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モノクロモノローグ」(2008/02/13 (水) 03:19:04) の最新版変更点

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あれはわしが中等学校にあがる頃じゃったから、もう60年もまえかのう。 お前も学校で習ったように、その頃日本は外国と戦争をしててのう。 わしはそんな戦争の意味や怖さなんて判らんかったが、 日増しに険しくなる大人たちの雰囲気から、 「こりゃただ事じゃないらしいぞ」とはおもっておった。 まぁそうはいってもわしもそのへんの男の小僧と変わらんかったから、 紙や木で作った飛行機や戦車で戦争ごっこはしておったがな。 わしはそのころ関東のY県の片田舎に住んでおったが、 やがて近くの紡績工場が空襲に遭う、という噂がたってな、 疎開をせんならんようになったんじゃ。 行き先は、同じ県内だがその頃でも人のまばらな村じゃった。 わしの爺さんの親族が住んでおったらしい。 普通の道ですら山を登ってるかのような坂でな、あたりにはうっそうと森が茂っておった。 まぁ間違いなく敵さんにはみつからんじゃろな、はっはは… わしの爺さんの親族ちゅうのが、その地方じゃそれなりに名の知れた庄屋でな、 古い土蔵やら納屋やらがあちゃこちゃにあって、冒険心をくすぐられたもんだよぅ。 わしら家族は、父・母・兄・姉・姉・わし・妹ちゅう女系家族でな、 父が飛びぬけてほうだったのかもしれんが、おっとりした一家じゃったよ。 ほいだから同じよに疎開に来てたほかの兄弟に気を使ってな、 皆がいいっちゅうだに一番古ぅい土蔵で暮らすことになっただよ。 そうそう、父は体がよわくてな、甲種合格にならなんだ。 ほんで兄は父の分まで!っちゅって、とうに航空士官学校に志願してな、 そのころじゃ中尉として一隊を率いるまでになってたっちゅうな。 上の姉さんは嫁いでいってたし、下の姉さんは学徒出陣でさっき話した紡績工場に勤めておった。 家に居るんはわしとまだ小さい妹だけじゃったの。 どこまで話したっけな… そうそう、古い土蔵に住んでたっちゅうとこだったな… まぁもともとその近くの家に住んでた悪ガキたちとよく喧嘩しただよ。 その土蔵にゃ「出る」とか囃したてるんでな。 父親は「相手にしちょ」と気にしちゃいんかったけんど、 やっぱりわしにゃぁ頭にくる囃し文句だったぞ。実はホントに「出た」からな。 気付いたんは妹が一番はじめじゃったかな。 初めて越してきた夕暮れの、ちょうど土蔵の入り口が木の陰に隠れる頃、 土蔵の奥から誰かがじいっと睨んでるっちゅうだよ。 それから毎日言うんでわしも見ようとしたんだけんど、妹の近くに行くと見えなくなる。 最初は妹のウソじゃないかと思って相手にゃしんかったけど、 たまたま妹が先に土蔵に入っちまったとき、その幽霊を見ただよ。 なんかこう、日本人形みたいな女の子でな、赤い着物を透けて向こうがみえてるだに その向こうにいる母や妹には見えてないらしかった。 不思議と怖いとはおもわなんだな。 すごい形相で睨んでる…つもりなんじゃろな、本人は。 妹よりも幼そうで、うつむき加減の頬っぺたがほんとに丸ぅかったからかな。 いつもの妹じゃない、と悟ったのか、はっとして消えてしまった。 だけんどその日から、今度は妹には見えんでわしにだけみえるよになってしまった。 明るいと見えにくかったけんど、見えるのは決まって外から土蔵の中を見てるとき。 時間は決まっちゃいんかったようで、のべつ出ていたな。 その子が居るときに他の人が土蔵を出入りしても、まったく意に介さなかったようじゃ。 まぁ別に悪さをするでもないし、妹ももう見えんくなってて話もしんから、 土蔵を出入りするときに小声で挨拶してやるくらいだったな。 親戚には聞いてみたことがある。 あの土蔵にゃなんかいるじゃねぇだけ?