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青の宝石(後編)


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 ぴるりると、掛かる青空にさえずりが飛ぶ。
 日当たりのよい、開けたところにあるベンチで、クリサリスと和子はコロッケをつまみながら世間話を交わしていた。
 塗りもない、素朴な質感と形状とを生かした樹色のベンチは、周囲に溶け込み、よく調和している。

「最近、大きな戦いがあって、他のにゃんにゃんの国が大きな被害がでたそうです」
「それを理由にまた出兵する国が出る」
「うん、悲しい連鎖ですね」

 大変だな、と声をかけられて、和子はそれが自分にではなくてっきり世間一般の話をしているものと思って相槌を打った。

「大変な人に、私が何かお手伝いできることがあると、いいのですが……」

 くしゃり、新聞紙を押しのけて空になった紙皿をバスケットの中に押し込む。

 振り向いた先にあった、こちらを捉えている青い輝きを、だから彼女は予想だにしていなくて、どきりとした目が咄嗟に逃げる。バスケットから魔法瓶を取り出し、次いで紙コップに、粗茶ですが、と顔を赤くしながら中身を注いだ。

 手渡しで受け取ったクリサリスの瞳は、変わらずに微笑んでいた。

 男くさい、いかめしい顔立ちだ。
 その顔が、ゆっくりと前を向いて紅茶をすすり出す。それで少し落ち着いて、自分も紙コップに口をつける。

「貴方とこうして 一緒に紅茶が飲めたらいいなぁって ずっと思ってました」

 言葉にすると共に、ほ、と、熱い感触で緊張がほどけていった。

 歯切れのいいコロッケが舌に被せていったわずかな油の膜や、食べている間は楽しかったはずのとりどりの風味も、ともすれば香りの立ちすぎるはずの熱い紅茶が、不思議に余韻快くさらっていく。
 残されたのは、なんとも口に強い満足感と、お腹の中の爽やかな充足感。

 紙コップと一緒に手渡された紙ナプキンで指先をこするように拭っていたクリサリスは、黙って彼女の言葉を聞いている。心持ち、目線は上だろうか。
 その様子にふと言外の何かを感じた和子は、ぱっと真上を見上げる。

 鳥たちが舞っている。
 先ほどまでのさえずりは、どうやら彼らのものであるらしかった。

 影さえ落ちないほどに高所を翔けるその翼は、和子たちよりもずっとずっと小さいのに、絶えずはばたきを繰り返し、疲れも見せずに飛び続けている。

 彼らに元気付けられたように、にこにこと、暗い話題で湿っていた顔つきもやわらいで、和子は微笑んだ。

「鳥が遊んでますねぇ。 何か伝えたいのかな? 」
「お前は何がつたえたい?」

 クリサリスは帽子を取り、見つめるでもなく、ただ、視線を向けてきている。
 背もたれに体を預け、思いっきり鳥を目で追っていた和子は、問い返されて、唇を泣き笑うような、なんともいえぬ形にたわませながら、その言葉にこう答えた。

「いっぱい森を壊して、ごめんね。って。きっと治すから、また友達になりたいねって。  伝えたいです」
「…………」

 深く、帽子をかぶりなおしたクリサリス。
 口元にも、いつものように表情はなく、その青い瞳の向く先が捉えたものは、わからない。

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 包丁がまな板を打つ小気味よい音が、リワマヒ式の簡潔な台所に響き渡る。
 歯触りをよくするために、時折手で千切ってやれば、鮮度も保ちやすくなっていい。
 採光窓から差し込む陽光を反射する、金属製の小さなボウルに山盛り野菜を投げ込むと、並べた大小のガラス瓶入りの調味料群と、サラダ油のプラスチック容器とを見比べていた和子は、うーんと腕組みしながら首を捻る。エプロンなどはつけていない、動きやすそうな普段着のままだ。

 ドレッシングの味付けはどうしようか。

 既に時は移り、二人が過ごした頃とは日も大分変わった頃のことである。

 彼女は張り切っていた。
 今度、というその言葉を口にした、ほかならぬクリサリスのリクエストが、サラダであった。

 ペッパー、醤油、胡麻、糸状の唐辛子パック、使えるものはいくらもある。
 洋風和風、それともエスニック?
 果たして一体どう組み合わせたものか、考え込みながら、ふと思い出すのは、逞しい彼の膝から肩をよじのぼって頭に乗った、猫のこと。

 のぼられた当のクリサリスは鷹揚にして微動だにしていなかった。

 残念だったなあ、と思う。
 どうして猫さんは彼の元に来たのだろう。どうして鳥さんたちは、飛んでいたのだろう?
 直接尋ねれば、わかったかもしれない。
 けれども和子にはまだそのやり方がわからない。

 クリサリスの世界はわからない。

 口の端を、ほんの少し横に広げる。クリサリスの浮かべる微笑みは、たったそれだけの表情の変化なのに、瞳はいつでも雄弁で、寡黙な彼の語らぬ内なる言葉を想像させる。

 その瞳の青に、いかなる風景を捉えて見ているのだろうか。いや、果たしてどこまで同じ風景を見られているのだろうか、それさえも、保証は出来なかった。

 それでも同じものもある。
 同じものを食べ、同じ言葉を交わし、同じ時間を共有すれば、いつかは、きっと。

「……」

 クリサリスがするように、では、到底ないけれども、ぎゅうと思いを固く結んだ唇の内側に秘めて語らぬまま、和子は外を見た。

 窓から見上げる空の色。

 鮮やかに軽い、水の色。

 南国の明るさに冴え渡るその空の、まぶしさに目を細めながら、和子はよしと唇を微笑ませて頷いた。

 ぴるりると、鳥たちのさえずりが今日も高い。

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 生活必需品以外のものがない簡素な部屋内に、ひっそりとだが己の色を放つ水色のティーポット。

 その耳のような形をした、広い取っ手に指がかかる。

 残る片手に握られた鉄製の薬缶が、しゅんしゅんと音を立てて頃合を報せており、沸騰したままの湯が雪崩れを打って茶葉を飲み込む。

 ジャンピングと呼ばれる、熱による盛大なポット内の湯の回流が、乾燥しきった茶葉を開いて香りを開く。

 テーブルの上、一客のティーカップに注がれるのは、濃い赤褐色の液体。

 そのままでは強い風味をくゆらしながら、ゆっくりとぬるめさせ、器と同じ色した瞳持つ、男は紅茶を喉に飲み干す。

 唇に浮かぶのは沈黙、そして微笑みか。

 クリサリス・ミルヒは、その名の如くに銀河の深淵と輝きを湛えて静謐に午後を楽しんだ。

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署名:城 華一郎(じょう かいちろう)
最終更新:2008年06月26日 21:55