太陽からの光が、空気中の酸素や窒素と言った分子にぶつかり散乱する。この時、波長の短い青色の光が発せられる――ゆえに、空は青いのだ。 もっとも、実際に大空に舞い上がってみればそんな理屈などどうでもよくなってしまう。それほどにまで、この日ミッドチルダの天候は安定していた。ところどころに浮かぶ雲さえ、群青と言う美しさを持った空を引き立てる。 帰ってきたんだな――綺麗な栗毛色の髪をいつものサイドポニーにまとめ、窓の外に眼をやりながらなのはは青空に思いを馳せる。例え訓練観測用のヘリの機内であっても感慨深いものを感じずにはいられない。何しろ、かつて自分もこの空を駆け回っていたのだから。 手元の端末に表示される数値によれば、現在彼女が乗るヘリの高度は三〇〇〇フィート、速度は毎時二六〇ノット。訓練が予定される空域には、あと一〇分と言ったところか。キーボードを叩いて画面を切り替えれば、表示されるのはヘリに搭載されるレーダーの様子。後方から魔力反応が複数、高速で接近している。 「視認可能距離まで、えーっと…」 <<30 seconds>> 首元にかけていた赤い宝石、相棒レイジングハートの手早い計算。なのははありがと、と気の利く相棒に微笑みかけて窓の外を凝視。きっかり三〇秒して、戦闘機よろしく編隊を組んだ空戦魔導師たちが姿を見せた。先頭に立つのは、紅い騎士甲冑を纏った一見幼い少女――ヴィータはヘリの隣に並ぶと、なのはに向かってラフな敬礼。楽しげなその表情からは、今日の訓練への意気込みが読み取れた。 頑張ってねとなのはも笑顔で手を振ると、ヴィータは少し照れ臭そうに笑みを返し、速度を上げてヘリを追い抜く。それに続く空戦魔導師たちは、いずれも教導隊所属の猛者ばかり。今日の訓練の相手は決して弱いものではないが、彼らなら負けることはあるまい。 ヘリを置き去りにする形で飛び去っていく魔導師たちの背中を見つめながら、なのははふっとため息を吐いた。胸に宿るすっきりしない感覚、きっと自分は彼らが羨ましいのだ。今でも飛べない訳ではないが、JS事変で受けた傷は完全に癒えていない。飛べないのではない、飛ぶことを周囲が許さないのだ。 今日だって少し無理を言って、ヘリの中から訓練状況を観測すると言う役職を与えてもらった。見るだけでも気は紛れる、そんな彼女の目論見はものの見事に裏に出た。 火照る、と表現すべきだろうか。駆け抜けていった魔導師たちを見た瞬間、うずうずしてしまう。 <<Master>> はっと、なのはは視線を下げてレイジングハートを見る。相棒はどうやら、彼女の考えなどお見通しらしい。だから付け加える、今日は訓練状況の観測が任務です、と。 「分かってる、大丈夫だよ」 敵わないなぁ、もう。 レイジングハートからの戒めの言葉に苦笑いを浮かべつつ、しかしなのはの視線は青空に向いたまま。 「大丈夫だよ、大丈夫……」 自分に言い聞かせるように呟く彼女の視界の中で、何かが光ったのはこれから起こることを暗示していた。 空はこの日彼女を、高町なのはと言うエースを再び求めていた。 ACE COMBAT04 THE THE OPERATION LYRICAL Project nemo 第4話 襲撃の真意 「八機ぃ? エコーじゃないのか?」 訓練空域をその強力なレーダーで見渡す早期警戒機からの入電に、"イーグル1"と言うコールサインを与えられた地上本部戦闘機隊所属のパイロットはまず報告を疑った。 この日の訓練は、JS事変以降活発に行われるようになった管理局本局と地上本部による合同演習、記念すべき二〇回目だった。本局は空戦魔導師たちの中でも精鋭である教導隊を投入。対する地上本部も、JS事変を戦い抜いたベテランパイロットを中心とした戦闘機隊で迎え撃つ。 イーグル1に限らず、多くのパイロットたちは精鋭との戦いを楽しみにしていたのだ。だと言うのに、訓練空域には識別信号を発していない八機の航空機らしき飛行物体が接近しつつある。 「いやぁ、間違いない――訓練空域に向かっているぞ、撃退しろ」 指揮を取る早期警戒機から引き続き入電。イーグル1はサブディスプレイにデータリンクを通じて表示される早期警戒機のレーダー情報を見て、八機の航空機が現実のものであることを確認。露骨に表情を歪めながら、操縦桿を軽く左右に振って主翼を揺らし、後方の僚機たちに着いてくるよう合図する。 