「なぁウォルド……」
「はい?」
「何か、アイツらと話しているとき、アンタの喋り方違ってたっぽいんだけど」
河川敷添いの長い舗道を歩き続ける翔太。数歩後ろにウォルド。互いに歩みのペースを保ち、特に話す事もなく歩を進めていたが、その沈黙は翔太が出した疑問の言葉により破られた。
どう考えても自分より年下であろう翔太に対して、柔らかな、ともすればヘタレと表現しても過言ではない物腰と、比較的丁寧な言葉遣いを崩すことが無かったウォルド。
だが、先刻の学生達を説得していた時は明らか違っていた。口調は砕けていたし、出会い頭で喚き散らす三人に対し翔太がお手上げ状態だったにも関わらず、ウォルドはあっけなくその場を納めて見せた。
まるで別人のような変わりように、翔太は先ほどからずっと疑問を持っていたのだ。
「ぁー……えーっと」
言葉を詰まらせるウォルド。その声には焦りと動揺が強く残る。目も泳いでいる――とはいえ相変わらず目元は見えていないので’恐らく’であるが。
ウォルドは、まさかそこを突っ込まれるとは思わなかったのだろう。だが、あそこまで劇的な変化を見せられたら誰だって気付くというものだ。
知力――こと、学力に関しては特に――の心許ない自覚がある翔太とはいえ、そこを見過ごす程の馬鹿ではない。
「ほ、ほらっ!ああいう時って、ちょっと強気に出た方が効果的って言うじゃないですか!」
「……まぁ、言えてるっちゃあ……」
「でしょっ?」
「ん……」
未だ焦りの色が強い声で、ウォルドが答える。精一杯言葉を選んでいるのが丸分かりである。
しかし、言われてみれば彼の意見は至極正論でもあった。先刻のケースのように、取り乱した相手には少々強引なくらいが丁度よい。
もっとも『強引』を通り越して『乱暴』に接して余計怖がらせてしまっては、身も蓋もないのだが。その辺りの加減は非常に難しい。
だから、翔太はこれ以上の詮索は止めた。ウォルドの意見にあっさりと首を縦に振り、それっきりその話題は出さないことにした。
ウォルドがほぅっと安堵の溜息をついているが、あえて気付いていないフリをしてやる。すると、すぐさまウォルドが口を開いた。
「でもショータさん……今更なんですけど、何で橋の下なんかに用があるんですか?怖い人達がいっぱい居るんでしょ?」
先刻の学生達の話では、タチの悪そうな輩が複数たむろしているとの事。では何故、そんな危険地帯にわざわざ足を踏み入れようとしているのか
――ウォルドの言葉はそういったニュアンスを含んでいた。
「……人助け」
「人助け……ですか?」
「あいつらのせいで、困ってる奴がいるから……」
「……」
まっすぐに前方を見据えながら翔太が答える。これ以上の言葉を、彼は口には出さなかった。まだこの男の事を信用したワケではないし、自分の厄介事に巻き込むつもりもない。
対するウォルドは何も返してこない。怖気づいたのだろうか。だが、翔太としてはこの一件にこれ以上言及されないのは好都合である。
「ん……?」
と、考えを巡らせている内に、頭頂部にポツンと何かが当たり弾ける、そんな感覚が短い間隔で繰り返される。
感触からして、固形物の類ではないことは分かった。雨かとも考えたが、今日の天気は一日中快晴だとテレビの予報で言っていたのでその可能性も低い。
だとしたら何だというのか。そう考えている間にも、その『何か』は翔太の頭上に降り続けている。呻き声のようなものも聞こえてきた。それも、翔太のすぐ後ろからだ。何かがおかしいと、ようやく振り返り、目線を上へと向けた。
「ぅぐ……く……おぅう……!」
「――いぃっ!?」
視界に移ったものに、翔太は驚きの声をあげた。振り返った先には、鼻をすすらせ、嗚咽の声を漏らしながら泣きじゃくるウォルドの顔があった。
二つの瞳からは涙が止め処なく零れていた。先ほどから頭に落ちていたのはこれだったのかと、翔太は一人納得した。
しかし、よく見れば、目元だけではなく鼻先からも液体が垂れ落ちている――まさか、と嫌な予感がし、恐る恐る頭に手を伸ばす。
残念なことに、翔太の予感は的中してしまった。少し粘ついた感触と、糸を引いた透明な何かが指先に残る。
自分の身に何が起こったのか――ひいては、この『何か』の正体が何なのかを即座に理解した翔太。体の動きが止まり、顔だけがヒクヒクと引き攣った状態になる。
「……うぅわああ汚ねえぇっ!!!!」
十数秒ほど経ってようやく悲鳴と共に体の硬直を解いた翔太は、両手を使って必死に頭の液体を払い始める。
そう、翔太の頭が受け止めたのはウォルドの涙だけではなかったのだ。主に鼻腔が異常の際放出される体液――即ち、HANA-MIZUである。
こんなことをされて黙って入られない。未だに涙を流し続けるウォルドに、翔太は食って掛かった。
