七墓巡り図

七墓を巡りる図。大坂七墓を巡っていて、梅田墓地は貞享年間(1684年 - 87年)に元曽根崎村の墓地を梅田村に移設、現存しない。明治20年(1897年)頃に有縁墓は市内各所に移転されており、その後に残された無縁墓は移転されないまま鉄道用地となったと考えられる南浜墓地(浜墓地)行基が開いた日本最古の墓所といわれている。大阪市設南浜霊園として一部現存、葭原墓地天神橋筋六丁目交差点(天六)付近に存在。明治時代に長柄墓地に移転、蒲生墓地(野田墓地)東野田町に現存し大坂七墓の旧態が残る珍しい墓地となっている小橋墓地現存せず跡地は東高津公園となっており、現地には東高津延命地蔵堂のみ残る。千日墓地(千日前墓地)七墓の中で最も規模の大きい墓地が元和7年(1621年)に造成された千日前墓地である。千日前墓地は刑場に隣接し、花街だった難波新地にほど近い位置から無縁仏が多く葬られた。その後、法善寺(1637年)、竹林寺(1648年)が建立し、浄土信仰や現世利益を求める民間信仰の参詣人で賑わう場所となった。榎地蔵尊や三津寺墓地などが残るのみとなっている。飛田墓地(鳶田墓地)浪速区太子1丁目付近にあったが現存しない。

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最終更新:2020年08月14日 13:31
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