「……了解、イーグル1」 エンジン・スロットルレバーを押し込んで機体を加速させ、操縦桿を捻る。愛機F/A-18Cホーネットはひらりと主翼を翻し、八機の所属不明機へと向かう。九機いる僚機たちもこれに続いた。俊敏な運動性能を持ち、JS事変で無人戦闘機と戦ったベテランの駆るF/A-18Cが総数一〇機、相手は八機。よほどのことがない限り負けはないはずだ。 イーグル1のパイロットは左手をエンジン・スロットルレバーから離し、レーダーの操作パネルへと滑らせる。搭載するレーダー、APG-73を空対空索敵モードへ。 ラダーペダルを踏み込んで機首を所属不明機の編隊へ向ける。しばらくして、APG-73から発せられる電波が目標を捉えた。 航空機であることは間違いなさそうだが――パイロットはメインディスプレイに映った八つの機影を睨む。魔導師なら魔力反応を検知できるはずだが、それがない。 間もなく視認距離に入る。通信機の周波数を国際緊急周波数に設定し、パイロットは所属不明機に警告を発しようとした。 「Warning,notification in the aircraft under the approach.This is Administrative Bureau. Teach belonging and the flight purpose(警告、接近中の航空機に告ぐ。こちらは時空管理局である、所属と飛行目的を知らされたし)」 さぁどう来る――型どおりの警告文を送って、パイロットは虚空を睨む。シミ一つない青空、この向こうに所属不明機がいる。 答えは思いのほか、即座に返ってきた。コクピットに、甲高い高音が鳴り響く。忘れもしない、ロックオン警報だった。 「ブレイク!」 なんだって畜生、くそったれめが。胸のうちで口汚く罵りながら、彼は通信機を通じて僚機たちに回避するよう叫ぶ。自身も操縦桿を左に倒して、F/A-18Cを高速左ロール。 ぐるりと視界が九〇度ほど回転し、しかしロックオン警報は止まない。酸素マスクの中で舌打ちをして、パイロットはチャフ/フレアディスペンサーの放出ボタンを叩く。レーダーロックオンだから、ばら撒くのはアルミ片のチャフだ。垂直尾翼の付け根から銀の吹雪が舞い散り、ロックオン警報が鳴り止む。 ほっと一息つくパイロットは、視界の片隅で何かが駆け抜けていくことに気付く。あっと思った時にはもう遅く、はるか後方で閃光、爆発。ロックオンから逃げ切れなかった僚機たちが、ミサイルを食らったのだ。 「イーグル3、4、ロスト!」 この野郎! 早期警戒機からの報告に、パイロットは怒り任せにエンジン・スロットルレバーを叩き込む。アフターバーナー点火、F404エンジンが咆哮を上げて赤いジェットの炎が姿を現す。 猛然と加速したイーグル1のF/A-18C、その後ろに撃墜を免れた僚機たちが続く。搭載する兵装はいずれも演習用の非殺傷非破壊、爆風の見た目のみがリアルに再現されたものだが、このままでは腹の虫が収まらない。 高度を上げて、八機の所属不明機の編隊に覆いかぶさるようにして接近。豆粒のように小さく見えていた不明機の群れが、徐々にそのシルエットを映し出す。 カナード翼にデルタ翼、エンジンは双発。仲間を問答無用で撃墜した憎い不明機の正体は、ラファールだった。 「各機、好きに落とせ」 ROE(交戦規定)に定められた反撃許可の条件はとっくにクリアしている。パイロットは愛機を上空から眼下のラファール目掛けて降下させ、使用する兵装をAIM-9サイドワインダー、短距離空対空ミサイルへ。 ラファールは編隊を崩し、上空から飛び掛ってくるF/A-18Cの編隊に各々真っ向から立ち向かう――素人が、僚機との連携も知らないのか。 無理もあるまい、とパイロットはラファールの群れを哀れんだ。先ほどからサブディスプレイに表示されるデータによれば、敵機にはいずれも生命反応が無い。 要するに、敵は無人機だった。 迂闊にも単機で自分に挑んできたラファールを、正面からロックオン。早速ミサイルの発射スイッチに指をかけて、そこでパイロットは何、と表情を歪めた。ラファールは右に急激な横転、同時に赤い炎の塊を空中にばら撒く。フレア、赤外線誘導のミサイルを幻惑させるものだ。 ただちにラダーペダルを踏み込んで機首を右に滑らせようとして、その鼻先を赤い曳光弾が駆け抜けていく。