新年度の始まり-7
「好きなの!」「えっ?」あさみの気持ちが心臓の鼓動となって、背中に伝わっていく。
(ああ、どうしよう…。追いかけちゃった…、抱きついちゃった…)今のあさみにとって、寄りかかっている背中が全てだった。暖かい不思議な感覚、心地良さに、目を閉じて身を委ねた。
ザーッ、トイレで水を流す音が聞こえた。ガチャ。「ふぅ…、和服って面倒だなぁ…って何してんの?」眞一郎の目に飛び込んできたのは、誰かの背中に抱きついているあさみだった。固く閉じられていた瞳が開いた。「えっ!? 仲上…くん?」あさみの目が驚きで見開かれる。(あれ? この人…誰?)「うひゃあ、何ですかぁ? いきなり…」丁稚がびくびくしながら頭をめぐらせた。「何、してんの?」もう一度眞一郎が聞くと、丁稚の背中から体を引き離し、必死にあさみが言い訳を開始する。「えっ!? え~っとぉ、こ…これは…、これ…これはぁ…」「ん?」「い…いが…、そう!、わ…私ってば、イガグリ頭が好きなの!」「え?」「あっ、あのね!? ちょっと…このイガグリ頭が見えて…、その…思わず…」「え? その頭が?」「そんなぁ、イガグリ頭なんて、ひどいっすねぇ。坊主頭、あ、一緒かぁ?」あさみの言い訳が続く。「私…、昔っからあの頭が好きで…、その…」少し俯いた顔は真っ赤になっていた。「…ぷっ」眞一郎はその様子を見て、吹き出した。「坊ちゃん! 僕の頭を見て笑いましたね!」「ぷっ…くっ…、ちっ…ちが…違うって! だってさぁ、坊主頭が好きなの! 何て、聞いたことねぇよ!。ふっ…あっははははっ!」「わ…笑わないでよ!」「むっ…無理…、あっはははっ!」「坊ちゃん…、ひどいっす…」
あさみ…、よく見ろよ…。
しかし、無理か…。眞一郎と丁稚は同じ柄と色の和服だったからな…。丁稚が目に入らなかったのは、仕方の無い事だ…。
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居間では、全員揃ってケーキと紅茶を楽しんでいた。一人を除いて…。「…」あさみは赤い顔を俯かせていた。眞一郎に「黙ってて!」と言っていたのだが、残念なことに丁稚もケーキの相伴に預かっていて、隠すことができなかった。全員に笑われ、からかわれ、すっかり意気消沈している。眞一郎の母でさえ控えめに笑っていた。「あさみぃ、食べなよぉ~。おいしいよ?」比呂美が勧めるが、「一番笑ってたくせに…」じとっと睨んでいた。「ごっ、ごめん…」「あっ! また笑おうとしてる! ひどいよぉ…」比呂美の顔がほころびかけるのをみて、あさみが言ったが、「だ、大丈夫…」無理して笑いを堪えているのが、見え見えだった。「いいもん…」遂に拗ねてしまった。「比呂美、放っておけば勝手に復活してるわよ」朋与は少しだけ厳しい目であさみを見ていた。一緒に笑ってはいたが、何か考え事をするかのように、最初にからかうのを止めて、ケーキをぱくついていた。「どうせ、ケーキ食べるの我慢できっこないんだから」「…」あさみがびくっと反応する。実はかなり我慢していた。甘い匂いが鼻に届いた時から、食べるタイミングを計っていたのだった。さすがに笑われながらケーキに手をつけるわけにもいかず、どうしたものか考えていた。「右手、見て? さっきからフォークはしっかり握ってるから、大丈夫よ」「うっ」「まあ、食べるまでみんなでじっと観察して遊んでもいいけど? あさみ?」「もう! 知らない!」怒ったフリをして、ケーキをフォークを刺し、大きく口を開けて食べ始めた。クリームが溶け、甘い味が口いっぱいに広がる、顔がほころんだ。「う~ん、おいし~い♪」たった一口で機嫌が直っていた。「…」比呂美はあさみが甘いもの好きであることは知っていても、言葉が出ない。どうやら、テーブルにいる面々も同様だ。しかし、朋与は冷静に、「ほ~らね? この子はこうなのよ…」「し、心配して損した…」眞一郎は結構衝撃を受けていた。
