薄暗い部屋の中。
男は小さな端末を片手に仰向けに横になっている。
男が端末の側面に付いた小さなボタンを押すとカチッと小さな音を立てて端末が開いた。
黒く輝くその画面に映るのは燃えるような黄金の文字。
〔システムはロックの解放を要求します。〕
どうも気を使わせているらしい。
自分の機械音痴に絶対の自信を持つこの男は、この画面を呼び出す度に異なる文面を見て少しだけ微笑んだ。
男は親指を小刻みに動かして単語を入力する。
〔I_Dress〕
男が仮想飛行士として飛ぶためのパス。
この一言でロックは解放され電網への扉は開かれる。
―でも。
男は少しだけ微笑むと文を追加した。
いつか見た、男よりも遥かに巧みに文字を操る男の言葉。
〔I_Dress、私は飛翔する〕
それと同時に男の精神の転写体が精製され、そこに情報子が吸着し一人の人間が現れる。
名を双樹 真と言った。
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うーあつい…。
さすがは砂漠の国。
日差しと照り返しで肌がひりひりと焼けている。
きっと城さんくらいの文族になるともっと洒落た言い回しをするんだろうなぁ。
その点俺はさっぱりだ。
ただ暑いとしか思えない。
こんなんで同じ文族なのって良いのかなぁ…。
少し凹む。
うぅとりあえず飛ぼう。
危うい手つきで座標指定。
えっと…転送?
砂漠の真ん中に立つ双樹の姿が光の粒に変換され、掻き消えた。
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純白に染まった視界から解放されたその先は北都だった。
正確には港より少し外れた場所。
ほんの2、3メートルでも正確さってのは大事だよな。
自分の大雑把さを恨むよ。
びしょぬれの双樹は必死の猫かきで陸に上がる。
濡れ鼠ならぬ濡れ猫の双樹は少しうなだれて祭りの喧騒を避けるように歩きだした。
舞う紙吹雪。
立ち並ぶ屋台。
辺りに漂う芳しい鰹節のかおり。
アイドレスって奴は嗜好にも影響するのかな?
妙に鰹節が気になって仕方がない。
尻尾が妙に跳ねているのがわかる。
うーん……。
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かつぶし氷がこんなに美味いものだとは思わなかった。
シャクシャクとストローの先を切って加工したスプーンを使い、かつぶし氷を食べながら歩く。
醤油と鰹節の取り合わせは確かに好きだったが、かき氷がこんなに合うとは思わなかった。
リアルでもやってみようと心に決める。
キィィィン。
空を飛ぶ4機のI=Dとかき氷をかっこんだ副作用の擬音が重なる。
空に綺麗な軌跡を描くI=D。
まだ痛む眉間を押さえて想うのは微かな幸せと空への羨望。
「いいなぁ。」
二通りの意味を込めて呟いてみる。
そんな双樹の横を金のうな…じゃない。
金の龍の張り子が泳いでゆく。
そういや、昨日夜星があれに噛り付いて拳骨を食らっていた。
そんな事を思い出し思わず一人にやける双樹。
ほんとにほんとにほんとうに。
ここは良い国だと改めて感じる。
お金も娯楽も食料も。
資源だって燃料だってどこよりも少ないけど。
でも。
それでも。
ここは良い国だと心から。胸を張ってそう言える。
政(まつりごと)は目立たず、祭り事は大興に。
藩王から国民に至るまで平と唄えるこの国が。
「あれ、双樹君じゃないか。どうしたんだい?随分嬉しそうだけど。」
祭りを回っていたのか城さんと鉢合わせる。
「城さん!」
思わぬ出会いに双樹の尾は揺れる。
「双樹君…名字はやめてくれっていっただろ?」
少しくすぐったそうに頬を掻く城。
―わかってていったんですよ。と言う言葉を飲み込んで双樹は微笑んだ。
尊敬するこの男が名字で呼ばれるとくすぐったがるのはよく知っていた。
でもその反応が面白くて双樹は会うたびに名字で呼んでいた。
「すいません。華一郎さん。」
ほどほどにしないとそのうち怒られるかもなぁ。
今は話を逸らしておこうと双樹は口を開く。
「そうだ!聞いてくださいよ。昨日夜星がですね……。」
本当にやさしい世界。
色々あるけど本質はきっと。
びしょぬれは涼しい風と暖かな日差しでもう乾いていた。
(文責:双樹真)
最終更新:2007年02月03日 02:21