小さな悲鳴が聞こえて、それが自分のものだとパイロットは気付く。直後、正面を駆け抜けていくラファールが一機。バラバラになったかと思いきや、こいつらはしっかりと連携を取っていたのだ。 「追うぞ、イーグル2」 「待て、後方敵機! 七時方向、下から!」 後方の援護を担当する僚機に告げて、返ってきたのは了解ではなく警告。ぱっと振り返ると、先ほど取り逃がした一機のラファールが後方に回り込みつつあった。 くそ。短く吐き捨て、操縦桿を捻る。イーグル2は方向を維持し、このまま囮になる構えだ。以心伝心、鍛えられた戦闘機乗りたちには言葉さえ時折不要となる。 ラファールは逃げるイーグル1を無視する形で、イーグル2を追う。その後ろに、イーグル1は回り込もうとする。敵機を僚機と自分で挟み撃ちにする形だ。 今度こそ、とラファールの後方に回り込んだパイロットは酸素マスクからの酸素をたっぷり吸って、ロックオンを図る――待て。そういえば、さっき邪魔をしてきたラファールはどこに? 疑問が脳裏をよぎったのと、コクピットにロックオン警報が響くのはほぼ同時だった。反射的にパイロットは操縦桿を引いて上昇、同時にフレアを放出させる。 身体をGによって押さえつけられながらも、どうにか首を曲げて振り返る。ラファールが一機、追いかけてきていた。 何なんだこいつら、連携が取れていないと思ったら急に――歯を食いしばって迫るラファールの動きを注意深く観察し、操縦桿を右へ左へと動かし回避機動。しかし、敵機は離れない。だったらこうだ、とパイロットはラダーペダルを一度思い切り蹴飛ばす。天に向いたF/A-18Cの機首ががっと横滑りし、それを追うラファールも追従するような動きを見せた。 かかった。酸素マスクの中でにやりと笑い、パイロットは先ほどとは逆の方向にラダーペダルを蹴る。途端にF/A-18Cは横滑りをやめて方向を維持。単純なフェイクだが、空中戦では思いのほかこういう手が役に立つのだ。特に、決まった行動しか出来ない無人機が相手なら。 そのはず、だった。 コクピットに再び、ロックオン警報が響く。パイロットは驚愕し、振り返る。フェイクに引っかかったはずのラファールが、その矛先を自分に向けていた。無機質な質量兵器の面に、邪悪な微笑みが見えたのは気のせいだろうか。 「……っ嘘だろ、おい!?」 否。現実が彼に突きつけた答えは、あまりにも冷酷だった。ぶんっとキャノピーの外を何かが掠め飛び、それが赤い曳光弾であることに気付く。機関砲で撃たれているのだ。 回避機動を取ろうとして、愛機に金属ハンマーで殴られたような衝撃が立て続けに走った。被弾、計器に赤いランプが灯り左エンジンの内部温度が急激に上昇していることが知らされる。 恐怖に駆られて、パイロットは操縦桿を前に突き倒す。上昇中だったF/A-18Cは強引な形で機首を下げ、急降下へ。通信機に、助けを求める僚機の叫び声が響いていることなど、今の彼は知る由もない。視界の片隅にミサイルを食らって吹っ飛ぶF/A-18Cが見えたが、それでもパイロットは自分のことで精一杯だった。 ふわっと身体が浮くような感覚は、降下のためにマイナスのGがかかっているためか。その最中、パイロットの脳裏には何度も同じ言葉が響いていた。 何故だ、俺たちはJS事変を生き残ったんだぞ。何故だ、俺たちは今日教導隊の連中とやり合うはずだったのに。何故だ、俺たちは、俺たちは、俺たちは。 何故――どっと衝撃が走り、視界が白熱する。そこで、彼の思考は途切れた。 イーグル編隊を全滅に追い込んだラファールは、編隊を組みなおして新たな獲物へと向かう。進路上には、本局の空戦魔導師たちの姿があった。 全滅。訓練本部よりその言葉を聞いた時、ヴィータは思わず表情を歪めた。続いて、所属不明機――いや、もう明確に敵機と呼んだ方がいいだろう。ともかくも敵機の編隊は 次の獲物を求めて、今度は自分たちに向かってきているそうだ。 引くべきだ。無論、そういう選択肢もあった。ベテランパイロットばかりだった戦闘機隊が、全部撃墜された。今日は訓練のはずだったから、持ってきたカートリッジだって数は多くない。事実を並べるだけでも、撤退してやむを得ない条件は揃っている。 「出来るか、んなこと」 けっとヴィータは脳裏に浮かんだ選択肢を否定する。目の前で仲間がやられたのだ。