陽炎に座す。

射す、光の熱量が肌を押し、敷き詰められた熱砂は満遍なく熱を体に押し上げて際限なく篭もらせる。吹けば熱風、吸えば熱気、目を見開けばそこは空気にすら熱色が染めこまれていそうな真っ青な空間で、彼のまとう衣の色にも熱焼けた白い照り返しの艶が塗りこめられ、また浅黒く焼けた素肌では、開いた腹の腹筋からもふつぷつと汗の珠が、呼吸ごとに上下する動きにあわせ、浮いては流れ、また、にじみ、衣に重たく皺を寄せていく。それをまた、砂避けの衣が上から薄くだが覆っているのだ。

たまらぬ暑さであった。

砂漠。
海風も、届かぬ場所のことである。

灰色の長い髪をその熱にさらした男の目元は深く傾けられた帽子の広いつばにさえぎられて見えない。口元も、笑ってはおらぬ。結跏趺坐、緩く組み合わさった手が、組んで座した足の上。

男は無為にその身を熱の情報の熱で焼いていた。

情報は、フィクショノートの身を焼かぬ。だが、心は焼く。なればそれは身を焼いたも同じことである。

男の属する領域は文族だったが、男の想じたI_Dressは猫士でありまた吏族であった。人を助け、支えることのできる、護国の盾のひとつの立派な形である。出来うるなら、つい先日正式に認可が下りたばかりの護民官のI_Dressも、想じてみたいと願っている。

壊すのには、飽いた。

ささやかなものの幾多をも気付かず踏み壊してきた。これからも壊し続けるだろう。
またささやかなものの幾多を見ぬ振りで捨て壊してきた。これからも壊し続けるだろう。

ならばせめて仮と想じるこの世界では、壊してきたものを守りたい。見なかったものを見ていきたい。

欺瞞であると知っている。欺くものは何か。自分と他者である。
逃避であると知っている。逃げた場所はどこからか。現実である。

それゆえ男の唇には、常に皮肉と怠惰の狭間にあるような、笑顔と上辺の狭間にあるような、そんな表情が浮かび続け、止まらない。

それが今、止まっている。

情報の輪環が青く青く青く青すぎるほどに青く、千夜の黒となってその身を幾重にもゆっくりと廻る。感情は、情報ならざるか。否。情報である。なればそれがその身より溢れかえればそれは自然と世界を満たす。世界を変える。その現象が、今、男の周りに起きていた。

何を変えることもない。何をつくることもない。ゆっくりとただ、その身の周りを廻りめぐっていずこともなくその身の中へと還り来る情報である。それは道化の身に起こるのに相応しいものであった。

誰にも見られぬ道化は誰をも笑わせることがない。
誰にも見られぬ道化は誰にも笑うことがない。
ただ砂漠の黄に染みた、一粒の黒い滴。

ふつふつと、止まぬ熱が砂漠に降り注いでいる。
利己的に煮える白い感情が色に混じる。次なる大動員の噂が彼の元に昨日から流れてきていた。冷酷な打算が金属的に思考を動かす。迷いがその思考の歯車を鈍らせずらす。

男は立ち上がり、市街を目指して飛んだ。


 * * *


……街には賑わいが満ちていた。変わることのない、笑顔と活気と笑い声に満ちた国。ここはいい国だ。貧しさを苦にせず戦う、背負った重みを力に変えるやり方を知っている。つまり、愛することを。

この国が内乱に巻き込まれたら自分はどうするだろうか。

殺意の、羨望の矛先に充てられたら、どうするだろうか。

この国のかつての歴史は伝えている。何の理由でかはわからぬ。だが一つ、確かに憎悪がそこには存在し、そしてそれを吹き飛ばした、一つの悲恋のあったことを。

この国は心を重んじている。芸術の盛んであるのはその何よりの証だ。連邦制の、今に至るまで絶えず、支えられているのが、それに対する何より雄弁な答えだ。学問の盛んであるのは、無力に対する何より雄弁な意志だ。かつて何も出来なかった心の無力を嘆いた一人一人が今に至るまで積み上げ積み重ね続けてきた結果が、ここにはある。

一つ一つの都の、一つ一つの大学、工房、また、それらと関係した商店や事務所を見上げ、見て通り、心に留める。

その店の中の一つに果樹園から運ばれてきたらしいヤシの実を眺めながら、思う。

今、帝國では内乱の危機が訪れているという。亡命者の受け入れについてを最初の議題として、新築されたばかりの議事堂で話し合いが持たれるのも遠くない話だろう。

なぜか。
故意か、過失か、いずれにせよ、正しく生きたものがそこに生まれた不正を許せぬがゆえのことであろう。あるいはまた、正しく生きんと努めたがゆえの結果なのかもしれない。

この共和国にもその余波は確実に及ぶ。なぜなら二国は互いに古くからにらみあい戦い続けている、切っても切れない関係だからだ。

戦いが始まればまた食糧不足が始まる。未開の地が多いとはいえ、いずれどこかの開拓に手をつけねばなるまい。そしてその戦いの結果がまた不和を生み、戦いがどんどん降り積もり続けるなら……

かぶりを振る。

戦いの元凶を終わらせなくては。
守るだけでは駄目だから、困難に挑むための力として新たに舞踏子たちのI_Dressが設計されたのだ。それはドランジ招聘も同じことである。

歩く、黒衣が揺れる。いつの間にか額に輝く、黒い宝玉。砂避けの形が変わっていた。(※註1)その足はまっすぐに勤務地へ。口元には、しまりの足りない笑い。

今はまだ何をすればいいかわからない。だがそれを探るために知恵を集めることなら出来るのだ。ならば、それをやろう。

無力が罪であるかと言われたらそれはYESだ。だがその罪を許さぬことがそれより軽い罪かと問われたら、断じてのNOを持って答えたい。恥を知るものを許さぬことをどれほどの恥かと言うならば、それは最初に恥を感じたもの以上に恥ずべきことであると、そう思う。

人を許すためには力が必要だ。自分にはそれがない。文族である自分にとって力がないということは、それについての文字を織れぬということだ。情報に、触れども手繰れぬ、触れれば手折りぬ、そういう危うい程度の加減を持ってしか接することが出来ないということだ。

文族は文字で世界を編むのが仕事だろう。それが出来ぬというのなら、それを出来るようになるまで文字で世界を編み続けるだけが、今のやるべきことだろう。

そしてなによりも、文族が操る言葉とは、それを持ってして人を動かすものではない。それを持ってして人を共感せしめるものでなければならない。

だから。

新たな物語の題材を探し、黒衣の男はどこかに消える。何かをするために、どんなことを感じてもらえばいいだろう。それを感じてもらうためにはどんな物語がいいだろう。その物語をつくりあげるためには、どんな世界を、人を、運命を、見たり、呼んだり、編むのがいいんだろう。

迂遠な迂遠な自身の軌跡の物語、編んで己と世界を変えるため、1人の文族は物語を探す。

そのペンは、いまだ運命の大河に突き立てられることはない。

 * * *

-The undersigned:Joker as a Liar:城 華一郎

※註1:レンジャー連邦の猫士+吏族には、その額につけた宝石で階級や役職を区別し、砂避けも特別製のものが採用されている。

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最終更新:2007年01月29日 10:16