ってな。 だけんどだぁれも知らんちゅってた。 ウソや出鱈目だったかはもう判らんけんど、 もう聞いてもそれ以上は答えないなっちゅう感じがしたな。 疎開でそこに住みだしたのが夏の終わり、秋、冬と山ン中はぐんぐん寒くなる。 幽霊とは話もしんかったし、外に出るのも億劫になっていったから 幽霊の姿を見る回数も減っていったな。 厳しい冬が過ぎ、春の兆しがそこかしこに見え始めた…三月くらいじゃったな。 それまでもたびたび飛んでいたB-29の数がどんどん多くなっていった。 時には3~4機も飛んでることもあった。 そんな時、兄が帰国して駐屯していたG県のT林ちゅうところから、 兄が特攻隊長になったっちゅう連絡がきたんじゃ。 父も母も親戚の手前、表面上は息子を讃えていたが、夜ごとに神仏にお祈りしておった。 わしはというと、兄ちゃんが死ぬはずはないと安易に考えておった。 たまに帰ってきて飛行機の操縦を目を輝かせて話す兄ちゃんは、 きりもみ急降下からの急上昇が得意で、何度も大隊長さんから褒められたといっておったし、 特攻なんて言っても、接近して爆弾を落とすだけのことと思い込んでいたな。 いまとなっちゃあなんて物知らずだったかと笑えてしまうな。 村の数少ないラジオも、さかんに本土決戦やら米英の非道さをがなってたけんど、 わしはまわりののどかさもあって日本は勝っていると無邪気に思い込んでいたな。 なんでも兄は本当に優秀だったっちゅうこんで、特攻に志願したのが3月だけんども 実際に戦地へ赴いたのは7月も終わりになってからだったらしいなぁ。 まぁそれはちょっと先の話じゃったな。 来る日も来る日もB-29がとんでる空を見上げて生活していたんだけんど、 敵さんに頭の上を飛び回られるっちゅうのは気分のいいもんじゃないな。 いくぶん仲ようなってた悪ガキどもと小石を投げたり、 ほら、お前さんも聞いたことがあるだろが、竹やりで突くまねをしてたもんじゃ。 あんな高いとこを飛んでるものを、いくら突っついたって届くわけはない。 まぁそうでもしんきゃ落ち着かんかったんだな。 そういえばずいぶん前から、たいそう高価な着物を食べ物と交換していく 専門の男の人がおった。 疎開してきた頃はたまーに見かける程度じゃったが、3月4月ごろになると 本当に頻繁に、リヤカーまで持ってくるようになってな。 いんやその人だけじゃない、避難している途中なのか家族で来るような者たちもおったわ。 大人たちの噂じゃ東京に空襲が、それもかなり大規模なもんがおこったちゅうてたな。 子供心に「あぁちょっと前、明けの東の空がけぶって見えたんはそれじゃったか」と思うたのは覚えとる。 じゃが、まだ少し遠いことに感じておったな。 さてな、そんな人たちがわしらのおった村を通過して避難するようになって そうさな、ふた月ほどもたったかな、あの幽霊がいきなり居らんようになったんじゃ。 見えにくいだけかと思っておったが、いつ見ても居らん。 普段話しかけても答えることもなかったし、たまぁに目が合う程度で 別段気にしておったわけでもないが、姿が見えんくなるとなんやら寂しくなってな 悪ガキたちと遊んでいる間も、あの幽霊が気になって何度も土蔵を見やったもんじゃ。 おんなじ頃、k府の街に通ずる道を辿って下りようとする人たちに、妙な噂が立ち始めたんじゃ。 なんでも、k府に行こうとすると妙な寒気と一緒に、恐ろしい声が聞こえるんだと。 なにょう言ってるだかは判らんちゅうことじゃったけどな、 k府じゃないほうに足を向けると寒気も声も止む。でももういいだろうと k府の方におりはじめるとすぐに寒気と声がするっちゅうんだ。 まぁでも焼け出されて身内を頼ってきている人たちにゃ、 そんくれぇのこんは足を止める理由にゃなりゃしなんだわな。 その峠は出るらしいっつう噂が広まっただけだったな。 