「おい!一体何だってんだよっ!?」
「ひぐ……っ ぼ、僕は感動しばじだ!あなたがそんな骨のあるヤツ……もとい、勇気と優しさを持った方だったなんて!」
「いや、いくらなんでも泣き過ぎだから!あと色々出しすぎだから!」
「で、でもでも……今時の若い子にはそうそういませんって! 誰かの為に、体を張れる人なんて……くうぅ!」
抗議と疑問の混じった声に、ぐしぐしと涙と鼻水を拭いながら答えるウォルド。その声は鼻声で震えてはいたが、ハッキリと聞き取ることはできた。
いい年した大人が、人目も憚らず大泣きとは、完全に予想外だった。やはりワケの分からない男だという印象を、ツッコミの声と同時に抱かざるを得なかった。
だが、そんな男の様子に呆れる反面、自分の考えに同調してくれる人間がこんな所に居た事が、少し嬉しかった。
今まで散々小馬鹿にされてきた、己なりの信念を、この男は涙まで流して肯定してくれている。その事に、翔太は大きな驚きとささやかな喜びを覚えていた。
相変わらず素性の分からないこの長身ボサボサ男だが……ひょっとしたら、悪い男ではないのかも知れない。
「……何かさ、困ってる人、放っとけねーんだ。俺」
「うんうんっ」
自分に共感してくれる相手がいる――その嬉しさのあまり、ついつい自分から話題を切り出してしまった。
この単純さや簡単に人を信用してしまう所が、彼を何度も窮地に陥れてきたのだが――今回は何かが違う、翔太はそんな直感をもって続ける。
「よってたかって弱いモンいじめとかする奴って、何か許せねー!」
「分かります。そんな酷い事、許しちゃあいけません!」
「だ、だよな!!つっても俺、喧嘩弱いから、殆ど負けちゃうんだけど……」
「最初は誰だってそうですよ」
「そ、そっかなぁ……」
ウォルドも、一言一言にしっかり合の手を返してくれるので、自分でも驚くほど滑らかに言葉が出続ける。
いつの間にか、男に対する警戒を完全に解き、自然体で身の上を語っていることに、翔太は気付いていなかった。
「――だから俺、絶対入ってやるんだ……
Jack o' Frostに!」
「……Jack o' Frost、ですか?」
「ウォルド、知ってんの?」
「えぇ、まぁ……自警団ってことくらいは」
何往復かの軽快な言葉のキャッチボールが続けられること数分。翔太の口から出た単語に、ウォルドが硬直する。
そのたどたどしく答えるウォルドの様子を不思議に思いながらも、それ以上問いただすような事はせず、ふぅん、と返すだけに留めた。
『Jack o' Frost』――この創尾市において、多少なりともヤンチャをしている人間でこの名前を知らない者は居ないだろう。
ウォルドの言葉の通り、自警団――と表現すれば聞こえはいいが、世間一般に言われる自警団とは、大きく異なる点がある。
無論、街の巡回や犯罪の抑止など、自警団らしい行いは多分に見られるのだが、それでも幾つかの事柄が問題視されている。
二十年前、たった五人から始まったこの組織は、世代交代を繰り返した結果、現在約八十名の街の若者によって構成されている。最年少の者は高校一年生、最年長となると二十代前半の者までおり、中々に幅広いと言える。
そしてその半数以上が、お世辞にも万人に好かれるとは言い難い外見をした者達で、市民の中には不良グループと混同する者も少なくはない。
実際に彼らの中には元・不良や腕っ節に自身を持つ者が多く、相手の出方によっては少々乱暴に事態を解決する事も珍しくない為、決してその見方を全否定する事は出来ないのだが。
組織体系も少々特殊である。集団を纏め上げるリーダーの存在は当然であるのだが、『団長』や『リーダー』ではなく、『頭【カシラ】』と呼ばれる事が殆どである。
更に、『頭』の下には『四天王』と呼ばれる幹部がおり、その『四天王』のうち一人が副頭、所謂サブリーダーの役を兼任することになる。
『頭』だの『四天王』だの、出てくる単語がまるで暴走族のようだ。それは、この組織が元々が不良の集まりによって結成されたという事に理由があるのだが、それはまた別の話に。
そういった背景もあり、あまり素行のよろしくない若者達からは特に注目されている。犯罪抑止という活動の性質上、翔太の様に憧れを抱くのか、敵意や畏怖の感情を持つのかは極端に分かれるのだが。
「でも……やめといた方が、いいと思いますよ」
「……何でだよ?」
少しの沈黙の後、ウォルドが淡々と吐いた否定の言葉に、翔太は足を止めて振り向く。少し機嫌を損ね、それが声にも現れている。
それに気付いているのかいないのか、調子を変えることなくウォルドが続ける。
「いや、その、今回新しくリーダーになった人、いるでしょ?」