尻尾を巻いて逃げるなど、鉄槌の騎士の名が廃る。 もっとも、それを部下たちにまで強要するつもりはない。後方を飛ぶ六人の教導隊の空戦魔導師たちに、撤退の許可を下す。 だけども魔導師たちは首を振り、笑みを浮かべてこう言った。ご冗談を、お付き合いしますと。 「うちの小隊は馬鹿ばっかだなぁ」 「あなたに言われたくありません」 「んだとこの野郎」 言葉とは裏腹に、不敵な笑みを浮かべて各々戦闘態勢へ移行。敵が無人機であるという情報だから、手加減はいるまい。 行けるな、アイゼン? 手元の相棒グラーフアイゼンに確認の意味を込めて問いかける。もちろん、と返答が来てヴィータは頷き、グラーフアイゼンをハンマーフォルムへ。 虚空を睨むヴィータの視界に、ちかっと何かが光るのが見えた。 <<Warnung,Feindlich>> 「あぁ、見えた――散開!」 敵機接近。グラーフアイゼンに言われるまでもなく、ヴィータは視界に映った光が敵機のものであると確信する。おそらくは、キャノピーに太陽の光が反射したのだろう。以前、訓練の合間にそう教えてくれた奴がいる。 魔導師たちはヴィータの指示を受けて散開すると同時に、手にした汎用デバイスを駆使して周囲に魔力弾を出現させる。そうして、はるか後方に向かって"ばら撒いた"。 JS事変後、空戦魔導師たちは地上本部が配備を進めた戦闘機と言う存在に押され気味だった。圧倒的な加速力に高い火力、レーダーによる高度な索敵能力は脅威と呼ぶほか無かったのである。 だから、魔導師たちは生き残るため必死に策を練った。その一つが、空中に魔力弾を散布させるものだ。戦闘機は魔導師と対決する場合、必ず魔力反応を頼りに索敵する。そして魔導師たちが視認できるはるか圏外からミサイルを撃つ――ならば、空中に大量の魔力反応があればどうなるか。 「どれが魔導師か分からなくなって、レーダーによるロックオンは不可能となる――となぁ!」 正面、横に広がる敵機の編隊を視認。ヴィータは周囲に鉄球を浮かび上がらせ、グラーフアイゼンを振り抜く。シュワルベフリーゲン、ベルカ式では数少ない誘導可能な射撃魔法。放たれた鉄球は魔力付与され、高速で突進。 敵機ラファールは合計八機、四機ずつが左右に開いてヴィータの放った鉄球を回避する――戦闘開始。後方より追従してきた魔導師たちも汎用デバイスを構え、一斉射撃。ラファールの編隊はさらに細かく別れて魔力弾による弾幕を回避。右へ左へ、散り散りになった敵機の編隊を見て、ヴィータは「援護頼む!」と魔導師たちに射撃を続行するよう命令し、自身は手近なところにいた二機のラファールに向かって突進。 策は、まだあった。ミサイル、機関砲と言った射撃武器以外搭載していない戦闘機にとって、格闘攻撃を保有する魔導師との接近戦は常に被弾の危険が付き纏う。接近戦を得意とするベルカ式にしてみれば、戦闘機を撃墜するチャンスなのだ。 突進してくるヴィータに向けて、二機のラファールは機関砲で迎え撃つ。赤い曳光弾が空中を引き裂き、騎士甲冑を掠め飛ぶ。常人ならば飛び込むことを必ず躊躇する弾丸の雨の中を、ヴィータは左右上下に細かく動いて突き進んでいく。怖くないなんて嘘だが、それよりも胸に秘めた闘志の炎が燻っていた。 自分で言うのも何だけどよ。あたしは特にちっちぇからな――二機のラファールはこれ以上の接近は危険と判断、上下に別れて回避を図る――狙ったって、そうそう当たりゃしねぇんだよ。 「っらぁ!」 痛烈なる一撃、テートリヒ・シュラーク。逃げを打ったラファール、しかし上昇した一機のデルタ翼をグラーフアイゼンの矛先が捉えていた。 がん、と重そうな金属音が空中に響く。手先に確かな手応えを感じながら、ヴィータは振り返る。特徴的なデルタ翼を粉砕されたラファールが、どうにかバランスを取り戻そうともがきながら落ちていく。 ありゃもう無理だな――自身が撃墜した敵機を哀れみながら、もう一機に狙いを定める。降下で逃げたラファール、その鼻先に向かってシュワルベフリーゲンを叩き込む。自分が標的にされていることを知ったラファールは驚いたように右へ横転。 読み通り、もらった! 敵機が動く頃にはグラーフアイゼンを構え直し、ヴィータは急降下。自ら彼女の眼下に転がり込む形になったラファールに向かって突進する。最短距離での降下、重力さえ味方につけたがゆえ、反応することすら難しい高速機動。 