とおい異国でわしらのお国のために命を張って戦ってくださる兵隊さんに たぁんと食べてもらうためじゃというて、さいぜんからわしらも 畑やら田んぼやらに連れてかれて働かされておったんじゃが、 6月も落ち着かないまま半ばが過ぎると、 まっと働かなきゃ自分らも食えんようになってしまうっちゅこんで 遊ぶじかんもとれんようになってしまった。 まぁ後から聞いた話では、他の都会の子供達は少しでも遊ぶことすらできなんだ っちゅうから、わしらは恵まれたほうだったんかのう。 腹が空きゃ山に入って、すぐきやへびいちごなんかを食えたからの。 ぐみやらあけびやら、ついでに母さんや家主の親戚なんかに山芋やむかごなんか とっていってな、これでもすこしゃあ気をつかったもんじゃな、はっはは。 ほんでもその頃にゃほんなよそのこたぁしらんかったから、わしなりの理由で戦争を恨んだもんだ。 7月の早い時期じゃったな。 この二日ばっかりB-29が見えんようになって、やぁやぁ兵隊さんたちもやってくれた なんて早合点してた矢先じゃった。 前の日の朝に遠くにBが見えたなんて噂もあったが、避難する人も減ってきて みんないつになく安心して寝入ったんじゃな。 なぜかその日は寝につく前にあの幽霊のことを少し考えたのを覚えとる。 隣で寝ていた妹とわしは、まだ朝になるには早い時分に起こされたんじゃ。 起こされたのか起きてしまったのかは判らんが、なんせ大きな騒ぎがおこっておった。 南西の空が真っ赤に燃えて、ふもとの町の空襲警報がじゃんじゃん鳴っていて、 大人たちも右往左往してk府の街まではだいぶあるのに水をかぶって火よけをしてたり、 まだk府に親類縁者が居る者なんかは取り乱して皆に止められたりしておった。 轟音に空を見上げると、真っ黒い空に赤々と映える大きな影があってな、 それがいつも遠くに見えてたBだと判るのにしばらくかかったもんじゃ。 それがわしの居る村で起こった空襲ならいざ知らず、 見えはするが行くにはちと離れた街のこと、わしや妹に出来ることなんてこれっぽっちもなかったの。 父も痛々しい風に見るしか出来なかったし、母は兄の無事を今更ながらに祈っておった。 夜が完全に明けて、焦土っちゅうんか、なぁんもないk府の街が見えたときには、 村にいたおとこし連中で服やらなんやら持ち寄ってk府に、 今で言う人道支援ちゅうやつをしにいこうっちゅうこんになった。 まぁ身内を助けにいこうっちゅうのが殆どだったからちょっと違うかもしれんな。 おとこしが出払って、心配そうに見守るおんなしがちらほらと戸口に立っているだけになった頃、 久方ぶりにあの幽霊が見えたんじゃ。 さいぜん見えた土蔵の入り口じゃねぇで、k府へ下りる道の脇の、薄暗い森の奥。 やっぱり向こうが透けて見える赤い服で、こんときゃぁ背中を向けてうずくまっておった。 そうそう、言ってなかったが下の姉さんはつい先月、 6月のうちにまた違う疎開先へ疎開しておった。工場の工員がみな行っておって たまに手紙も届くので父も母も心配はしなかったんじゃ。 さて幽霊を久方ぶりに見たわしは、なぜか「無事だったか!」と 胸を撫でおろしたよ。相手はもう無事だとか関係ない者なのにな。 しばらく見ていたが、うずくまって動かない。 おどろかしちゃかわいそうだと思って、そろそろと近づいて行ったが、 近くに来てみると震えておる。はて、寒気のする幽霊なんてけったいな、 と思ったが、よくよく見てみるとどうやら泣いているらしかったんじゃ。 いつも話しかけても何も言い返してこんし、そもそも口がきけるんかどうかも しらんかったが、そんときゃ話かけにゃいかんと思ったな。 なぁ、なんで泣いとるんじゃ。 やっぱり答えちゃくれんかった。 でもな、ぴくりと身をすくめると、ふと泣き止んだんじゃ。 ひざの間に顔は埋めたままじゃったけんど、震えるのは止んだ。 わしは泣いてる妹によくやるように、頭をなでてなぐさめてやろうとおもってな、 左手を伸ばして頭のてっぺんから後ろへなでようとしたんじゃ。 じゃがわしの手はすぅっとすり抜けて、幽霊の尻のあたりにある熊笹でちぃっと切ってしまった。 