Template:Sakujo/本体
{{Infobox Islands
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| name = 尖閣諸島
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| image caption = 尖閣諸島の位置と名称(日本語名)
1.魚釣島 2.大正島 3.久場島 4.北小島 5.南小島 6.沖の北岩 7.沖の南岩 8.飛瀬
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| location = 東シナ海
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| major islands = 魚釣島、久場島、大正島など
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尖閣諸島(せんかくしょとう)は、東シナ海の南西部(八重山諸島)にある島嶼群。石垣島北方約130km - 150kmの、北緯25°44' - 56'、東経123°30' - 124°34'の海域に点在する。尖閣列島(せんかくれっとう)ともいう。
「尖閣諸島」の名称は、明治政府からこの島を無償貸与された実業家の古賀辰四郎の依頼により、Template:和暦5月に当地を調査した高知県出身の教師、黒岩恒が命名したもので、島の尖っている形状と「イギリス海軍水路誌」にある"The Pinnacle Islands"の意訳に由来する。中華人民共和国(中国)及び中華民国(台湾)では、釣魚台列嶼と呼ばれる。
尖閣諸島は琉球諸島西方の東シナ海に位置しており、沖縄トラフの西側に位置する。ここはユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが沈み込んでおり、尖閣諸島は沖縄から年々その距離が離れている。南西諸島から中国大陸に続く大陸棚の上にある。
地質は火山性であり、岩盤がむき出しになっており、河川や湖沼といった水源がないため、農業が出来ないことから定住することはなかったが、第二次世界大戦前の一時期、日本人が定住し開拓者にちなんだ通称「古賀村」集落が形成され200人あまりが生活していた。
付近海域は、好漁場であるためそれを餌とする大量の海鳥の生息地となっており、特に絶滅危惧種のアホウドリやクロアシアホウドリの繁殖地となっている河野裕美 「アホウドリ」『沖縄県の絶滅のおそれのある野生生物(レッドデータおきなわ)-動物編-』、沖縄県文化環境部自然保護課編 、2005年、61-62頁。長谷川博 「アホウドリの保護」 黒田長久監修 C.M.ペリンズ、A.L.A.ミドルトン編 『動物大百科7 鳥類I』、平凡社、1986年、60-61頁。。しかし沖縄県がアメリカ軍に占領され、日本政府が主権を行使できなかった1960年代には、尖閣諸島に大量の台湾人漁民が「不法入域」していたため、琉球大学の高良鉄夫教授らによる調査団がTemplate:和暦春に100万羽以上の海鳥が生息する事を確認していたが朝日新聞1963年5月21日夕刊、Template:和暦に行われた調査では、小島のカツオドリが20万羽から1万羽、北小島のセグロアジサシは50万羽から10万羽に激減していた朝日新聞1968年7月18日夕刊。これは台湾漁民が不法操業のついでに上陸し、海鳥や卵を大量に収奪していたからである。その後も台湾漁民による不法上陸が報告されているが朝日新聞1969年7月11日付け夕刊、現在では上陸そのものが厳しく制限されており、保護されているため、元の海鳥の楽園となっている。