瞬間、ラファールのデルタ翼が跳ね上がった。右に横転していたため垂直になっていた左翼は下がり、今度は右翼が垂直に向く――左横転。ヴィータは何、と表情を歪めつつも今更止まる訳には行かず、グラーフアイゼンを振り下ろす。 「こなくそぉ!」 雄叫びと共に振り下ろされた鉄槌は、ラファールの右翼を先端から叩き割った。左に横転しようとしていた機体は強引に右横転に引きずり戻され、そのままバランスを崩して落ちていく。 何だ今のは――落ち行くラファールの残骸を睨みながら、ヴィータは疑念に駆られた――攻撃を読まれた? それとも奴は最初からこうするつもりだったのか。右に横転するように見せかけて、実は左に行くつもりだった。そこに偶然自分の攻撃が入って、避けられそうになったのか。 湧いて出てきた疑問。しかし、答えを探すのは後だ。ヴィータは次の敵機を落とすべく、首を振って思考を振り払う。 視線を上げれば、青空を彩る魔力弾の光、その合間を縫うようにして飛行機雲が何本も複雑なループを描く。編隊を細かく分断されたラファールはどうにか二機一組の編成を取り戻し、反撃に移ろうとしていた。 だけども、魔導師たちの連携は絶妙だった。ロックオンされるのを防ぐため、ラファールが機首を向けた先からはただちに退避。逃げる魔導師を追いかけようと首を振るラファールだが、その鼻先を魔力弾が駆け抜ける。際どいところでラファールはこれを避けるも、おかげで戦闘開始から多くの機体が一発も攻撃を放てぬままでいた。徹底的なまでに互いをカバーし合うことで、彼らは戦闘機の機動力を封じつつあった。 そして、思うように動けず魔力弾にきりきり舞いさせられるラファールの側面に迫る赤い小さな影。 「遅ぇ!」 寸前にまで迫られてようやくロールで回避を図るラファールの胴体目掛けて、ヴィータはグラーフアイゼンを叩きつける。一見力任せに見えるその一撃、されど込められた力は魔力と言う名の破壊の力。機体を真っ二つに叩き割り、飛び散る破片を払いのけてヴィータは三機目、と口走る。 もう一機。落ちていく敵機の残骸には目もくれず、その場で反転したヴィータはふと、太陽の方角で何かが光ることに気付く。確かめるまでもない、上空からラファールが仲間の敵討ちでも取りに来たかのように、太陽を背に急降下してきたのだ。視線を敵機の方に放り投げて、ヴィータはくそ、と呟いた。太陽の光が強く、一瞬だったが眼をやられた。動きを止めたヴィータを、ラファールはロックオン。 <<Warnung,Schloß auf wird ausgeführt!>> 「二尉、任せて!」 グラーフアイゼンからの独特のベルカ語による警告、魔導師たちの叫びがほぼ同時に響く。太陽の方向に向けて大量に撃ち上げられる魔力弾、その勢いは打ち上げ花火の如く。 ミサイルを放とうと方向を維持していたラファールの行動は、ここに来て仇となった。歓迎するように放たれた魔力弾の雨に自ら突っ込み、機首から垂直尾翼にかけてほぼ全身を穴だらけにされる形となった。次いで爆発、炎上。火の鳥と化したラファールは今更の回避機動を取ろうと、機首を上げていく。 燃えながら上昇していくラファールを見て、ヴィータは思わず滲み出た冷や汗をぬぐい、魔導師たちに向け、感謝の意味を込めて親指を立てた。 魔導師たちは笑みを浮かべてヴィータに応えて――次の瞬間、頭上にやって来たものを見て顔面蒼白となった。魔導師たちの行動に怪訝なものを感じたヴィータは彼らの視線を辿り、自らの顔面からも血の気が引くのを感じた。 火の鳥となって上昇していたラファールはそのまま空中で四散するかと思いきや、途中で反転。最後の力を振り絞ったようにアフターバーナー点火。赤いジェットの炎から生み出される爆発的な加速力に重力さえも味方につけて、魔導師たちに向けて自ら"突っ込んだ"。 本能的に、ヴィータは魔導師たちに手を伸ばしていた。届くはずがない、だが彼女は諦めきれなかったのだ。 無論、現実はどこまでも非情だった。燃え上がりながら落ちていくラファールに魔導師たちのうち何人かは回避が間に合わず、巻き込まれた。そのまま高速で降下していった赤い炎の塊は、やがてヴィータの視界から消えていった。 絶句。今の彼女には、特攻などと言う愚行をやらかした敵機への罵倒の声も、巻き込まれた魔導師たちへの弔いの言葉も出せなかった。 