「「「「今日はありがとうございましたぁ!」」」」4人は軽く頭を下げて、お礼を言ってから仲上家を後にした。まだ日は高い。「どうする? "あいちゃん"寄ってく?」愛子が朋与やあさみに話しかける。「あっ、これから私達買い物行くんですよ。それに…」「それに?」「お邪魔はしませんよ?」口に手をあててニヤリと笑い、朋与が三代吉へちらっと視線を送った。「でへっ」三代吉の顔がだらしなくなった。「きっ、気を使わなくたって…」愛子が照れて頬を染める。「それじゃ! 私達こっちなんで!」
愛子、三代吉と別れ、あさみと2人だけになった。朋与の声と口調が変わる。「さて、どこにする? ウチに来る? 夜まで誰もいないわよ」事務的と言うか、感情のない声だった。「うん…そうする…。ありがと…」あさみにはケーキを食べていた時からあった元気がない。「途中で何か買いましょ?」「うん…」
朋与の部屋に入ると、あさみがへたり込む様にして座った。「はぁ…」思わず溜息が出てしまう。「さぁて、聞こうかな?」クッションを渡してから、朋与も適当に座り、買ってきたものを小さなテーブルに置いた。「うん…」あさみはクッションを抱き締めながら、"イガグリ頭が好きな理由"を話した。
「あんた、暴走しちゃったんだねぇ…」「…」あさみがぎゅっとクッションを抱き締めた。「イヤぁな予感してたのよねぇ、トイレぇ、なんて言うから…」「…」「で、どうなの? 仲上君にも笑われたけど?」「分かんない…」「まぁ、少し一人で考えな? ネットでも見て時間つぶしてるから…」「うん…ありがと。朋与…」朋与はパソコンの電源を入れ、買ってきたお菓子を食べながら、お気に入りのサイトを巡り始めた。
「うっ……ぐっ…うぅ…」しばらくすると、あさみから嗚咽が聞こえてきた。「…」朋与は何も言わず、ティッシュの箱をあさみの膝元に置く。「ううぅ……ううぅ……ううぅ!…」「落ち着いたら言って。聞くから…」それだけ言うと、朋与は泣き声を聞きながら、読みかけの本を取り出した。
「朋与、もう大丈夫。うん…。相変わらず本がいっぱいの部屋だね?」あさみが顔を上げて弱々しい笑顔で言った。赤い目と腫れたまぶたが痛々しい。「推理小説面白いわよ、時間を忘れて読むくらい。でも、ホントに大丈夫?」「うん、大丈夫、だと思うよ?」「そうみたいね? いつものあさみっぽい…かなぁ?」パンと本を閉じ、クッションに座り直した。「うん…、ありがと」「もうお礼はいいわよ。かなり本気だったみたいね? 泣くくらいだもの」「うん、自分でもびっくり。はむ…んぐ…」あさみはお菓子を食べ始めた。「…やっぱ、あんたは大したもんだね? 食べる? 普通?」少し朋与は呆れ気味の視線だ。「んぐ…んっ、まあ、ストレス解消? はむ…んぐ…」「はいはい。で、どうしようかね? 明日、学校だよ?」「んっ……………ううぅ…」「全然大丈夫じゃないっぽい…」朋与はさっき適当に閉じてしまったことを後悔しながら、再度本を開いた。