そのとたん幽霊は撥ねるように立ち上がって、まだ真っ赤に泣きはらした目で クスクスッと笑ったんじゃ。声は聞こえんかったがの。 なんとなぁく馬鹿にされたような気がしたもんじゃから、 わしはついついきつく怒鳴ってしもたんじゃ。 こん幽霊がぁ、お前なんかどうせ帰るとこないんじゃろ。 するとな、ほんとに幼い子がやるように、みるみるその場で顔をくしゃくしゃっとゆがめたかと思うと 弾けたように泣き出したんじゃ。口をへの字に曲げて、鼻に可愛いしわをよせてな。 そんときばかりは声が聞こえんことが助かったと思った。 いっこうに泣き止まない幽霊は、まったく始末に負えんな、はっはは。 なんしろなだめようとなでてもどこにもさわれんし、 いじわる言ったことを謝っても、まぁだちびすけだからか通じそうもない。 妹をあやす要領で、いろいろと面白い顔やふざけた格好をさんざやったら、 なんとか気が紛れてくれたみてぇで涙をいっぱい貯めながら笑ってくれたのう。 そのあといろいろ聞こうと思ったが、相手は口ん利けんだから弱ったもんさね。 どこから来たかとか聞いても、あっち、とか指さしゃぁ判るんだが、 うっすら笑ってるだけで身振りも手振りもしんだよ。 まぁ幽霊だし、と帰りかけりゃぁついてくる。 たしかにうちの土蔵に憑いていたんだし、しょうがねぇなとほっといたさ。 土蔵に着きゃまた入り口に陣取るんかな、と思ったら今度はわしにそのままついてきよった。 やっぱり特に何をするでもなしに、あごを引いた上目遣いでわしや方々をを睨んでいる。 睨んでいるっちゅっても怖がらそうとしてるんじゃなくて、 むしろなんかに怯えてるからだっちゅう感じがしたな。 次の日、兄に特攻命令が下されたという知らせが入ってきた。 これは後で聞いた話も入ってるけんど、特攻命令が下されたのは7月の1日だったそうな。 兄ちゃんの所属するk鷲特別攻撃隊は、 30を迎えたばかりの兄ちゃんを201隊の隊長にして組織されたんだと。 で、その知らせがわしらの村に届いた晩、駐屯先の人々が壮行会を兼ねて 送別会を開いてくれたらしいな。 もう、いつ出撃してもおかしくない雰囲気だったけんど、 その時点じゃまだ出撃命令はでてなかったんじゃの。 しかし、母や父には大きな衝撃だったようじゃな。息子が死出の旅に出てしまう、と。 いやもちろんわしにも悲しみはのしかかってきた。 ついせんに目の当たりにした空襲の光景が、紙や木の戦争じゃない現実をみせてくれたんじゃから。 あのときの雰囲気というか、皆の偏りぶりはなんとも不快で不可解じゃったよ。 今だからいくぶん思うところもあるけんど、皆が兄の特攻隊入りを祝ってくれたんは 不幸の仲間意識もあったんじゃないんかな。 うちの肉親やら親戚が死んでいるのに、あの家で不幸がないのは不公平だっちゅうふうに。 それが証拠に兄の特攻入りを殊更に喜ぶんは疎開組が多かったな。 ともに夫や息子を取られているのに万歳をする姿は、どこか爽快感もあったように思うよ。 わしにゃそいつらの方が幽霊みたいに空恐ろしくみえたもんじゃ。 村の人々はこっそりと母を慰めに来てくれたりもしたもんじゃが。 さてその頃のことじゃ、悲しいばかりも言ってられんでな、 毎日汗水たらしてはたらかにゃ、食糧の確保も日に日に厳しくなる。 夏に入っちゃ山で取れる物も限られてくるし、鉄砲が無いからと罠で取るだけの イノシシやウサギなんかじゃ到底足りんかった。 なにぶん小さな村じゃ、村の人らが蓄えた米や他のもんも避難の人たちに分けたら たいそう少なくなってしまっておったからの。 あの幽霊は、いつもわしについてまわるようになった。 とはいってもわしも相手できるほど暇じゃなかったんでな、かってに遊ばせておいた。 ときおり北西の方を見やって泣きそうな顔をしとるとこを見かけたが、理由はきけなんだ。 7月も終わり、ついに兄に出撃命令がでたと便りが来た。 腕のいい飛行機乗りだった兄は、特攻隊長になった後も後進の育成に力を貸していたそうじゃ。 