手に残る感覚は、助けられなかったと言う虚空を掴んだような空虚感のみ。 「――二尉、残りの敵機が!」 「……っ!」 かろうじて難を逃れた魔導師の報告で、はっとヴィータは我に返った。 振り返り、魔導師の指差す方向に向けて彼女は視線を走らせる。特攻と言う犠牲を出しながらもそれによって魔導師たちの間に広がった動揺を突き、残り四機となったラファールは編隊を組みなおし、どこかに向けて上昇を開始していた。追いかけようとしたが、敵機の速度はすでに超音速を超えていた。こうなると魔導師では追いつけない。 くそ。短く吐き捨て、しかしヴィータは胸のうちに宿った疑問に眉をひそめる。 あいつら、いったいどこに行く気だ? 訓練空域にはあたしたちの他には誰も――! 「しまった!」 どっと駆け出し、ヴィータは敵機を追う。カートリッジをロード、グラーフアイゼンに機械的な音を立たせ増えた魔力を加速に使う。これだけやっても敵機との距離は開くばかりだったが、彼女は加速をやめなかった。 もっとだ、もっと速く、もっと速く。グラーフアイゼンが身体への負担を心配して忠告してくれたが、それどころではない。 ラファールの目指す先には、訓練を観測するヘリがいた。すなわち――なのはも、そこにいる。 所属不明機の出現、警告に向かった地上本部戦闘機隊の全滅、魔導師たちの迎撃。これまでの全ての流れは、早期警戒機を通じてヘリの方にも伝わっていた。 無論、観測用のヘリに武装などは搭載されていない。戦闘機隊が全滅した時点で、ヘリは空域からの離脱を図っていた。 がっと機体が揺れて、なのはは小さく悲鳴を漏らして無機質な席のパイプにしがみつく。とにかく急いで離脱するため、ヘリのパイロットは多少の安定性は無視した操縦を行っていた。 「もう少しの辛抱です、それまで我慢を。あと八分で基地からのエスコートが来ます」 どうやら悲鳴が聞こえてしまったらしい。なのはは操縦中にも関わらず気遣ってくれるパイロットに申し訳ない思いを抱きつつ、端末に表示されるレーダー画面と窓の外を交互に見る。ここからでは見えるはずもないが、レーダー上の光点は忙しなく動き回っている。ヴィータたちが、敵機を押さえようと頑張っているのだ。 あっと、なのはは息を呑んだ。レーダー画面の中で識別信号のない光点、すなわち敵機の一つが味方に覆いかぶさり、共に消えた。レーダー上から姿を消すと言うことは――その先の言葉が脳裏をよぎる直前、通信回線に聞き覚えのある声が割り込んできた。 「観測ヘリ、聞こえるか!? 全速力で逃げろ、必要なら機材捨てて機体を軽くしろ!」 「ヴィ、ヴィータちゃん? どうして……」 「敵機だ、ラファールが四機そっちに――」 思わず、なのははレーダー画面に視線を向けた。四つの識別信号のない機影が、高速でこちらに迫りつつあった。その後ろを味方、ヴィータと魔導師たちが追うが距離は開く一方だ。おそらく敵機は超音速を突破しているのであろう。首元にかけていたレイジングハートが素早く会敵までの予想時間を計算、残り五二秒。パイロットの言った基地からのエスコート(護衛)は到着まであと七分。ヘリの出せる速度で戦闘機を振り切るなど、無謀もいいところだ。 「もう駄目だ、追いつかれちまうよ」 「馬鹿野郎、ビビってんじゃねぇ。俺だって死にたくはねぇんだっ」 諦め、自分の運命に嘆く副操縦士を機長が怒鳴りつけている。その言葉の中にあった単語が脳裏をよぎった時、なのはは妙に懐かしい感覚を覚えた。 ――ビビるな、とは言わない。 彼はここにはいない。だけども、彼の言葉は記憶に残っている。 ――ビビった後に、何をするか。 首元のレイジングハートに向けて、彼女は問いかける。やれるかな?と。飛ぼうと思えば今でも飛べる、そう考えてきたがいざ実戦を前にするとどうしても躊躇してしまう。 数ヶ月と言えど生じたブランク、それがなのはの心に足枷となって絡みつく。 だから、レイジングハートは正直に答えた。やれます、と。あなたも私も、引退するにはまだまだ早い。翼は決して、失われてなどいない。 頼もしい相棒の言葉を受けて、なのはは覚悟を決めた。ヘリのパイロットたちに一方的に「囮になります、その間に退避を」と告げて、席を立つ。キャビンを飛び出し、ロックされていた扉を解放。ごう、と冷たい風が流れ込み、彼女を押し止めようとする。 ――それが、エースか否かの別れ道。 確かそうでしたよね、メビウスさん? 青空の奥に向かってかつての戦友に問いかけ、なのははヘリから身を投げ出し、空中へと舞い戻った――そうだ、戻ってきた。帰ってきた。耳元を流れる風の音。頬を撫でる冷たい空気。無限に広がる蒼の空間。何もかもが懐かしい。 「レイジングハート!」 <<All light>> 相棒の方も準備は万全。なのはは少し笑って、口ずさむ。本来ならば必要ない、だけど今はあえて言いたい。 風は空に。 星は天に。 輝く光はこの腕に。 不屈の心は―― 「この胸に――レイジングハート、セットアップ!」 瞬間、光が彼女を包み込む。教導隊の制服は溶けて消え、代わりに纏うは純白のバリアジャケット。腕に持つのは金色の杖、相棒レイジングハート・エクセリオン。 桜色の光が消えた時、エースが空に舞い戻る。そして、それを待ち受けていたかのように青空の奥から響くのは、凶暴なジェットの轟音。もう間もなく、視認距離に入るはずだ。 なのはは虚空の先を睨み、足元に光の翼、アクセル・フィンを展開。戦闘機に負けず劣らずの加速で一気に飛び出し、迫る敵機に立ち向かう。 「行くよ、レイジングハート」 <<OK>> エースオブエース高町なのは、ここに復活。 空を駆け抜け、なのはは迫る敵機を目視する。ただちにレイジングハートがデータバンクから敵機の種類を特定し、主に伝える。敵機ラファールはカナード翼とデルタ翼を装備し、高い反応速度を持つ万能マルチロールファイターだ。決して油断していい敵ではない。それらが四つ、彼らもなのはを確認したようで上下左右に別れ、群がってくる。 まずは牽制――多数の魔力弾を高速展開し、放つ。アクセルシューター、誘導機能持ちの文字通り魔法の弾丸が青空を駆け抜けラファールに迫る。ラファールは各々上昇、降下または左右にロールしてこれを難なく回避。反撃に移ろうと機首をなのはに向けたところで、そこに彼女の姿がないことに気付く。 その時、一機のラファールが何かを見つけたように機首を跳ね上げた。翼の先端から水蒸気による白い糸を引き、鋭い急上昇。デルタ翼の下に抱えたミサイルを放とうと一発目を切り離した瞬間、光の渦がミサイルもろともラファールを飲み込んだ。強力な砲撃魔法に耐えられるはずもなく、部品をパラパラと空中にばら撒きながら四散。 アクセルシューターを放って誘導制御を行いながら上昇、次いでディバインバスターによる不意打ち。上手く行くかどうか分からなかったが、一機目のラファールを仕留めた時、なのはは確信した。腕はそれほど落ちてない、やれる。 仲間を撃墜されたラファールは怒ったように全機上昇、三機が一斉にロックオンし、なのはに向けてミサイルを放つ。 <<Missile,break>> レイジングハートに言われるまでもなく、なのははアクセル・フィンをフル稼働させて高速機動。後方に飛んで逃げる彼女に、放たれた三発のミサイルは猛然と迫る。 さすがに振り切るのは難しい、か。耳元に流れる風の音を聞きながら、なのははミサイルを睨んだ。一度ロケットモーターを点火すれば、あっと言う間に超音速を突破するこの質量兵器を振り切るのは至難の業。撃墜するか、あるいは――なのはは撃墜と言う手段を選ばなかった。 代わりにその場で急停止。バリアジャケットのおかげである程度は抑えられるも、決してゼロではないGの強さわずかに表情を歪めつつ、前に向かって急加速。ミサイルに、自ら突っ込む形となった。 「レイジングハート、プロテクション!」 <<All light.Protection>> 防御魔法のプロテクションを全方位に発動させて、なのはは襲い来る三発のミサイル、その中央に突撃を敢行する。 ミサイルは無論近接信管を作動させ、爆発。爆風がなのはに飛び掛り、衝撃と破片が彼女の身体を殴り切り刻む――否。全方位に展開させたプロテクションが、そのいずれをも弾き返す。爆炎の嵐の中を駆け抜けたなのは、その視線の先にはミサイルを発射した直後でガードの甘くなったラファールがあった。 「当たって――シュート!」 プロテクションを解除と同時に、アクセルシューターによる射撃開始。放った魔力弾の数は少なかったが、意表を突かれる形で攻撃を受けたラファールが避けられるはずもなく被弾。エアインテーク内に致命傷を負ったラファールは、内側から発生した炎と衝撃によって食い千切られた。 