「今度こそ大丈夫? 明日、学校だよ?」「うっ…、だ、大丈夫…。はむ…んぐ…はむ…んぐ…」あさみのお菓子を食べるスピードが上がっていた。「うん、それなら何とかなるか。大丈夫? 明日、仲上君に会うけど?」「んぐっ…んっ………ぐぐぐ…、朋与ぉ、どうしよ~う?」あさみは涙目だ。「ちょっとタイミングが悪かったわね。でも、まだ時間あるから、頑張りな さいな。これが夕方とか夜だったら、大変よ?」「そ、そうだね…。がんばる…うん…。はむ…んぐ…んっ」「はぁ、明日の心配よりも、まずは気持ちをどうするか、かな?」「うん、はむ…んぐ…はむ…んぐ…んぐ…んぐっ…」「あんた、いい度胸してるね?」「え? どうして?、はむ…んぐ…」あさみは相変わらず食べながら会話しているが、朋与はそれを見咎めない。「昨日は始業式。これから1年みんな一緒」「ああああぁ~、そうだったぁ~。はむっ…んぐんぐ…んぐっ!」「見れる? 仲上君の顔」「うっ、それは難易度が高い、かも…」それはあさみにとって、聞かれたくない質問だった。「不自然だと、まずいよ?」「うん、んっ…、ごくっ…」食べたり、飲んだり、返事したり、あさみは忙しい。「明日は、比呂――」その時、朋与の携帯電話が鳴った。「比呂美だ…」「えっ?」「でるよ?」「私はいない!」「当然!」通話ボタンを押した。
「比呂美?」立ち上がって、あさみから少し離れ、机に座った。パソコンの画面を見ながら話し始めることにした。『うん、今、大丈夫?』「少しならいいけど…、これから出かけるから。どしたの?」本当は全然時間はあるのだが、あさみが後ろにいると思うと長電話はできない、心で比呂美に謝りながら朋与は小さな嘘をついた。『うん、分かった。あさみに悪いことしちゃったかな?って思って…』(ああ、やっぱ比呂美はいい子だなぁ)『それでね? あさみ、どうだったかなって思って…』「大丈夫だと思うよ? ちょっと落ち込んでたけど、笑ってたし」『ほんとぉ? 私、いっぱい笑っちゃったから…』「あたしも笑ったから、気にしても仕方ないって。後でメールでもしとけば?」『うん、そうだね。ありがと』「それよりも、明日…学校では言わない方がいいよ?」『言わないよぉ。今でも悪いかなって思ってるのに…』「仲上君にも言っておいてね?」『うん、眞一郎くんの方が気にしてたよ。最初に笑ったから…』(はいはい、そうですか。仲のよろしいことで)『朋与も言わないでしょ?』「当ったり前、噂にでもなったら、あさみがかわいそうじゃない?」『そうだよね。そうだ、野伏君には眞一郎くんから言ってもらうから…』(はいはい。眞一郎くん、眞一郎くん、眞一郎くん、ですか?)『あっ、長くなってごめんね? もう切るね?』「おっけー、じゃあ、また明日~」『うん、明日ね? ばいばい!』「ばいばい!」パタンと閉じてから、あさみを振り向く。
「比呂美は気付いてないし、仲上君も大丈夫でしょ?」朋与が話しながら机から移動して、あさみの近くに腰を下ろした。「うん…、ありがと。比呂美、気にしてたんだ…。はむ…んぐ…」「まあ、そうだろうね。あの子、よく笑うし。特に仲上君と付き合ってから」「んぐっ…思い返すと、別人だもんね…。はむ…んぐ…んぐっ」あさみの食べるペースは落ちない。"何か"を噛み砕き、飲み込んでいる。「まあ、分からないでもないけどね、あたしは聞いたもの、色々と、ね…」「私もちょっと聞いた。はむ…んぐ…んぐ…んぐっ…」「どう? 大丈夫? 明日、比呂美と仲上君に会うよ?」「はむ…はむっ…んぐ…んぐ…んぐ…んぐっ…」「がんばりなさい。結局、暴走しちゃったんだし…」「んぐっ…、うん…がんばる…」「聞いていい?」