御霊教

【御霊教(おれいきょう)】
御霊教とは1872年(明治5年)に宇都宮県氏家村(現栃木県さくら市)の富農、斉藤吉輔が創始した新興宗教である。教典は『御霊善哉』。総本山は栃木県さくら市にある御霊円宮である。機関紙『御霊の導き』が月一回発行されている。
教主は前教主の指名によって決定される指名制であり、教祖以来の伝統として、教主は亀考の号を名乗る。これは亀のようにゆったりと、心乱すことなく思考し、御霊教の真理を広めようという、教祖の意気込みと自戒をこめた号であるらしい。現在の教主は四代目、佐藤久嗣である。現在の公称信者数は30万人。基本的には体制寄りの方針のため、大本教などのように弾圧されることもなく、明治、大正、昭和、平成を通して一定の教勢を維持してきた。信徒は元が栃木県発祥のため、関東、北陸、東北南部に集中している。
 基本的な教義は、汎神論的な御霊信仰であり、自己の才能を磨くことで各自の中にある御霊を顕現、発展させ、天下国家を安泰に導くというものである。御霊は宇宙に遍在する一なるものとされるが、個別的な特殊相にも同時に分かれており、特殊相の中では序列があるとされる。しかしそれは理一分殊や一如の中の差別ということであり、相対的なものであるとされる。序列としては、天(宇宙)、地(地球)、人(人のことに限定せず、地に生きる万物)の三つの区分があるとされる。御霊教は汎神論的であることからわかるように、森羅万象一切万物が動的に活性し、生命を持った存在であるという活物論の立場をとっている。
御霊教に朱子学の理気二元論や仏教の仏性思想の影響が濃厚であることは多くの研究者が指摘している所であるが、それは教祖が氏家村の真言宗智山派光明寺での熱心な檀家であり、法話をよく耳にしていたせいであるといわれている。御霊教の思想史的な位置づけについては拙著『御霊教――その信仰と思想』に詳しいのでそちらを参照していただきたい。
御霊教の主な行事としては、己の御霊とより大きな人、あるいは天や地の御霊とを照応させて御霊の活力を増幅する儀式、丁亜亜瑠卑威字伊があり、毎月ごとに行われている。特にその中でも蟻庵露奴弐威意は最も多く行われる。

以下、『御霊善哉』の3章「御霊とは」より一部抜粋。
「蓮華は泥中に育ち、泥水より生じてなお不浄たることなし。清浄無垢なり。汝らの心中深くにも蓮華あり。その名を御霊という。御霊は汝らそのものなり。汝ら今は俗世にまみれ、俗欲に踊らされる傀儡なり。されども、一度己の御霊を自覚し、その華を咲かさば、汝ら全き平安に至らん。夫れ御霊は世々遍く存し、此処にも彼方にも等しくあり。世間を覆いつつ、なお芥子粒の中にさえあり。この御霊の力をもって自力を高めよ。まず己を高め、次に親兄弟を高め、次に友を、次に不知の人を高めよ。御霊の輪は限り無し。輪を拡がば、その輪は世間を覆い、宇宙を覆わん。されど人如何に御霊を顕現させるや。才を磨くに拠りてなり。その切磋琢磨こそが天下を平安に導くための最良の法なり。とくに練磨すべきは文なり。古来文章経国という。文は人の元にして、人は国の基、国は天下の素たり。よろしく藻思を盛んにせよ。」
最終更新:2011年10月24日 14:47