人づてに、k鷲特攻隊は順に飛び立ち、勇ましく散っていったと聞いた。 ラジオでは広島と長崎にでっかい爆弾が落とされ、何人もの犠牲者がでたと報じられた。 そして毎日仰々しい戦果とともに、散っていった特攻隊の番号が読み上げられておった。 第201k鷲特攻隊の名が、いつ読み上げられるかとはらはらしていたのは わしら4人の家族だけじゃなかったようじゃ。 あの幽霊は、わしらが戦争の話、特に家族の安否を話しているときは必ずそばに居った。 いつもの怯えたような目じゃなしに、眉根をひそめて神妙に聞いておった。 やれ上の姉さんの嫁ぎ先じゃこんなことがあっただの、 下の姉さんの工場は跡形もなくなっていたけんど、疎開が間に合ってよかっただの、 兄ちゃんの飛行機の腕があれば間違いなく敵の船に当てられるねぇ、 それじゃぁ兄ちゃんは苦しまずに立派に逝けるかねぇ、だの… じっと身動きもせず父と母の話を聞いているのは、なにかを待ってるかのようじゃった なんちゅうのはあと知恵かのう、はっはは。 なんだか皆が一様に疲れちょって、ラジオの声が白々しいものに聞こえはじめたの。 あの終戦を迎える、一日前じゃったな。 日の出前からまた幽霊がいなくなっておった。 土蔵をぐるっと周ってみても、k府への坂まで行ってみても、 頼りなげな赤い着物は見当たらんかった。 朝飯に呼ばれて帰る道々、 ふと、南の空から呼ばれたような気がしたんは、なんの知らせだったんじゃろな。 ついに第201k鷲特攻隊が飛び立ったっちゅうて村が騒ぎになっちまって、 泣き崩れる母の代わりに家事をこなさんならんかった。 翌日、天皇陛下のお言葉で、戦争がおわったっちゅうこんだった。
あれはわしが中等学校にあがる頃じゃったから、もう60年もまえかのう。 お前も学校で習ったように、その頃日本は外国と戦争をしててのう。 わしはそんな戦争の意味や怖さなんて判らんかったが、 日増しに険しくなる大人たちの雰囲気から、 「こりゃただ事じゃないらしいぞ」とはおもっておった。 まぁそうはいってもわしもそのへんの男の小僧と変わらんかったから、 紙や木で作った飛行機や戦車で戦争ごっこはしておったがな。 わしはそのころ関東のY県の片田舎に住んでおったが、 やがて近くの紡績工場が空襲に遭う、という噂がたってな、 疎開をせんならんようになったんじゃ。 行き先は、同じ県内だがその頃でも人のまばらな村じゃった。 わしの爺さんの親族が住んでおったらしい。 普通の道ですら山を登ってるかのような坂でな、あたりにはうっそうと森が茂っておった。 まぁ間違いなく敵さんにはみつからんじゃろな、はっはは… わしの爺さんの親族ちゅうのが、その地方じゃそれなりに名の知れた庄屋でな、 古い土蔵やら納屋やらがあちゃこちゃにあって、冒険心をくすぐられたもんだよぅ。 わしら家族は、父・母・兄・姉・姉・わし・妹ちゅう女系家族でな、 父が飛びぬけてほうだったのかもしれんが、おっとりした一家じゃったよ。 ほいだから同じよに疎開に来てたほかの兄弟に気を使ってな、 皆がいいっちゅうだに一番古ぅい土蔵で暮らすことになっただよ。 そうそう、父は体がよわくてな、甲種合格にならなんだ。 ほんで兄は父の分まで!っちゅって、とうに航空士官学校に志願してな、 そのころじゃ中尉として一隊を率いるまでになってたっちゅうな。 上の姉さんは嫁いでいってたし、下の姉さんは学徒出陣でさっき話した紡績工場に勤めておった。 家に居るんはわしとまだ小さい妹だけじゃったの。 どこまで話したっけな… そうそう、古い土蔵に住んでたっちゅうとこだったな… まぁもともとその近くの家に住んでた悪ガキたちとよく喧嘩しただよ。 その土蔵にゃ「出る」とか囃したてるんでな。 父親は「相手にしちょ」と気にしちゃいんかったけんど、 やっぱりわしにゃぁ頭にくる囃し文句だったぞ。実はホントに「出た」からな。 気付いたんは妹が一番はじめじゃったかな。 