまった。
「「あ…」」
半ばずり落ちたアンリのめがね。
アンリの瞳に、月が映り込む
「綺麗…」
思わずアンリの手を握り締め、瞳に見惚れる私。
アンリも私を見つめてくる。
と、アンリの瞳が下に動く。
瞬間、見る見るうちにアンリの顔が真っ赤になっていく。
え?
アンリの眼鏡に、私の姿が映ってる。
・・・生まれたままの姿で。
と、いうことは・・・
「いやあぁぁぁぁ~~~~っ!!!!!」
私の絶叫が、夜の海岸に響き渡った。
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