「何?」「そんだけ本気ってことは、昨日の"告白"だけじゃないんでしょ?」「はむ…はむっ…はむっ…んぐ…んぐ…んぐんぐっ…」「言いたくないなら、いいけど…」「んぐっ…ん…、ううん、目、だよ」「目?」「そう、あの時、見ちゃったんだ。仲上くんの比呂美を見る目」あさみの瞳に真剣な光が宿る。食べることを止め、真っ直ぐに朋与を突き刺すような視線だ。「分かんない」朋与はあさみの視線に気圧されてしまう。自分がまだ気付いていない、何かを見ていたことが分かったからだ。そして、その気持ちの強さも知った。「どきっとした。あんな目で見られたらって思っちゃった」「分かんないってば。あたしは見てなんだから…」「すごかったよ? どう言っていいのか、分かんないけど…。踊りの時とは 全然違う。あの時もすごいと思ったけど、昨日のは…」「分かんないなぁ~。でも、それが今日の原因なんだ…」「うん、朋与も見たらびっくりするかもね?」「あたしに通じるかな?」「う~ん、朋与はどうだろうね? 私みたいに、おバカじゃないし」「あさみはおバカって言うより…」「あっ! 何?」あさみの瞳から先程の真剣な光が消え、いつもの調子が戻ってきた。「何だろ?」朋与は何も考えていなかった。「ぶっ! なぁに? 言えばいいじゃない!」「いやぁ、正直言って、おバカよりも…」「なによぉ…。はむっ…んぐ……んぐっ…んっ…、ごくっ…」「いい言葉が浮かばないっつ~かぁ…」「ああっ! 結局私をおバカって言った! 言ったよね?」「え? そうかなぁ~?」朋与があさみから視線を外す。「私を見て言ってない! しかも、ちょっとバカにしてる顔だ!」「気のせい、気のせい」「ああっ! なんで半目なのよ! 朋与ぉ…。はむっ…んぐ…んぐ…んぐっ…」「イガグリ頭…好きなの…」「ぐっ! 今、それ言う!? ねぇ? ねぇ?」「だって…好きだったの…イガグリ…」朋与は、ニヤニヤしていた。「と~も~よ~っ!」結局、朋与はあさみの相談にのっていたんだろうか?2人の賑やかな会話は夕方まで続いた。あさみはその頃になると、すっかり元気になり、普段通りの会話ができるようになっている。
キィ、バスルームのドアが開いた。ゆっくりと近づいてくる。「眞一郎くん、野伏君に言ってくれた?」隣に座って、寄りかかるようにして肩を触れさせた。「ちゃんと話しておいた。アイツは口固いから、安心」「うん…」「比呂美」手が腰に回り、体ごと引き寄せる。「眞一郎くん…」二人はバスタオル一枚だけ身に着けていた。「まだ…明るいね?」比呂美の部屋は角部屋だ、陽の光がカーテン越しに全体を明るくしている。「あぁ、そうだな…」「すごく、恥ずかしいなぁ…」「比呂美の顔がよく見えるから、俺は嬉しいけど、な?」体を密着させた。「眞一郎くん♪、ん…んん…ちゅ…ちゅぱ…んく…、 あっ!? ちょっ! 待って!…上で……あん………ぃゃ…」「我慢できない」「うん、いいよ…………んっ!…ああん…」
<ここからは二人だけの時間です。書けるけど、書きません…>
さてと、続きは…どうなるのかなぁ?
END
-あとがき-あさみに突撃させましたが結果はご覧の通り。典型的な1度目は失敗。次のチャンスがあるかどうか、分かりませんが。最近気付いたのは、愛子を登場させると三代吉がいるにも関わらず、愛子がブレそうになる…。なので、今後はあまり出番無いかも…
ありがとうございました。
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