「ストゥードさんのコトだろ?五代目の」
「そうそう。
ストゥード=ロウ。何か……イマイチ頼りないなーって感じがして」
「んな事ねーよ!四代目が直接指名したんだから、きっとスゲェ人だよ! どんな人かはよく知らねーけど、さ」
「そうなんでしょうか……うーん」
世代交代を繰り返すという事は、メンバーだけならず当然リーダーも代わるという事である。
つい先日最盛期の真っ只中であったはずの四代目・真木 京士郎が突然の引退を表明した。理由は未だ誰にも語られておらず、さまざまな噂が広まっている。
そして、彼の推薦によりJack o' Frostの五代目頭を務める事となった男――それが、ストゥード=ロウなのだ。
本人の言葉通り、翔太はこの男をよくは知らない。義理人情に厚いが少々オツムが悪い、という噂を聞いた程度である。だから、ウォルドの否定の言葉に強く反論出来ないのだ。
だが、あの四代目が認めたほどの男なのだ。よほどの大物に違いない。そんな希望的観測を込めた反論に、ウォルドはただ唸るだけだった。
「あんま知らないっつったワリには詳しいじゃん。知り合いとか?」
「え、えー……まぁ、そんなとこです」
「じゃ、じゃあさ!アンタから言っといてもらえないかな!?俺が入りたがってたって!」
「ぁー……組織の決まり、知ってます?」
「決まり?」
「その、年齢の……」
「ぅ……」
翔太の質問と懇願に、言葉の歯切れを悪くするウォルド。だが、ウォルドが返した問いに、今度は翔太が言葉を詰まらせる。
Jack o' Frostという組織には、数々の決まりがある。その内の一つが、年齢制限である。
現在の最年少でもある高校一年生、或いは満十六歳以上である事――これが、結成当初から変わることの無い、入団する際の最低限の条件となっている。
そして、翔太はその条件を満たしていない。それが、彼を沈黙させた原因であった。それでも、何とかならないかと食い下がる。
「ま、まだ足りてねーけどよ……」
「やっぱり」
「でもでも!もう来年には……」
「あと四年くらいの辛抱ですね」
「……は?」
「まず、小学校を卒業しないと!」
翔太の中で、ウォルド=オーツという男の株価が大暴落を起こした瞬間であった。決して触れて欲しくない話題であり、触れてはいけない話題。
その事を、何も知らないとはいえ、ウォルドはあっさりと言ってのけてしまったのだ。怒りに震え、翔太は声を張り上げる。
「……ふっざけんなぁ!!」
「しょ、ショータさん……どうしたんです?」
「どーしたもこーしたも無ぇよ! 小学校だ?あと四年だ? 俺がそんなガキに見えるってのか!?」
「へ……? ち、違うんですか?」
「違ぇーよ!俺は……俺はなぁ、もう中三なんだよぉっ!」
「う、嘘ぉんっ!?」
実年齢と掛け離れた、低い背丈と幼い顔立ち――それが、石川翔太という少年の持つ最大最悪のコンプレックスであった。
元々身長の伸びは悪かったのだが、中学校に入学したあたりから更に顕著になった。ここ二年に至っては、身体的な成長はほぼ見られない。
学校でも、同性からは『チビ』だの『お子ちゃま』だのとバカにされ、異性からは『可愛い』だの『弟みたい』だのと、まず恋愛対象として見られてすらいない。
更には、自分がいつまでもケンカが弱いのはこの小さく弱い身体のせいだ――そんな考えまで持つようになってしまった。
自分自身ですら忌み嫌っているのだ。他人に指摘されようものなら、それは傷口に粗塩を擦り付けられるに等しいと言える。
「嘘じゃねーよ!何だよどいつもこいつも!俺の事ガキ扱いしやがってぇ!」
「ちょ、ちょっと待ってショータさ……」
「うるせー!ついてくんなっ!」
「ショータさん……」
「もうすぐ約束の場所に着くから、ここでお別れだ!じゃーな!もう二度と会う事もねーだろーよ!」
「あ……」
ウォルドの制止の声もまったく聞かず、というより、もはや話を聞けるほどの冷静さも失い、早足で駆けていく翔太。
こんな男を少しでも『いい奴かもしれない』などと考えた自分がバカだった。彼の頭の中はその考えで一杯になっていた。
傍から見たら、たかだか外見を指摘されただけだろう、と思うかもしれない。しかし、彼にとっては極めて深刻な問題なのである。
正直な話、話が通じ合っていた辺りから、これから自分が直面する一件にこの男の力を借りようか、という事も考えていた――が、その考えも一瞬にして払拭された。
『あんな奴になんか頼るもんか。例え負けても、ボロボロになってでも、最後まで一人で戦い抜いてやる!』
そんな決意を新たに胸に秘め、翔太は更に足を早める。孤独な戦場へ向かう自らを、鼓舞するかのように。
最終更新:2009年06月22日 10:54