かーん!

ゴングが打ち鳴らされる。

 「いいか、この3分間で敵の足を止めるんだ!
  こちらの盤面はもう後がない、お前のパンチで奴の思考回路をぼこぼこにしてやれ!」
 「はい、ボス!」

顔をぽこぽこに腫らした若者が、グローブをはめなおしながら、タオルを首にかけた若者と言葉を交し合う。怒号のような歓声が連邦第一体育館を震わせていた。足踏みが、まるで地鳴りのようだ。

地面より一際高く、スポットライトに照らし出された四角いリング上、赤と青の両コーナーから飛び出していった2人の若者達が、今、その拳をちょこんと触れ合わせた。

 「ふぁいっ!」

戦いはまさに佳境を迎えようとしていた―――

 * * *

~レンジャー訓練記 あるいはこんな日常~

 * * *

 「…らいちょー」

ぴよぴよと小鳥が水を飲む噴水のかたわらで、ベンチに座って背もたれ任せにぐったりと天をあおいでいた若者が、やにわにうめいた。

 「いや、あれはレンジャーシロヒトリと言って雷鳥ではなくだな」

 その隣で本のページをめくりながら生真面目に答えるもう一人の若者。

 うー、と、ぐったりしている方の若者が、ぽこぽこに腫れた顔いっぱいに貼り付けた傷薬をゆがませてつっこんだ。

 「ちがひまふよ、あなたのことでふ」
 「わかっとる」

ぱたむ。本が閉じられる。

そして神妙な顔でしばらく間をあけてから、こう言った。

 「やっぱりチェスボクシングは訓練には向かなかったようだな」
 「当たり前れふよ!!」

唾を飛ばしながらつっこみがチョップで入る。

 「にゃふんっ!?」

どっぱーん!

ぱたたたたた……

吹っ飛ばされた男が噴水に落ち、小鳥たちが驚いて飛び立った。

平和なレンジャー連邦の、昼下がりのことである。

 * * *

この2人、I_Dress『猫士+吏族+護民官』の戦闘インストラクター部隊の隊長と隊員であった。

事の発端は、戦闘中に事務行為と白兵戦をこなさねばならないみんなのために、もっと効率のいい訓練方法はないかと1人の仲間が言い出したことにある。

 「あそこでルークを使っちまったのが痛かったな…」
 「ていうか、それ以前に隊長が口さえはさまなければまだ2ラウンド後半であんなに追いつめられることだってなかったと思うんですけど…」

 なぜか満員御礼だった公開訓練のおかげで、とりあえず「無駄遣いだにゃん」と怒られることはなかったが、

 「よっ、いい試合だったな!」
 「また応援しにいくわよー!」
 「あ、ありがとうございます…隊長、なんか変に親しまれちゃってますよ!?」
 「民を護るのが我等の使命。その民に親しまれて何の不都合があろうか」
 「視線が生暖かいですよ!?」
 「今日はよく晴れてるからな、体感温度の問題だろう」
 「なんか笑われてる気がするんですけど!?」
 「笑顔が絶えない、すばらしい国じゃないか」
 「僕の羞恥心とかどうでもいいですか!?」
 「ひとつ、誰かの心に笑顔が生まれるなら、そのためにひとつ、恥を忍ぶことぐらい、俺たちにはたやすいことだったはずだろう、隊員Aよ」
 「絶対意味違うし!! なんか間違ってるし!!」

物見高いにゃんこたちの風評に乗り、あっという間に試合を企画した2人のことは、連邦中に知れ渡っていたのだった。

 「おまけに隊のみんなには笑いものにされるし…」

てくてくと、肩身が狭そうに人ごみで溢れかえった街中を歩きながら、若者は、ばんそーこーをぺりぺり剥がしてふくれっつら。もともと情報世界の住人なので、多少の傷ぐらいはすぐ治る、見かけだけのものである。そうでなくとも訓練している彼らの体は、こう見えてちゃんとなかなかにたくましい。

