アメリカのアラバマ州にある都市。人口およそ1200人 (2020年)。
英語表記はPHIL CAMPBELL。シンボルマークはキャンベルのCをあしらったものだ。
まちの名は100年以上昔に鉄道を敷いた鉄道技師フィル・キャンベルの名前にちなみ付けられた。 なお、地図で確認すると表示がない!どうやら鉄道は廃線になってる模様や。
1993年、ニューヨーク州に住んでいるフィル・キャンベル(以下 フィル)はテレビで自分と同じ名前のまちを見つけ興味本位で一路そのまちがあろういるアラバマ州へ。
学校も市役所も、どこにいってもフィル・キャンベル。
フィルは あまりの興奮で誰かに自分のことを言いたくて思わず警察署に行った。何故か。 そこに出てきた警官に僕もフィル・キャンベルだ!と自己紹介したら警官は どこかに電話した。そしてフィルは市役所に行くよう言われた。 フィルが警官から紹介された市役所に行ってみるとハガキや手紙を見せてくれた。 フィルは思わず目を疑った。差出人が全員フィル・キャンベルだったんだ! フィル・キャンベルは たくさんいた。 フィルと同じくフィル・キャンベルの町に行きたい奴が大勢いることにおったまげたという。
そこでフィルは面白いから自分と同じ名前の町に全国のフィル・キャンベルを集める計画を思いつき、全国のフィル・キャンベルに、フィル・キャンベルの町にみんな集まろうよって手紙を出したら俺も行くって返事が結構あった。 なかには履歴書まで送りつけたフィル・キャンベルもいてフィル・キャンベルがフィル・キャンベルに生い立ちを教えるなんてなんか変な感じだとフィルは語る。 1995年、ようやく待ちに待ったフィル・キャンベルの会がアラバマ州フィル・キャンベル市で開催。 みんなと話しているときは困ったらしく、みんなフィル・キャンベルなのでメガネのフィル・キャンベルさんとかどこどこから来てるフィル・キャンベルさんとか、フィル・キャンベル個人ごとの特徴を付けて言わなきゃ皆が一斉に振り向くんだ。 ニューヨーク州のフィルは住所録作ったら皆フィル・キャンベルだから思わず笑っちゃったという。 ウィスコンシン州のフィル・キャンベルに楽しんでますかと尋ねたらああ楽しいねと答え このフィル・キャンベルの町は第二の故郷みたいな感じがするという。 この日集まったフィル・キャンベルは約22人。フィル・キャンベルの町はフィル・キャンベルだらけになり、大いに盛り上がった。
2011年4月、50年に一度ともいわれる巨大な竜巻がフィル・キャンベルの町を襲った。 竜巻の跡、フィル・キャンベルのあらゆる場所でガレキが散らばっていて 木は根元から抜け、車がひっくり返り 家屋は吹き飛んでいた。 たくさんの行方不明者が出た模様。 避難しようと教会に向かったが、教会は無残な姿で崩壊していた。 この年はフィル・キャンベルのまちができて丁度100年、夏には100周年を祝う盛大な祭を開催する予定で断念するしかなかった。 竜巻により約800棟の建物が破壊されまちは壊滅状態。被害総額は90億円以上、死者26人の大災害であった。
町の被災を知ったニューヨーク州のフィルは とても他人事とは思えなかった、フィル・キャンベルの人たちのために何か手助けしなきゃと思ったといい、 全国のフィル・キャンベルさんに対してフィル・キャンベル市の復興に協力をYoutubeやFacebook呼びかけた。1993年より便利な時代になったものだな。 フィルはできるだけたくさんのフィル・キャンベルを集めて一緒に町の復興を手伝おうと思った。 すると、フィル・キャンベルだ フィル・キャンベルで落ち合おうとかフィル・キャンベルはフィル・キャンベルのために立ち上がらなくては!とかフィル・キャンベルだって⁉︎私と同じ名前名前だ 行くよとか アメリカ各地のフィル・キャンベルが協力を申し出てくれた。 そしてフィルはフィル・キャンベルのまちへ。
かつてフィル・キャンベルの会が開かれた場所など変わり果てたフィル・キャンベルはメチャクチャクチャだ。
フィル・キャンベルには駅も被災して無くなった。まちの名でもあるフィル・キャンベルは鉄道を敷いた鉄道技師の名だが、そんな由緒ある駅が無くなったのだ。
そして、ケンタッキー州、アラスカ州、ジョージア州、ウィスコンシン州など各地のフィル・キャンベルたちが続々集まってきた。 ウィスコンシン州のフィル・キャンベルはフィル・キャンベルに来たのはフィル・キャンベルの会以来16年ぶりで亡くなった妻と最期に旅行した思い出の場所だからなんとか立ち直ってもらいたいという。 アラバマ州から来たフィル・キャンベルJr.は親の名も同じフィル・キャンベルだ。いつかはここに来たいと思っていたらしい。
フィル・キャンベルたちは さっそく町の復興に向け行動を開始。 するとそれを聞きつけたメディアが『巨大な竜巻によって壊滅的なダメージを受けたアラバマ州のフィル・キャンベルですが、今まちでは不思議な動きがあります。』と報道した。 リポーターがフィル・キャンベルたちを紹介してフィル・キャンベル軍団が結成され、フィル・キャンベルの町を蘇らせようとしていると報じた。 この行動が新聞やテレビで大きく取り上げられフィル・キャンベルの悲惨な現状が広く知れ渡った。これが大きな話題となり全国から寄付金が集まり始めた。
フィル・キャンベルたちは『I'm with Phil 〜フィルと共に〜』というTシャツを着て一丸となった。
フィル・キャンベル軍団によって再生する姿を見た住民は私たちも前に進まなければなりません町の皆を勇気づけるために一時期は断念した100周年祭を開催することが決定。
祭ではフィル・キャンベル軍団が招かれ沿道にいる住民の大歓声に応えながら町中をパレード。
軍団のなかにはミュージシャンもいて、ミュージシャンだから歌でまちの人たちを勇気づけたく1曲披露した。