残り二機。なのはは視線を宙に走らせ、一機を捉える――もう一機はどこに? <<Check 6,Master>> 疑問の答えは、相棒が教えてくれた。なのはは振り返ろうともせずにアクセル・フィンを稼動させ、左に横転。直後、身体を掠め飛ぶ赤い曳光弾。 違う、JS事変の時の無人機とは――なのはは敵機の攻撃に奇妙な違和感を覚え、そして確信した。一機のラファールはあえて見つかりやすい位置に出て、もう一機が背後から忍び寄って攻撃する。JS事変の時に現れた無人戦闘機は、連携こそすれどこんな人間臭いパターンまでは持ち合わせていなかった。 だが、考えるのは後だ。後方から迫るラファール、機関砲を撃ってきたと言うとことはだいぶ距離を詰められている。振り返れば案の定、凶暴な質量兵器の面がそこにあった。 右へ左へ、なのはは少しでも狙われにくくしようと進路を逸らす。後方のラファールはちょこまかと動き回る彼女に、機関砲の照準が合わせられないようだった。時折空を引き裂く赤い曳光弾も、寸前のところで回避している。 この調子なら――反撃のチャンスを探ろうとするなのは。その正面に、先ほど囮になっていたラファールが回り込む。挟み撃ち、これが狙いだったのか。 アクセルシューターで迎撃。脳裏にそんな思考がよぎり、瞬時に否定。この距離では間に合わない。 一か八か、なのはは天を睨んで一呼吸置き、急上昇。上から叩きつけられるようなG、短く咳き込んでどうにか耐える。唐突な急機動にラファールたちは遅れつつも、アフターバーナー点火。ジェットの加速力に物言わせて、逃げるなのはに追いすがる。 「しつこいのは嫌われるよ――っと」 ちらっと後方に眼をやってラファールの位置を確認。高速で上昇しながら魔力弾を二発展開し、なのははすっと息を吸い込み意識を集中させる。 目標は後ろの敵戦闘機――当たって。 心の中で呟いた言葉。その直後、展開された二発の魔力弾は自ら意思を持ったように後方に飛び去る。 なのはを追うべく上昇中だったラファールは突然降りかかってきた魔力弾を目撃し、たまらず横転、回避機動。一機が間に合わず降ってきた魔力弾の直撃を浴び、しばらくまっすぐ飛んだかと思うとガタガタと揺れだし、空中分解を開始。最後には爆発、空中に散った。 上昇しながら魔力弾をコントロールし、後方の敵機を落とす。エースにしか為せない、まさしく神業。 残り一機となったラファールは姿勢を立て直し、なおもなのはに挑もうとする。望むところ、となのはは眼下から立ち向かってくるラファールに向け、レイジングハートを構えた。 <<It can shoot,Master>> 撃てます、とレイジングハートからの報告。この距離ならば、ディバインバスターのチャージ時間も充分なものがある。多少の照準のズレは、火力で補える。 「ディバイン――っ!?」 瞬間、なのはは我が目を疑った。 猛然と急上昇し迫りつつあったラファールが、突然機首を下げて水平飛行に。空戦中の水平飛行など、自殺行為であるはずなのに。 異変はそれだけではなかった。敵機は水平飛行に戻ると、脚を展開させて速度を落とした。戦闘機が敵を前にして脚を出すと言うことは、敵意がないことを証明している。 駄目、となのはは叫んでいた。事情は分からないが、あのラファールは戦意を失った。攻撃する意味はもうない。 しかし、ここに来て数ヶ月のブランクが彼女の身体を蝕んでいた。以前ならば出来たはずの魔力供給カット、詠唱停止、術式の起動停止が、出来なかった。 「……レイジングハート! 魔力供給カット!」 叫び、しかし間に合わず。 不本意な形で放たれた得意の砲撃魔法は、戦意を失ったラファールを飲み込み、容赦なく粉砕してしまっていた――。 この日、訓練中の地上本部戦闘機隊と本局教導隊を襲撃した戦闘機の所属は調査が行われたものの、最後まで分からずじまいだった。 いったい誰が。何のために。襲撃の真意は、依然として誰も掴めていない。正体不明、目的も不明のテロリストにミッドチルダの人々は戸惑いと恐怖を覚えざるを得なかった。 ただ――公表された事件を見て、ほくそ笑む者がいた。惜しむらくは、まだ誰も彼らの存在に気付いていないことだろう。 [[戻る>project nemo_03]] [[目次>T-2改氏]] [[次へ>project nemo_05]]