 「この間のあれよりは評判よかったろう、ほら、あの、なんだったか…」
 「第一回ちきちき真夜中の議事堂障害物タッグマラソンですか?
  あれは藩王にめちゃくちゃ怒られたじゃないですか、当たり前ですよ」
 「うーむ、夜間戦闘とオペレーター技能と事務の訓練が一度に出来てすばらしいアイデアだと思ったんだがなあ」
 「大体、何で相槌が全部『はい、ボス!』だったんですか…毎回おごりに乗って騙されてる僕がなんだか馬鹿みたいじゃないですか」
 「ばかもの、お前、ああいう時はトレーナーのことをボスって呼ぶのはしきたりみたいなもんだ。様式美だ。みりおんにゃんにゃん・べいべー見とらんのか」
 「はー…またフィクショノートの人たちに笑われる…」
 「俺は笑わんが」
 「隊長に笑われなくても他の人に笑われたくないんです!」
 「むー…わがままな奴だ」

からんからーん。
そんな無駄な会話をしながら、喫茶店に入っていく2人。押し開けたドアにつけられたベルが風情よく来客を店内に触れて回った。

 「いらっしゃーい!
  あら、また隊長さんに遊ばれちゃったんだって。聞いたわよー」
 「ははは遊んでやった、苦しゅうない」
 「ひどっ!?」
 「いつものまたたびパフェでしょ、奥の席が空いてるからお冷や持ってくるまで待っててね」

常連らしく、勝手知ったる風情で奥に進む隊長と、笑顔で茶化す周りのお客さんに愛想良く笑い返しながらそのあとを追っかける隊員。

カフェ・アイユエニー。北部の歓楽街の中にあるこの喫茶店は、雀荘「まーにゃんランド」の裏手にあることでも知られており、げんかつぎにニャポリタンを出前に頼む客が後を絶たない、人気店である。

砂色のレンガ造りで広々として風通しのよい内装は、輸入物の雑貨でその都度アレンジが加えられ、女性客にも評判がよい。暑さに負けない馬力のために、メニューにも様々な工夫が凝らされていて、大盛り愛好家の御用達だったりもする、見かけだけではない確かな味が売りのお店だ。

 「はー…同じ隊長にするなら、アスカロンさんや双樹さんがよかったなあ。あ、ありがとうございます」
 「どういたしまして。もうすぐパフェ持ってくるから待っててね」

運ばれてきたお冷やに、ウェイトレスさんへといちいち律儀に会釈を返す隊員。

アイドレス世界では、仮想飛行士たちのみならず、彼らが育てた世界に住む電網の住民たちも当然それぞれに日々の暮らしを営んでいる。

その中にあって、こうしてお店で働いているものもいれば、フィクショノートたちの下に仕えて働くものたちも当然おり、彼らあっての住民たちは、その一人一人に相応の数が部下として付き従っているのであった。

もちろん住民あっての電網世界でもあるので、部下をこき使ったりするフィクショノートなんてものはまずいない。が、こうしていじり倒す奴ぐらいは、たまにいるのである。

 「青海さんとこよりゃいいだろ。あっちは悪戯大爆発だからな」
 「まあ、青海さんは、青海さんだし……」

藩国唯一のサイボーグ歩兵として知られるフィクショノート、青海正輝。連邦の夜を飛び交う影の正体の大半はこの人と言っても過言ではない。

到着したパフェをつつきながら隊員、ため息ついた。

 「あーあ、せめて楠瀬さんの部下になれてたらなー」
 「そしたらお前、多分設定めがねになってたぞ」
 「じゃ、虹ノさん」
 「駄目だ駄目だ美形にされる」
 「それ駄目ですか!?
  うーん、じゃ、じゃあ、小奴さん」
 「あーあお前女性化したー」
 「そんな馬鹿な!?
  じゃ、じゃあ、マグノリアさんは!?」
 「マグさんは駄目だ」
 「どうして?」
 「お前にはもったいない」
 「えー!?」
 「大体アスカロンさんはお前、あれだろ、パイロット系だろ。お前メカニックできないじゃん」
 「うー、そ、そうですけどー…」

ちなみに摂政の名前が出てこないのは、摂政だけは藩王の代理という役割柄、普段は別のところで詰めているからだ。

 「大体もうすぐ戦勝パレードがあるって時にわがまま言い過ぎなんだよ、お前は」
 「訓練やろうぜって言い出したの隊長じゃないですか!?」
 「訓練はほら、訓練だし」
 「たまにはまともに訓練させてくださいよー…」

かりかり。パフェのフレーク部分をかじりながら、へにょっと隊員の耳が寝た。

それを聞いて、隊長の目がきらっと光った。

 「やっちゃっていいんだな?」
 「え?」

隊員は、早くも背筋をびんびん走る嫌な予感に、自分の発言を後悔しつつあった。

 * * *

し…ん。

東部の軍事施設内にある、訓練所内の空気にひんやりとしたものが混じっていた。

だだっぴろい中を輻射熱がぐるぐるとかきまわす、うだるような暑さの中の、ことである。

足元には畳が敷かれていた。硬い地面の上での格闘は体を損ねる。その配慮ゆえのことであろう。

流。

その上を、滑るように走る体があった。

 「っ!!」

だあーん!

