晴れやかな草原を乗せる大地は、長い時間をかける間に粒子を集め、かつての倍ほども大きくなっており、いまやちょっとした森林や岩窟もその上に現し始めていた。

 緑髪の彼女は、だが、その光景や気持ちのよい日差し、もはや自身から湧き出るのではない、れっきとした自然風にも浮かない憂いた面を伏せていて、増築してもらった小屋のテラスで足をぶらぶらとさせている。可愛らしいサンダルが、ころんと片足から外れて落ちた。

「♪」

 調子っぱずれな歌を口ずさむ。

 男は人形作りに没頭し、形ばかりの食事や身の回りの世話さえも必要とされないこんな時、彼女には出来ることが何にもなかった。本当に人形を作るための道具以外、男は本も何も持ってきていなかったので、積極的に出来ることも何もない。

 かつてあれほど面白かった世界も目に見飽き、散歩をしても、所詮はたかが知れた、自分の部屋のような空間でのことだ。

 退屈が、潰れずに。
 自分だけが、時間の流れに小さく小さく潰されていく。

 へたくそな歌を思いつくまましばらくそうやって歌っていると、ばたん、と扉が急に開く。

「おい、お前」
「ふぁ、ふぁい?」

 機嫌の悪そうな男の声に、びっくりして彼女は丸めていた背中をしゃんと伸ばす。
 ぽんと、投げてよこされたのは小さな木箱。

「やる」
「え。これ、は……?」
「開ければわかる」

 それは、男の手による品にしてはあまりに朴訥とした優美さの欠片もない、最低限の塗りや細工彫が施されただけの小箱だった。
 まだ、真新しくて、ニスの匂いがぷんぷんと漂ってきている。

 おそるおそる開けてみると、そこには音が閉じ込められていた。

「――!?」

 突然おもちゃを与えられた子供のように興奮して、彼女はしきりに男の顔を見上げては、真意を伺いたそうな目をする。
 盛大な溜息と共に、男はいやいやその目に答える。

「音痴な歌を近所で垂れ流されると、僕が困る。
 いつも歌っているメロディをこっちでまともに整えてやったから、今度から、それを使って遊んでいろ」
「マエストロ…!」
「感激したような目をやめろ声色をやめろ顔つきをやめろああもうおぞましい」

 僕は愛されるのが一番嫌いなんだと言っただろう。
 そう吐き捨てるようにして身震いしながら男はまた家の中へと引っ込んでいく。
 ばたん、と、拒絶するように強く扉が閉ざされた。

 それでも彼女は嬉しくて、しばらくその魔法の小箱を開けては閉め、開けては閉め、ためつすがめつ、ほれぼれ音色に聞き入っていた。

 そこには彼女の思い描いていたメロディが、ぴたり納められていたのだから。

 それから30分も経たないうち、箱が壊れてしまったと泣きながら飛び込んできた彼女にネジを巻け馬鹿と男がうんざりしながら教えたのはまったくの余談である。

/*/

 夜。
 珍しく、ログアウトしないまま床について眠るロールプレイをしていた男に彼女は聞いた。

「マエストロ」
「何だ」
「どうしてマエストロは人形がお好きなのですか?」

 壁に打ち付けられた棚には、彼女の妹にあたる人形達が、大小ずらりと並べられている。
 同じ人形であり、休息を必要としないボディの彼女はいつものように専用の椅子でじっと座ってそれらを眺めていた。

「……僕は、人形が好きなんじゃない」
「では、何故?」
「人間が嫌いなんだ」

 毛布の中で、もぞりと寝返りの気配。
 月影もない闇夜に彼の顔色はわからない。

「愛したいから愛する、それでいいだろう。
 この世界はゲームの中で、AIなんかもいるけれど、それでも愛せば愛し返される。
 もっとエゴイスティックでいいだろう。我欲のためだけの感情があっていいだろう。
 愛したいという感情だけを僕は満たしたいんだ。
 愛されるなんてまっぴらだ。
 愛されることなどいらない、ただ、愛することだけをしたい。愛して愛して、愛し尽くしたい。それでも人形は僕のことを愛することのないままに、際限なく僕の愛を受け止めてくれるんだ。
 愛したいっていう感情は、生き物最大の本能だよ。
 その本能を満たしたいだけだ、僕は。
 人形みたいな女の子も駄目だ。どれだけ周りにとって都合のいい、本能を満たすだけの相手に思えても、相手にも、その本能が必ず備わってるんだ。
 だから僕は、人間はいらない。
 人間なんて、嫌いだ」
「……すみま、せん」

 なんでお前が謝るというその問いに、彼女は細々と呟いた。

「私が、人形らしく、なくて」
「……」

 そうだな。
 お前みたいな奴も、僕はとっても嫌いだよ。

 男はそう答え、それきり何にも喋らなかった。

 少女もまた、それ以上は何も、問わなかった。

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最終更新:2014年01月05日 16:15