05-282 :もし夜神月が女だったら:2007/10/31(水) 00:40:24 ID:veB8v7Pi
 夜神月子。
平凡過ぎる彼女の名前は、男ならば月と書いてライトと付けられる所であった。
お固い警察官の総一郎と専業主婦の幸子という、ごくごく一般的な親の選択にしては、すっ飛んでいる。
妹の粧裕も同意見であった。

 月子はよく見れば美貌の少女であった。
運動神経も良く、成績も群を抜いて良い。
しかし”よく見れば”という点はいつも抜きがたかった。
退屈に膿んだ月子の目は光を持たず、すらりとスレンダーな体躯は母親の買い与える衣服の皺に埋もれていた。
月子はカリキュラムの与える簡単なパズルに飽き飽きしていた。
しかしそのパズルさえ解けない愚か者の中で息を潜めて退屈な日常をやり過ごす。
飛び出した杭にならないように、人に交じり愚かなふりをしてみせる。
よく見たら美人なのに飾り立てず、勉強が出来るにも関わらず驕らない月子に制服の羊達は安堵した。
月子はいつも悪意を刺激せず控えめに振る舞う術を身につけ、凶暴な群を刺激しないでやり過ごした。

 英語教師が「夜神君」と指名した。
彼もある意味において月子の奴隷だ。
指名してくる回数を月子は覚えている。
多すぎる。
教師の中年男性特有の睨め回すような視線が薄気味悪い。
さらさらと嫌みにならない程度の流暢さで月子は教科書の文言を読み上げる。
クラスの数名の男子はポーッと頬を染めて月子から目が離せないようだ。

 そういった彼らの幾人かは毎年幼稚な愛の告白をしてきた。
手に取りやすい果実に見えるのだろう。
今の自分に満足が行かず、それでいて不当に扱われているように感じ僻む月子にはそう思えた。
棚に並ぶ商品を気軽に手に取るような扱いを受けたような、侮辱されたような気持ちになったが、おくびにも出さず丁重に断りを入れた。
放課後や休日に付きまとわれては勉学の妨げにもなる。
将来は父の属する警察関係に就くつもりだった。
その事も今ではあまり魅力を帯びない。

 もっと幼い頃、世界は光り輝いていた。
まだ見ぬ事物、新しい知識、難解な謎が沢山世の中にあった。
もともとカンも良く運動でも人を抜き、さらに練習をすれば上達する。
乗り越えるべきハードルは地道な努力によって必ず乗り越えられた。
自信に満ち目を光り輝かせた活発な美少女の周りには友人の姿が絶えた事は無かった。
友人とは勝手に寄ってくる人間の事だと長く思いこんでいた程だ。
しかし、思春期の頃を境に月子は萎縮し始めた。
色彩に満ちた世界は光を失い、今まで気にもとめなかったジロジロと見つめる男どもの目の色が薄気味悪い。
嫉妬され陰口を叩かれる事に敏感になった。
中学に入り無意識にバリケードを張り、生来の光を失った月子の”友人”は激減した。
だが、月子はそれには満足していた。
テニスで最高の成績を収めた時も眼鏡をかけた黒い痩せぎすの少女の事を誰も思い出せなかった。
月子の最後の努力の試行はそうして終わった。

 つまらない。
口に出すとバカみたいな言葉なので発しはしないが、月子はいつでも退屈していた。
何か新しい面白い事は無いのか。
皆が驚喜する”ちんくしゃ”のアイドルにも、髪型にも洋服選びにも、退廃的な読み物にも熱中出来ない。
受験勉強は、努力し積み重ね理解すれば概ね事足りる。
月子はもっと頭を刺激する新しいパズルを欲していた。
学問の道は深いと言うが大学にはそれがあるのだろうか?
自分はそれに没頭できるのだろうか?
中学、高校時代を送る若者としては最悪の悩みを抱えたまま高校生最後の冬が来てしまった。

05-283 :もし夜神月が女だったら:2007/10/31(水) 00:41:53 ID:veB8v7Pi
「はい、とても上手です」
 スカートが皺にならぬよう押さえながら椅子に腰掛け、月子はふと窓の外を見た。
黒い物がひらひらと見えた。
一瞬、蝶にしては大きすぎると思った黒い物がゆっくりと舞って音もなく芝生に落ちた。
月子は数年物の銀縁眼鏡の鼻をずり上げた。
あれは、何だろう。
飛行機から物が落ちることなどあるのだろうか?
しかし落ちれば加速度が付きそうなものだ。
誰かが屋上から放ったような落ち方、しかし放ったにしては校庭の中程の芝生の上にぽんと降った。
教師の声が遠のく。
それから下校時間までその黒い物の事が月子の頭を離れなかった。

 月子は帰り道を急ぐ同級生の中をすり抜け、彼らの発する喧噪から忘れ去られたように芝の上に乗る黒いノートを手に取った。

「死のnote」
降った雨のせいで芝生は湿っていたのに、ノートには少しも湿り気が無かった。
ぱらぱらとページを繰る。
月子は苦笑した。

「このノートに名前を書くと、死ぬ」
不幸の手紙、不吉なおまじない、チェーンメール、人間の悪意はいつの世も変わらない。
馬鹿馬鹿しい死のノートを一旦は芝生に戻そうとした。
しかし、ふと月子は考え直してバッグに無造作に突っ込むと家路に就いた。
空から降ったノートに非日常性の魅力を一瞬感じ引き込まれた。

 それが、全ての分かれ目だった。

最終更新:2012年01月24日 09:41