初めて越してきた夕暮れの、ちょうど土蔵の入り口が木の陰に隠れる頃、 土蔵の奥から誰かがじいっと睨んでるっちゅうだよ。 それから毎日言うんでわしも見ようとしたんだけんど、妹の近くに行くと見えなくなる。 最初は妹のウソじゃないかと思って相手にゃしんかったけど、 たまたま妹が先に土蔵に入っちまったとき、その幽霊を見ただよ。 なんかこう、日本人形みたいな女の子でな、赤い着物を透けて向こうがみえてるだに その向こうにいる母や妹には見えてないらしかった。 不思議と怖いとはおもわなんだな。 すごい形相で睨んでる…つもりなんじゃろな、本人は。 妹よりも幼そうで、うつむき加減の頬っぺたがほんとに丸ぅかったからかな。 いつもの妹じゃない、と悟ったのか、はっとして消えてしまった。 だけんどその日から、今度は妹には見えんでわしにだけみえるよになってしまった。 明るいと見えにくかったけんど、見えるのは決まって外から土蔵の中を見てるとき。 時間は決まっちゃいんかったようで、のべつ出ていたな。 その子が居るときに他の人が土蔵を出入りしても、まったく意に介さなかったようじゃ。 まぁ別に悪さをするでもないし、妹ももう見えんくなってて話もしんから、 土蔵を出入りするときに小声で挨拶してやるくらいだったな。 親戚には聞いてみたことがある。 あの土蔵にゃなんかいるじゃねぇだけ?ってな。 だけんどだぁれも知らんちゅってた。 ウソや出鱈目だったかはもう判らんけんど、 もう聞いてもそれ以上は答えないなっちゅう感じがしたな。 疎開でそこに住みだしたのが夏の終わり、秋、冬と山ン中はぐんぐん寒くなる。 幽霊とは話もしんかったし、外に出るのも億劫になっていったから 幽霊の姿を見る回数も減っていったな。 厳しい冬が過ぎ、春の兆しがそこかしこに見え始めた…三月くらいじゃったな。 それまでもたびたび飛んでいたB-29の数がどんどん多くなっていった。 時には3~4機も飛んでることもあった。 そんな時、兄が帰国して駐屯していたG県のT林ちゅうところから、 兄が特攻隊長になったっちゅう連絡がきたんじゃ。 父も母も親戚の手前、表面上は息子を讃えていたが、夜ごとに神仏にお祈りしておった。 わしはというと、兄ちゃんが死ぬはずはないと安易に考えておった。 たまに帰ってきて飛行機の操縦を目を輝かせて話す兄ちゃんは、 きりもみ急降下からの急上昇が得意で、何度も大隊長さんから褒められたといっておったし、 特攻なんて言っても、接近して爆弾を落とすだけのことと思い込んでいたな。 いまとなっちゃあなんて物知らずだったかと笑えてしまうな。 村の数少ないラジオも、さかんに本土決戦やら米英の非道さをがなってたけんど、 わしはまわりののどかさもあって日本は勝っていると無邪気に思い込んでいたな。 なんでも兄は本当に優秀だったっちゅうこんで、特攻に志願したのが3月だけんども 実際に戦地へ赴いたのは7月も終わりになってからだったらしいなぁ。 まぁそれはちょっと先の話じゃったな。 来る日も来る日もB-29がとんでる空を見上げて生活していたんだけんど、 敵さんに頭の上を飛び回られるっちゅうのは気分のいいもんじゃないな。 いくぶん仲ようなってた悪ガキどもと小石を投げたり、 ほら、お前さんも聞いたことがあるだろが、竹やりで突くまねをしてたもんじゃ。 あんな高いとこを飛んでるものを、いくら突っついたって届くわけはない。 まぁそうでもしんきゃ落ち着かんかったんだな。 そういえばずいぶん前から、たいそう高価な着物を食べ物と交換していく 専門の男の人がおった。 疎開してきた頃はたまーに見かける程度じゃったが、3月4月ごろになると 本当に頻繁に、リヤカーまで持ってくるようになってな。 いんやその人だけじゃない、避難している途中なのか家族で来るような者たちもおったわ。 大人たちの噂じゃ東京に空襲が、それもかなり大規模なもんがおこったちゅうてたな。 子供心に「あぁちょっと前、明けの東の空がけぶって見えたんはそれじゃったか」と思うたのは覚えとる。 