-遠い昔のいつかの空に、私は願ったことがある。
 -生まれてなんて来なければよかったと。
 -遠い昔のいつかの空に、私は泣いたことがある。
 -終わりなんて来なければいいのにと。

 世界をつんざくような青空を、昼には見合わぬ銀河の色で、地上から優しく撫でるものがある。
 日差しの熱を清冽に切り払う、潮風の剣のその峰に、ふわら、ふわり、巻き上げられる、白い髪。焼きたてのパン生地のように豊かに膨らんだミルク色をして、陽光に、パールの丸みも授けられたその髪は、自身を押さえつける麦わら帽子のふちを悪戯にくすぐっていたが、やがて小さな手にやんわりとたしなめられた。

 向き直った先に広がる群青の波涛は宇宙の無限を思わせる。
 目には到底捉えきれないパターンが、無数の有限となってうねりこんでいるのだ。

 その青へと、漕ぎ出す小さな粒が見えた。
 汽笛を鳴らす音がする。
 あの船は一体どこに向かうのだろう。

 天翔ける超音速の轟きが、耳をつんざいて見上げさせる。
 鋼の翼が織り成した、水蒸気の一条のたなびきが天蓋に道を創っていた。

 心が求めて止まない限り、人は、きっとどこまでも行き続けるのだろう。

 宙に突き出た岬の上で、敷き詰められた緑の絨毯。
 ふかふかの感触が、シューズ越しに素足の裏へと伝わるようだ。

 星の浮かばぬ白昼に、満天の星空よりも一杯に広がる、長い髪。
 見上げた少女の、目は、大きく見開かれている。

 きりりとした細い眉、意志の強そうな心持ち釣り目の顔立ち、小さな鼻先、またたく睫。
 太陽にも負けないほどの、存在感の強い、淡いオレンジ色のワンピース。

 また夏が、今年もやって来る――――。

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 -わたしは ここにいるよ?-

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Blue Summer

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 王宮の白壁にだれた声が反響する。

「あつぃ~~」

 会議室の机の上に、突っ伏すか、寝そべるかしているのは、皆一様に、折り目正しく軍服を着込んだ男性陣であった。
 服のデザイン上、二の腕や、腹は出している。出しているが、それでも暑い。中にはロング手袋を外している者もいた。
 肌に汗が、浮いている。
 西国人の日に焼けた肌が、このところの陽気で一層色濃くなっているようだ。
 薄くヴェールのようなカーテンを掛けて、直射日光の侵入を遮っているものの、通る風がないので暑い。
 かといって、ベランダにつながる窓を開放してしまえば熱風が砂塵と共に入り込んでくるだけだ。絨毯の手入れが面倒になると、猫士の誰かが文句を言ってくるだろう。
 猫士はいいよな、涼しい場所へ潜り込めるから。
 そう、冴木が突っ伏しながら眼鏡のズレを押し上げて直していると、にこにこと山下が冗句を飛ばす。

「みなさん、慣れない出張から帰ってくるなり発進なんて、まるで艦載機みたいでしたねえ」
「山下さーん、うちに船はないよぉー」
「正確に言うと、国有の空母艦が、ないよー」

 ラスターチカには乗りたいけどー、と、青海と虹ノが声を揃えて付け加える。

 こんこん、と廊下側の扉から、ノック。続けて顔を覗かせたのは、藩王らがいない間、国内を取りまとめている、小奴女史と猫士・マーブルであった。
 手には紙包みを提げている。

「お土産ですよー」

 わ、と、飛び起きて二人に駆け寄る男性陣。

「こんな時だけ途端に元気になるんですねー」

 マーブルのちくりと刺す舌鋒も無視してテーブルの上に広げられた紙包みの中身を検分する面々。ひんやりとドライアイスのスモークが広がる。後でこれ、タライに水張って入れようよ、等と呑気なことを言う山下をさておき、箱の上面を封じている、蝶の形をしたシールを代表で冴木が剥がすと、中からはカップアイスがざくざく出てくる。

「バタフライアイスだー!」
「今食べようすぐ食べようさあ食べよう」
「まだ、マグノリアさんが来てからです!」

 めっ、と小奴に叱られ蜘蛛の子を散らす男衆。しかしその手には、しっかりとお気に入りのフレーバーが確保されているのだった。

「交番にいるドランくんやにゃふにゃふくんのところにも後で持っていくんだから、一人一個ですからね」

 はあいと一同行儀良く返事。
 みなさん、お待たせいたしました、と、アイスに添える手製のハーブティーやお茶菓子、スプーンをワゴンで運んでくるマグノリア。
 あれ? と、スプーンを手に取るその中で、銀鉄が不思議そうに頭を巡らした。

「アスカロンさんはどこですか?」
「ああ、彼なら――――……。」

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 しなる、一振りの鋼がある。
 鋼には色がついている。浅黒い、肌色である。