{{Multiple image |direction = vertical |width = 220 |footer = Template:国土航空写真 |image1 = Senkaku-uotsuri.jpg |caption1 = 魚釣島 |width1 = 220 |image2 = Kubajima of Senkaku Islands.jpg |caption2 = 久場島 |width2 = 220 |image3 = Taisyoujima of Senkaku Islands.jpg |caption3 = 大正島 |width3 = 220 |image4 = Kitakojima and Minamikojima of Senkaku Islands.jpg |caption4 = 北小島(上)と南小島(下) }} {{Multiple image |direction = horizontal |width = 120 |footer = Template:国土航空写真 |image1 = Okinokitaiwa of Senkaku Islands.jpg |caption1 = 沖の北岩 |image2 = Okinominamiiwa of Senkaku Islands.jpg |caption2 = 沖の南岩 |image3 = Tobise of Senkaku Islands.jpg |caption3 = 飛瀬 }} 主な島と岩礁は以下のとおり。面積と最高標高はそれぞれ沖縄県Template:cite webと海上自衛隊Template:cite webが作成した資料によるもの。
いずれも無人島であるが、戦前(太平洋戦争以前)、一時的に定住者がいた時期もあった。なお、大正島は国有地(国有財産)であるが、久場島など4島は後述のように個人所有(私有財産)であり、日本政府が賃貸借契約を締結し賃貸料を支払っている。また、上陸には日本政府の許可が必要であるが、許可が出されることはほとんどない。なお、上空は日本が管轄する防空識別圏であるため、航空当局の許可があれば島上空を飛行することは可能であり、付近には民間航空路が設定されている。
Template:和暦1月16日、日本政府は排他的経済水域(EEZ)の基点となるにもかかわらず名称が不明であった離島について、地元自治体などに呼称を照会した上で、同年3月末までに命名する方針を示し尖閣周辺、39の無名離島に命名 EEZ基準で官房長官 共同通信(47NEWS)、2012年1月16日、3月2日には名称が決定した<ref name="meisyou120302">名称不明離島の名称決定・地図等への記載について 総合海洋政策本部、2012年3月2日。この中には、尖閣諸島近海の4島が含まれており、このうち久場島付近にある3島は北西小島、北小島、北東小島、大正島付近にある1島は北小島と名付けられた<ref name="meisyou120302" />。この結果、本諸島には計3つの北小島が存在することになった。
thumb|right|220px|民間機から見た尖閣諸島(左から魚釣島、北小島、南小島)
日本政府の公式見解は「この領域に領有権問題は存在しない」というものであるが、中国政府や台湾は領有権問題が存在すると主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属するが、台湾は宜蘭県に属すと主張している。2005年の沖縄近海における台湾漁船の抗議行動や尖閣諸島中国漁船衝突事件のように領有権を主張する台湾・中国側との間で不法操業や不法越境・上陸をともなう国際問題がしばしば発生している。
現地調査の結果、いずれの国の支配下にもないと確認した日本政府は、Template:和暦に尖閣諸島を日本の領土に編入することを閣議決定。同年、尖閣諸島は実業家古賀辰四郎に期限付きで無償貸与される。1880年代後半からTemplate:和暦にかけ、尖閣諸島には日本の琉球諸島の住民が建設した船着場や古賀が開設した鰹節工場などがあった。
中国と台湾が領有権を主張し始めたのは、Template:和暦に尖閣諸島付近海底調査で石油や天然ガスなどの大量地下資源埋蔵の可能性が確認されて以降である。
Template:和暦に右翼団体日本青年社が魚釣島に私設灯台を建設し、保守管理してきた。日本国政府からの「灯台を正式に海図に記載し、今後は国が灯台の管理をしていきたい」との申し出により、Template:和暦2月に灯台は国に譲渡され、海上保安庁によって魚釣島灯台として管理されている。その他、北小島にも灯台がある。
中曽根内閣(1982年 - 1987年)の際に、海上保安庁は魚釣島に仮設ヘリポートを設置し、これに対して中国政府は抗議していた。現在、このヘリポートは、抗議とは無関係に、必要性や保守整備の観点から日本国政府により撤去されているTemplate:cite web。
Template:和暦には、魚釣島に尖閣神社が建立された。また、尖閣諸島防衛協会により日本国旗の碑が設置された。