足を、足がかすめる。一瞬のわずかな揺らぎが生まれる。その間にも、同時にすりあがってきていた手が、あごをつかんで跳ね上げ、もう片方の手が肩を押さえて腕に何もさせずに体ごと地面へと彼をねじふせる。傾けられた体では、唯一残った腕も、受身をとるしか使えなかった。

やられてしまった今、振り返ればそうと手順がわかるのだが、まるで動いたことが感じられない。気がついたら、倒されていた。

 「――どうした。今日は君の方から特別訓練を申し出たと、隊長から聞いているが?」

剣の如き怜悧な声が頭上から降る。

 「――は、はい!」

慌てて隊員は痛む体を押して立ち上がる。何度目だ。こうやって転がされたのは。

 「構えなさい」
 「は、はい――!」

既に目の前の人は構えていた。凛と微動だにせず、自分のように無駄に腕を広げたりも、腰を落としたりもしていない、地に切っ先の突き立った剣が如き、佇まいだった。

 「武とは、体で覚え、心で学び、頭で理解を深めていくものだ。所属は違えどそれはきっと君の役に立つ。来なさい、今度は私が受けよう」
 「はい!
  いやあああああああああ!!」

気合いと共に走り出す。リズムを取って、右、フェイント、逆に体を振って、左へ回りこむ。

 「!!」

ぴたりと、わき腹に手のひらが添えられていた。完全に間合いが潰され、密着されている。

ごっ!

世界が顔の前に飛んできた。いや違う。うつぶせに、叩き伏せられたのだ。後頭部に手の感触がある。

――すっ、と、かたわらで立ち上がる、気配。

「動きを消しなさい。動こうとする気持ちを消しなさい。頭で動いてはいけない。心は、鏡です。その鏡に映るわずかな揺らぎを感じ取り、相手の心を捉え、それに添うように動きなさい。力だけでは武ではない。それはただの暴力だ。心を拳に映すことが出来てこそ、その心の正しいあり方を自分でしかと見つめられてこそ、初めて一人前と知りなさい。頭はその正しさを見定めるためにこそある。それが理性を鍛えることの意味です。わかりましたか?」
 「は、はい!
  ありがとうございました!」
 「よろしい。それではもう一手」
 「ええー!?」

すぱーん。ぼかーん。

野戦用の迷彩服を着込んだ隊員を、胴着姿のアスカロンが、丁寧に丁寧に投げ飛ばしていく。

それを意地が悪そうににへっと笑いながら、頬杖ついて眺めてる黒衣の男が1人。

舞踏子の1人が近寄ってきて、困ったようにつっこんだ。

 「いいんですか?
  あんなに部下をいじめちゃって」
 「なーに、愛の鞭だよ。自分で頑張ろうって奴をいさめるほど俺も野暮じゃない。稽古つけてもらって、いい経験じゃないか」
 「はー…彼も大変な隊長の下に配属されちゃいましたね」

くすり、笑う舞踏子。ぽーん。その視線の向こうでまた隊員が跳ねた。

がむしゃらに、体ごとぶつかっていくのを、アスカロンが受け止め、捌いてその都度やわらかく体勢を殺しては組み伏せている。

 「エモノなしの方が苦手なのに、付き合ってくれてるんだ。あいつもアスカロンさんに何かおごるぐらいはしないとばちがあたるってもんだぜ」
 「はー…」

ため息をつく、舞踏子。
にやにや笑う男の手の中に、情報の球がくるくると光の粒子を放って踊っているのを確かめると、不幸な同僚に心の中で合掌した。

 「きょ、きょえー!?」
 「さあ、もう一手」

まだまだ隊員Aの受難は、終わらない。

 * * *

―The undersigned:Joker as a Liar:城 華一郎

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最終更新:2007年01月30日 22:02