相愛傘

(投稿者:エルス) 


 僕はベットの上で目を覚ました。
 頭がガンガンって痛かったけど、それは寝不足だって分かってるから無視した。
 身体を起こして隣を見ても、誰も居ない。そんな当たり前の事を確認してから、海みたいに深い溜息をつく。
 ここは自分の家だ。だから孝道は居ない。
 当たり前の事なのに何故か胸が苦しくなったりする。
 息をするのも嫌になって、いっそ呼吸を止めてみようかと一瞬思いついて、すぐに馬鹿馬鹿しいと思いなおして首を横に振った。
 でも、大切だとか、愛してるだとか、そう思ってる人が傍に居ないと自分の身体の一部が機能不全を起こしているように、苦しいんだ。
 まるで幸せな僕を絞め殺そうとする透明人間がいるみたいに。
 そういう嫉妬なら、胸の中に仕舞って良い頃合になったらポイって捨てちゃえば良いんだと、僕はあまり上手く機能していない頭で思う。
 そうすれば誰も怖がらないし、誰も愛なんかで人を殺したりしない。
 昔は愛とか平和とか、全部綺麗事だって割り切れたのに、今じゃそんな事言えない。
 僕自身その愛に支えられてて、その愛を支えてるんだから。

 こんな短い時間の中で変化した僕の心を見て、僕は笑ってみた。
 おかしいって訳じゃない、すばらしいって訳じゃない、むしろ滑稽とか言うんだと思う。
 でも、それで良い。どんな神話でも神は愛を求めたりするんだ。
 僕だって、それくらいはしていいだろう。
 泣いたり悲しんだり苦しんだりした。
 これくらいの幸せは、許してくれる。
 でも、誰が許してくれるんだろう?
 それは神様なのかもしれない。
 僕が大っ嫌いな、そんな神様。

「これまたご機嫌だなぁ、茜。朝っぱらからスマイルサービスなんてよ」

 そんな事を考えていたら、ヘヘッと笑いながらエドガーがドアを開けて顔を出した。
 僕は驚きついでに枕をぶん投げて、それがエドガーの顔面に直撃するのを眺める。
 イデ、とか言ってエドガーがドアの向こう側に顔を戻して、なにするんだ、と非難してきたけど、ノックをしない方が悪いと僕は言い返してやった。

「いや、でもよ、いきなり枕を投げるか、普通?」
「投げるんだよ、僕は」
「随分とバイオレンスになっちゃって、まぁ……父は悲しいぞい、むふふ」
「誰が誰の父なのさ」
「ジョーク、冗談、嘘だマイケル、気にすんなジョン、忘れろスミス」
「意味不明」
「何時もの事だ、気にしたら負けだぜ?気楽に気軽にレッツゴー、さ」

 そこまで言ってドアの向こうからハッハッハって笑い声が聞こえてきて、遠ざかっていった。
 僕が一本だけ生えてる雑草みたいに跳ねてる寝癖を右手で押さえながらドアまで歩いて、静かに開けてみるとエドガーはもう居なくなっていて、
 代わりに煙草の箱が二つ置いてあった。
 こういう変に気が利く所は、エドガーの良い所の一つだ。
 もっとも、悪い所の方が多い訳なのだけど。

「…………」

 僕一人だけが立ってる廊下を僕は見渡して、煙草を咥えて火を点けた。
 紫煙が天井に当たって拡散して消えていく。
 胸が苦しい。
 僕は目を閉じて深呼吸。
 紫煙を吐いて、落ち着こうとする。

「……無理」

 壁に背中をつけて体重を預け、そのままズルズルと下がって、そのまま座った。
 キッパリと落ち着けないって言った僕は、少し戸惑う。
 僕一人じゃ落ち着けない、ならどうすれば良いんだろう?
 答えは単純だけど、それを思うたびに顔が熱くなって、言いようのない感じが吹き出てくる。
 僕はそれに戸惑う。簡単な事なのに無理に難しくして、馬鹿みたいだなって自分でも思ってる。

「…もぅ、何なんだろ」

 涙が出そうなほど悲しくて、胸が苦しくて、自分がどれ程弱くなったのかが嫌と言うほどよく分かって。
 それをまじまじと観察してるのが僕自身で、苦しんでる僕が何を望んでいるのかその僕は知っていて、それが恥ずかしくて言えないんだ。
 訳が分からなくなって、また紫煙を天井目掛けて吐く。
 その紫煙が消える。

「あぁ…もうやめ」

 馬鹿馬鹿しいと思って、僕は仕度をしてから家を出た。


         ―――〈▽〉―――

 行く当てがあるわけじゃなかったから、結果的にぶらぶらと商店街を歩いてみた。
 騒々しいのが嫌いなのに自分から騒々しい所に行っちゃうのは、やっぱり馬鹿だなとか思いつつ、ぼんやりとしてた。
 煙草の本数と精神力だけが減ってく。
 もしかしたら僕の命まで減ってるんじゃないのかと、一瞬思った。
 そこで市の中心に行ってみる。何と無くとか思ってたけど、実際は何かに少し期待してた。
 でも、いたのは知らない人ばっかりで、あまりの騒々しさに頭痛がして、イライラしてきた。
 自販機で煙草を買って、また吸った。
 癖になったストレス解消法だ。
 二時間もするとポツポツと雨が降ってきて、それから三十分したらザーッと本降りになった。
 煙草の火が消えて、周りの人達が折り畳み傘を広げる中、僕はそのまま雨に打たれたりなんかしてみた。
 ザーザーと降る雨。
 嫌いな筈なのに頭から雑念を洗い出してくれたから、今だけ雨が好きになる。