『毎日新聞』2010年9月19日版を元に概要のみ記すTemplate:cite web。詳細は尖閣諸島問題を参照。
thumb|[[1910年頃の尖閣諸島民とその住居と掲げられる日章旗]] 大正島が国有地である以外は私有地であり、Template:和暦より日本国が賃借している以下『日刊ゲンダイ』 2010年10月2日号2面より抜粋引用。。総務省は2002年に賃借契約を結び、年間約2,450万円で賃借(魚釣島2,112万円、南小島188万円、北小島150万円)とされる。久場島は在日米軍が使用している。
尖閣諸島を開拓したのは、福岡県八女市出身の実業家古賀辰四郎であった。1870年代後半に八女茶の販路拡大のために沖縄に進出し、高級ボタン用の夜光貝の輸出で富をなした古賀は、東シナ海の島の開拓にも乗り出し、Template:和暦に政府から尖閣諸島を30年間の期限付きで無償貸与され、鰹節工場やアホウドリの羽の加工場を設けた。この当時の尖閣諸島には、一時は280名あまりの島民が暮していた。Template:和暦に長男善次に当時の価格で1万5千円で払い下げ(2010年時点の金額換算で約2,500万円、大正島を除く)となり、第二次世界大戦中の1940年代前半に事業中止にともない無人となる。その後、妻が所有し、1970年代に埼玉県内の親交のあった人物に約4,600万円で譲渡した。
各島の所有者と所有地の住所は次のとおり。
石原慎太郎東京都知事は、Template:和暦10月24日放送の『新報道2001』にて、過去に尖閣諸島の一部を購入したいと考え、埼玉県内の所有者に相談をしたが断られたと語った。その所有者は大地主だったため、戦中や戦後に土地を政府に没収されたり、削られたりしたために行政や政治を信用できないとし、島は自分達で守り、絶対に売らないとしている。なお、石原と現在の所有者とは、石原の亡くなった母を通じてのつながりがあったために面談できたが、その事実が所有者に分かる前は「政治家には一切会いたくない」と門前払いされたという。
その後、所有者は、「本来土地というものは、先祖代々受け継がれるもの。私が所有者である限り、あの島は日本の領土です。外国企業からあの島を350億円で売却して欲しいと言われたが、断りました。もし仮に私の子孫が途絶えても、その時島の所有権は日本に移る。あの島は永遠に日本の領土です。」と答えたテレビ朝日『報道ステーション』 2011年11月30日放送分。
2012年4月16日(日本時間17日未明)、石原知事はワシントンで行った講演で、地権者から買い取る方向で基本合意したことを明らかにしたTemplate:Cite webTemplate:Cite web。
日本への返還直前のTemplate:和暦4月14日、沖縄で郵便事業を行っていた琉球郵政庁は記念切手「海洋シリーズ」第3集を発行したが、これは尖閣諸島の南小島でアホウドリ沖縄県内ではアホウドリがいるのは尖閣諸島に限られているが羽根を休める風景を描いたものだという。これは琉球郵政庁が切手を発行権限があるうちに、尖閣は沖縄の島であることを主張する切手を残すためであった。
公式には「海鳥」と題されているが、これは領有権を主張し始めた中華民国政府に対する配慮から、アメリカから発行中止命令1967年に日章旗を星条旗よりも高い位置に置いたことから切手発行が禁じられ未発行切手になった前例があった。を受けないためのカモフラージュであった。Template:和暦に琉球大学の調査によりクロアシアホウドリとアホウドリが尖閣諸島に生息することが確認されたことから、琉球郵政庁の切手発行担当者は原画担当者の安次富長昭にアホウドリを描くように指示、調査団の説明からイメージを膨らませたという。
また、担当者は第1集の「夕陽と島」でも魚釣島に沈む夕陽にしようと目論み、写真撮影のため原画技官を2週間に渡り出張させたが、悪天候のため尖閣諸島にたどり着けず、やむなく慶良間の海と島に変更されたという「郵趣」2011年9月号6-7頁/。
Template:座標一覧 Template:Commonscat 地形図、空中写真ともに国土地理院提供のデータ。
Template:尖閣諸島 Template:日本の周辺における領域・海域に関する主張
釣魚臺 Tiau-ǹg-thòi Lie̍t-yí Kapuluang Pinnacle 釣魚臺列嶼