「僕はねえ、昔、好きだった人に笑顔をもらったんだ。ただ、笑う、笑い転げる、それも本当にくだらないようなジョークやネタで、いつまでも、いつまでも、飽きることなく笑い続ける、そんなごく普通で当たり前の、けれど、決して忘れちゃいけない大切な笑顔をね、もらったんだ」
笑いながらその文族は、ずっと遠くを見て、そう言った。
「僕はねえ、読み返されれば読み返されるほど、誰かの目に触れれば触れるほど、アイドレスの世界が育ち、強化される、そんな物語が書きたかったんだ。
魔法みたいだろ? 魔法遣いになりたかったのかな。それとも、魔術師になりたくて、なれなかったから、魔法を使おうと思ったのかな。
僕にとってね、物語っていうのは、魔法だったんだ。本を開けばそこに世界がある。どうしようもなく、世界があって、命があって、物語があって、何かがある。必ず、胸躍るようなスカッとする冒険談でも、心塞ぐ現実を生々しく直視させる現代ものでも、夢のようなファンタジーでも、なんでも、必ずそこには何かがある。読んだらね、僕の中に何かがやってくるんだ。魔法みたいだろう、ただ本を読んでいるだけなのに、自分の中に何かが訪れるんだ。僕はだから、そんな魔法使いの一人に、なりたいとずっとそう思ってた」
笑いながらその文族は、ずっと遠くを見て、それから自分の両手の中にある、なにもない空間を見て、そう言った。
「僕はねえ、今、好きな人に、いっしょにいるってどういうことか、教えてもらったんだ。それまでたった一人でいることに慣れて、何も考えようとはしていなかった僕に、本当にいっしょにいるってどういうことか、教えてもらったんだ。それはね、それは、笑顔の向こう側にあるものだったよ。一緒に笑って、泣いて、怒って、苦しんで、それでもいっしょにいる、いっしょにいられる、それってすごいことなんじゃないか、それって、とっても大事なことなんじゃないか、って、そう、僕は教えてもらったんだよ。誰にでもあるだろう、恥ずかしいぐらいに当たり前の、ありふれた日常の話で恐縮なんだけどもね」
笑いながらその文族は、隣を見て、そう言った。
「駄目だねえ。こんなに身近でありふれた話を面白く書けないようじゃ、魔法使い失格だねえ」
返事は待たずに、その文族は立ち上がった。
名前は、と問うと、彼女は言った。
「愛。西方を薙ぐ、愛しき愛」
「アイトシ」
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アイトシはレンジャー連邦の住人である。
正確には、レンジャー連邦に何時の頃からか居た、自分を文族と名乗る、不思議な住人である。
西国人である連邦の領内では、未婚のものは腹を出し、既婚のものは腹を隠すという、不思議な風俗がある。彼女は灰色の髪の上から赤い、フード付きのローブを身にまとって、すっぽりと、腹を隠して生活していた。
彼女が誰と共に暮らしているのか、誰と結婚しているのか、知っているものはフィクショノートにもいなかったが、名前が似ていることもあり、猫士の少女、愛佳は彼女と随分親しいようだった。
「アイトシさーん」
「やあ、来たね猫少女。猫目猫耳、猫尻尾。相変わらずシルク色のミルキィな髪が見目麗しいものだ」
「やだ、そんなに誉めないでくださいなー。照れちゃいますわ」
「ははは、愛佳とは、佳き愛と書く。いい名ではないか、僕よりずっと佳い愛を、君はいずれ手にするだろうよ。ならば今のうちから誉めておいて損はない、あいつは見る目があると、将来賢い人に見られるからね」
「僕っ子のアイトシさんにそんなハスキーボイスで言われると、なんだかくすぐったいですわね……」
いやあ。
むしろ今のはこいつを、賢い人、ではなく、賢しげな人の間違いじゃないかとつっこむところだろう。
そう、声と共に現れたのは、アイトシの友人、ヒメオギ。
彼女は灰白の髪に灰白の瞳、灰白の衣と、徹底して灰白に装った、少女の愛佳とほとんど同じぐらい背の低い女性である。自らを、こちらも技族と名乗っている。小柄な体格を磨くように露出度の高い格好をしていて、こちらは腹部がちゃんと表に出ていた。
「そっちこそ、いい加減ロリータファッションは似合わない年齢になってきているのではないかな。無理はやめたまえ」
「うるさい! ちょっと自分がでっかくってプロポーションいいからって…」
「お二方が第七世界に来てから、もうかれこれ6年…でしたかしら?」
うふふ、と愛佳はそんな手馴れたやりとりを微笑ましそうに見る。
「然様」
「年月のトリックに引っかかっちゃ駄目よ。まだまだ二十代なりたてなんですからね」
「じきになりたて三周年を迎えるわけだが」
「おない年なんだから墓穴掘るようなことわざわざ言うんじゃないの」
「何、僕はもう既婚だからね。年齢はあまり気にならんのさ。若さとは華だよ、華とは実のない愚かな美だが、いずれ実を結ぶための空虚な醜さとも言い換えられるね。実のある僕には、もう華はいらないのさ」
愛佳ちゃんも愛という名の実をなるべく早く手にしたまえ、意中の人(猫)がいるのだろう? と、アイトシが語りかけると、きゃっと小さく跳ねて愛佳は頬を染めた。
一方流れから無視されたヒメオギ、
「昔馴染みの友人には応援の言葉一つもなしですかー…」
「だってお前、きゃーきゃー言うばかりでさっぱりアタックしないだろ。僕を見習え、僕を」
それかフィクショノートの人達を、と、アイトシはふんぞりかえる。
「現代の第七世界がどうなってるのかは知らないが、いい時代になったじゃないか。ゲームはゲームだ、物語じゃない。遊ぶ人の数だけキャラクターがいるんなら、獲り合い奪い合いをする必要もない。何せ子供まで出来るというんだから恐れ入った話じゃないか」
愛だよ、愛、ヒメオギくん、と、言うその顔面にアッパー。長身の体が宙に浮く。
きらんと舞う鼻血、きらんと逆切れするその目に宿る、哀しい涙。への字口。
「やーかーまーしーいー!」
「お前の意中の相手なんて元から複数人いるだろ! なにやってんだ!」
「夢の逆ハーレムという言葉を知らないか!」
「知らないね、不純な奴め!」
「人類の発展は不純なくしてありえない! 絵に描いてやりましょうか、絵に!」
「馬鹿お前それは発禁になるからやめろ」
「退かぬ! 媚びぬ! 恥じぬ!」
「最後最悪だ!?」
あー…と、
始まった乱闘を眺めながら愛佳は思った。
「こういうのも、平和っていうんですかしらねえ……」
(城 華一郎)
最終更新:2010年04月25日 16:30