 でも、胸は苦しい。
 思わず下を向いて、
 歯を食い縛る。
 体が震えた。
 こんな孤独、耐えられる。
 いや、耐えられたんだ。
 だから、大丈夫。

 僕はそんな自己暗示をしてたけど、知らない合間に走り出していた。
 全速力で、人と人の合間を潜り抜けて、冷たい雨を肌で感じながら。

 記憶にはないけど、僕はすごく長い距離を走ったんだと思う。
 呼吸は喋る余裕がないくらい荒いし、雨だか汗なんだか分からない雫がポトポト髪から落ちてる。
 体は溶け出すように熱くて、でも呼吸を整える内にどんどん冷たくなっていく。
 まるで死んでくみたいだなと思った。
 胸を刀で貫かれて倒れた。
 そんな感じ。
 実際、胸は痛かった。
 苦しいを超えて、痛い。
 呼吸をする毎に痛いから、苛立ってたらナイフを自分の胸に突き刺してしまうかもしれない。
 余裕が出てきて、周りを見渡すと山の中に入っていた。
 僕はそこら辺の木に寄りかかって、気持ちを整理しようとしてみる。
 でも、全然整理できない。

「馬鹿野郎……」

 理解できない。
 何でこんなに哀しいのか、何でこんなに寂しいのか。
 一度経験してしまうと、それが当たり前になってしまう。
 何時も何時も、何度でも、朝起きると隣を確認してしまう。
 そうして自分の場所が狭くなって、自分の心も小さくなって、壊れやすくなっていくのだ。
 だから、こんなにも胸が痛い。

「馬鹿野郎っ!」

 空に向かって僕は叫んだ。普段は出さないような大声なのに随分と綺麗に響くのが嫌だ。
 それでも、声は消えて雨音だけが響くようになる。
 僕の力なんて、そんなものだって言われてる気がした。
 嗚咽が込み上げてきて、視界が霞む。
 溢れ出る感情を、抑えきれない。
 馬鹿は僕だ。
 こんな事で泣くなんて、僕が馬鹿なんだ。

「……くっぅ…うぅぅ……」

 歯を食い縛って、嗚咽を堪えるけど、正直何時までそうしてられるかなんて分からなかった。
 すぐに泣き叫んでしまいそうだけど、でも、まだ耐えられる気がした。
 だけども、耐えれば耐えるほど、僕自身が死んでいく気がした。
 体が冷たい。
 心も冷たい。
 胸が、重くて、
 痛い。

「………茜?」

 不意に斜面の上の方から、僕がずっと聞きたかった声が聞こえてきた。
 胸の痛みがスゥっと引いて、顔が熱をもって赤くなるのを僕は自覚しながら、その声の発信源に抱きついた。
 僕よりも暖かい体温が間近に感じられ、今まで感じられなかった安心感からまた涙が溢れる。

「………」

 孝道は、僕に何も言わなかったけれど、気を使ってくれたんだと思う。
 下手に何か言うと、僕が傷ついちゃうとか思ってくれてるのかもしれない。
 でも、それは間違ってない。
 今の僕は、簡単に傷ついたり、壊れたりしちゃうんだ。

         ―――〈▽〉―――

「何だ。私に会えなくて泣いていたのか」
「……うぅ…」

 あの後、僕は孝道に連れられて安満堂神社まで来ていた。
 言ってしまえば、相合傘でだ。
 勿論、結構恥ずかしい。

「別に私の部屋に一日中居ても良いんだぞ?」
「でも、迷惑かけるし……」
「?」
「沙羅とか孝美に、また変な服着せられそうで……」
「……あぁ」

 なるほど、とか言いながら孝道が僕から見たら不気味な笑みを浮かべる。
 この僕から見たら不気味な笑み、と言うのは色事に頭を働かせてるような笑みのことだ。

「……変な事考えてる」
「そう、この前茜がチャイナドレスを着ていた時の事を―――」
「言わないで!駄目!絶対!」
「……可愛いな、茜」
「…う……」

 いきなり攻撃してきた。
 こう言われると、僕は喉に言葉が詰まって、何も言えなくなる。
 恥ずかしさから顔が赤くなって、笑顔で僕を見てる孝道の顔を直視できない。

「そんなこと…」
「ある。茜は可愛い」

 今度は真面目な顔をして、孝道が言った。
 僕はこうなると、何故だか分からないけど、固まってしまう。
 何にも言えないし、何にも出来ない。
 孝道も僕と同じように、足を止めて、そして、いきなり接吻してきた。

「……ぇ…ぁぁ…ぁ」
「私が言うんだ。間違いない」

 顔がさっきよりも真っ赤になっていくのが自分でも分かった。
 もしかしたら、このまま倒れるんじゃないかなんて僕は本気で思ったけど、そうはならなかった。
 さっきの接吻よりもいきなり、孝道が僕の体を簡単に持ち上げて、お姫様抱っこみたいな恰好で歩き始めたからだ。
 もう熱で頭が回らなくて、何処か溶けてぶっ壊れるんじゃないかと思った。

「帰ったら、風呂に入ろうか」

 多分……いや、絶対笑ってる孝道がそう呟くと、僕の心臓がビクリと驚いて、それでも何故だか分からないけど、安心した。
 何をされるかなんて分かってるのに、それで僕自身がどうなるかなんて、分かってるのに。
 僕はそれを、胸に空いてる穴が埋まるような気がして、心の何処かで望んでるんだ。
 だから、僕は―――

「…………ぅん…」

 柄にも合わずに、コクリと首を縦に振っちゃうんだ。
 馬鹿だな、何て僕自身に思いながら。
 恥ずかしいな、とか本気で思いつつ。
 可愛いな、って思いながら驚いてる孝道の顔を眺めるんだ。

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最終更新:2009年07月24日 08:43
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