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 気持ちのいい道だった。

 ひんやりと柔らかな土は程よい葉影に隠されて、たっぷりの水と濃い空気をトンネルのように並木同士で循環させている。
 目に透明で肺にすがすがしい清澄な光景は、きらきらと新緑に透けて降る陽光の賜物だ。

 何より、隣にソウイチローがいる。

 彼を求めて握る、自分より少し大きな手のぬくもりが、心地よい涼しさに相まって気持ちいい。

 きりり、目鼻立ちの鋭角な印象のある黒崎の顔は今、丸く笑顔で鎔けている。白衣の間を器用に飛び出た尻尾が小さく揺れるのは、猫の証か、はたまた密かな興奮の表れか、長く艶やかな髪色に同じ毛色で森の風と良く似合う。

 黒崎が男であった頃の間合いより、ほんのちょっとだけ狭まりそして安定した、気軽いはずの歩調は、だが、どこかいつもよりミリメートル単位で一歩一歩が短かった。

 辺りには人の気配もない。
 ソウイチローの誘いでのんびりと歩き出したのだが、そのソウイチローが足を止める。
 ポケットから小箱を取り出した。

 黒崎が硬くなる。
 緊張した面持ちで上目づかいに彼のことを伺って、確認がとれるや指の感覚も全神経を集中させ、ぱかんと蓋を開けた。

 べよよよん。

「にゃー!!」

 飛び出たおもちゃに肩透かしを食らって目を白黒させる黒崎。ソウイチローは笑っている。

「4月1日だからな」
「やるとはおもったけどーどーひどいいい~」

 ぽかぽかしてくる黒崎を、そっと片手で抱きしめながら、くるり、普段は国一番の名医としてメスを捌くソウイチローの器用な手が、袖の中から何かを滑らせた。

 ソウイチローが黒崎の頬に淡く手をあてがい、不服そうなその唇を塞ぐ一方で、ぽかぽかしていた彼女のぐーが、吐息も塞がれ、ぱーに緩む。

 一瞬のタイミングだ。
 頬へと移した左手の代わり、抱き寄せ続けようとしているふりを装い、下から滑らせた右手が対面の手をかすめ、そのまま腕をふうわり撫で上げ抱くようにして黒崎を支えた。

「指輪は?」

 問われて、悪戯っぽい表情を必死に堪えた顔が目をそむける。

 鼻の頭も触れ合う距離で、むくれる黒崎に頬を掴まれ、くいと目をあわされたソウイチローは、微笑みながら遂に言った。

「綺麗な指輪だな」

 小さな金色の輝きが、いつの間にか黒崎の左手薬指には宿っていた。

 ソウイチローの手にもある、同じきらめき。

 呼応しあうように、木洩れ日に明るく瞬いている。

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 縦横に道の張り巡らされ、近代化の香る王都周辺の街並みは、二人が婚姻届を取りに来る頃にはもうすっかりと、傾いた日の色に没していた。

 距離だけでなく、急ぎ足よりずうっと遅く歩いていたせいもあるだろう。建物の入り口に掲示された、受付終了のお知らせを読んだ後、揃って顔を見合わせ笑う黒崎とソウイチロー。

「陛下にお願いコースですね」
「明日じゃ駄目か?」

 ぎゅうと黒崎はつないでいた手を強くする。

「早い方が、嬉しいです」

 ソウイチローは手をつなぎ直すようにしてしっかりと掌同士を合わせる。

「今日ぐらい、二人きりでいたってバチは当たらないだろう」

 夕焼けに、寄り添うようにして触れ合う二つの影。

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 肌に馴染んだ瑞々しい風が、夜の優しい感触で駆け抜ける。

 王都のある三角州の、内陸側の突端に、二人は佇んでいた。

 海へと流れ込む二つの流れを目前にしながら固く手を結び合う。

「……」
「……」

 背後には、政庁のシルエットがそう小さからぬ姿で浮かんでいる。

 道から外れた、賑わうこともない、静かな一帯。

 意識の底には滾々と水音だけが染みてくる。

 ぎゅうと黒崎は隣の腕を抱きしめた。

 こんなところにも木々は根付いて影を落としていた。

 その木陰で二人は寄り添っている。

 月光が、目まぐるしく踊る水面の上を明滅している。

 昼間の鮮明さよりも、ずっと緩く柔らかな粒子にくるまれて見える世界。

 ソウイチローは何の理由も添えずに黒崎の額に口付けた。

「幸せだな」
「はい」

 溢れるほどの言葉はない。
 溢れるほどの体温が、鼓動と一緒に伝わってくる。

 笑顔さえも、交わさない。
 穏やかな二つの顔。

 夜色に似た黒崎の髪が、ふいと強まった陸風に後ろから押された。
 乱れそうになったそれを、そっとソウイチローの左手が、彼女の頭を抱き寄せるように抑える。

 すん、と、感じるのは、互いの白衣に付いた薬の匂いで。
 その奥に、確かにある、彼の匂い。

「匂うか?」
「あ、ううん。そうじゃなくて」

 離れようとしたソウイチローを引き止めつつ、じんわり、微笑みながら答える。

「ただ、ソウイチローさんの匂いだなあ……って」
「なんだ、そりゃ」

 おかしそうに笑われる。
 その胴に、腕を回して、ぎゅう。

「変な嫁だ」
「いーんです、変でも!」

 頭の後ろを、撫でる手つきの嬉しさに。
 黒崎は自分の顔が暖かくなっているのを感じた。

「今日はずっと一緒にいましょうね」

 青い薄墨の色合いに、染まる世界を前にして。

 しんしんと降る月光さえも、挟ませず。

 つむる目と目の間に、視線さえも必要とせず。

 二人は今日何度目かの口付けを、これまでで一番長く交わし続けた。

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署名:城 華一郎(じょう かいちろう)
最終更新:2008年06月15日 12:56