 銀閃。
 鋼が舞うたびに、切り裂かれた空間の軌跡を示すように光が散る。
 鋼の雫である。

 鋼の動きは遅くて目に止まらない。
 あまりに理に叶っているがゆえに、意識は動きの全容を無自覚のうちに理解するのだが、あまりに無駄がなさすぎて、気がつけば次の動きに移っているためだ。
 遅いというのは、つまり、動きのすべてをひとつながりとみなしているからそう感じられるであり、動作の一つ一つは流体銀で出来た剣のように滑らかで鋭い。

 鋼には呼吸がない。
 その存在は、いつ止むとも知れぬ連撃だけで構築されており、間断がないのだ。
 一つ一つの動きは小さく、けれども全身を使っているためか、気がつけば注視するその先は、大きく移動を起こしている。

 鋼には形がない。
 だが、鋼の伸びる切っ先が意識している空間は、まるで丸い球のようである。
 揺らぎがなく、歪みがなく、しかし、不定。

 地擦りを起こした爪先が、道端に転がる砂利石を除ける。
 まなざしは茫洋としてまったく小刻みではない。
 払う指先は踏み込む寸前の鼻先で止まり、逆肘がやわらかに、突きこまれた拳の腕を押して遠ざける。
 するりと鋼は間を抜けて、振り下ろされた警棒を引き込むように受け止める。途端に相手の体は踏みとどまる力を失い無様に転ぶ。

 いずれも余人と変わらぬ力の中でのことである。
 あるがままに感じて、感じるがままに動き、考えることはしない。意識することすらない。
 何万回も繰り返した動きを、同じように繰り返しただけにすぎない。

 鋼は抱きつこうとしてきた者の首元あたりに手を添えると、僅かに片足を後ろにずらし、踏みとどまろうとする足の力に、腕力を足してやった。
 がつんと壁にでもぶつかったように、相手はひっくり返る。

 瞬く間に、周りの人間はひれ伏していた。

 鋼の名は、アスカロンと言った。

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 警官達が定期的に実施している野外での白兵訓練に誘われたアスカロンは、是非もなく誘いを受けた。
 無論、国元の部隊として組み込まれることが少なかったからこそ出来たことではあったが、方々からこういった類の席に招かれることが多かった彼は、今では国の武術主席扱いである。

「強くなりたいのなら、強く、願うことから始めるといい。
 意志こそが力で、努力とは、抱いた意志を努めて高めることに他ならない。
 現実も、アイドレスも、何も変わりはしない。
 過去はそのために学ぶ宝庫だ。
 現在は忘れ得ぬものを蓄積するための時間だ。
 未来は、過去と現在を託すためにある。
 限りある時間を、自分を見失わぬよう、大事に生きるといい。
 すべてはそのためにある」

 最後にそんな講話で締めくくられると、正座していた警官たちは、深々と一礼をした。
 アスカロンもまた、そんな彼らに対し、同じように座して礼を返す。

「師範」

 終わった後に、一人の警官が小走りに駆け寄ってきた。

「師範は何故、強いのですか?
 現実にも生きるフィクションノートだから、強い意志を持ち得たのでしょうか。
 自分が師範より弱いのは、自分が現実を生きていない、情報的な土壌の弱い、設定国民だからなのでしょうか」

 問い掛けるまなざしは、真摯である。
 だからアスカロンは笑わずに彼に対して問うた。

「お前達の生きている世界は、どこにある?」
「それは…、この、アイドレスです」
「生きた場所を、現実とは呼ばないのか」
「しかし、私は、私自身が強くなることは、フィクションノートやACEの誰からも手を差し伸べられずに強くなることは、本当に出来るのでしょうか?」

 とん、とん、と、アスカロンは、彼の胸と、自身の胸とを交互に指で突いた。
 初めて、笑む。
 静謐な、鋼の微笑み。
 血の通った温もりある、人剣の笑み。

「世界は情報で出来ている。
 フィクションノートはただの蛇口だ。情報という水がなければ機能しない。
 お前達は、水によりて生える、草だ。草が育てば木も育もう。俺達がこの世界に意味を持って存在出来るのは、お前達のおかげに他ならない。
 王が、世界を世界足らしめる役割を持たされているように、お前達もまた、そのようにある。
 すべては環の中。
 お前が望むのであれば、俺は、いくらでも世界に水を満たしていこう。強くなるための水を、意志を、情報を」

 表層に囚われるな、我(が)は、解き放て。
 求める限り、いくらでも応えるものがあるのだということを。
 証明するために、俺達フィクションノートはいるのだから。

 最後にそう告げて、アスカロンは去っていく。
 残された若手警官は、一人、突かれた胸に、熱を感じ続ける。
 先の暴動の折に見た、騒乱と惨劇の記憶が、その熱を、大きく燃える、炎に変えた。

 心の鉄に、火が入り。
 鋼の生まれる、萌芽の音。

(城 華一郎)

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最終更新:2010年04月25日 16:41