じゃが、まだ少し遠いことに感じておったな。 さてな、そんな人たちがわしらのおった村を通過して避難するようになって そうさな、ふた月ほどもたったかな、あの幽霊がいきなり居らんようになったんじゃ。 見えにくいだけかと思っておったが、いつ見ても居らん。 普段話しかけても答えることもなかったし、たまぁに目が合う程度で 別段気にしておったわけでもないが、姿が見えんくなるとなんやら寂しくなってな 悪ガキたちと遊んでいる間も、あの幽霊が気になって何度も土蔵を見やったもんじゃ。 おんなじ頃、k府の街に通ずる道を辿って下りようとする人たちに、妙な噂が立ち始めたんじゃ。 なんでも、k府に行こうとすると妙な寒気と一緒に、恐ろしい声が聞こえるんだと。 なにょう言ってるだかは判らんちゅうことじゃったけどな、 k府じゃないほうに足を向けると寒気も声も止む。でももういいだろうと k府の方におりはじめるとすぐに寒気と声がするっちゅうんだ。 まぁでも焼け出されて身内を頼ってきている人たちにゃ、 そんくれぇのこんは足を止める理由にゃなりゃしなんだわな。 その峠は出るらしいっつう噂が広まっただけだったな。 とおい異国でわしらのお国のために命を張って戦ってくださる兵隊さんに たぁんと食べてもらうためじゃというて、さいぜんからわしらも 畑やら田んぼやらに連れてかれて働かされておったんじゃが、 6月も落ち着かないまま半ばが過ぎると、 まっと働かなきゃ自分らも食えんようになってしまうっちゅこんで 遊ぶじかんもとれんようになってしまった。 まぁ後から聞いた話では、他の都会の子供達は少しでも遊ぶことすらできなんだ っちゅうから、わしらは恵まれたほうだったんかのう。 腹が空きゃ山に入って、すぐきやへびいちごなんかを食えたからの。 ぐみやらあけびやら、ついでに母さんや家主の親戚なんかに山芋やむかごなんか とっていってな、これでもすこしゃあ気をつかったもんじゃな、はっはは。 ほんでもその頃にゃほんなよそのこたぁしらんかったから、わしなりの理由で戦争を恨んだもんだ。 7月の早い時期じゃったな。 この二日ばっかりB-29が見えんようになって、やぁやぁ兵隊さんたちもやってくれた なんて早合点してた矢先じゃった。 前の日の朝に遠くにBが見えたなんて噂もあったが、避難する人も減ってきて みんないつになく安心して寝入ったんじゃな。 なぜかその日は寝につく前にあの幽霊のことを少し考えたのを覚えとる。 隣で寝ていた妹とわしは、まだ朝になるには早い時分に起こされたんじゃ。 起こされたのか起きてしまったのかは判らんが、なんせ大きな騒ぎがおこっておった。 南西の空が真っ赤に燃えて、ふもとの町の空襲警報がじゃんじゃん鳴っていて、 大人たちも右往左往してk府の街まではだいぶあるのに水をかぶって火よけをしてたり、 まだk府に親類縁者が居る者なんかは取り乱して皆に止められたりしておった。 轟音に空を見上げると、真っ黒い空に赤々と映える大きな影があってな、 それがいつも遠くに見えてたBだと判るのにしばらくかかったもんじゃ。 それがわしの居る村で起こった空襲ならいざ知らず、 見えはするが行くにはちと離れた街のこと、わしや妹に出来ることなんてこれっぽっちもなかったの。 父も痛々しい風に見るしか出来なかったし、母は兄の無事を今更ながらに祈っておった。 夜が完全に明けて、焦土っちゅうんか、なぁんもないk府の街が見えたときには、 村にいたおとこし連中で服やらなんやら持ち寄ってk府に、 今で言う人道支援ちゅうやつをしにいこうっちゅうこんになった。 まぁ身内を助けにいこうっちゅうのが殆どだったからちょっと違うかもしれんな。 おとこしが出払って、心配そうに見守るおんなしがちらほらと戸口に立っているだけになった頃、 久方ぶりにあの幽霊が見えたんじゃ。 さいぜん見えた土蔵の入り口じゃねぇで、k府へ下りる道の脇の、薄暗い森の奥。 やっぱり向こうが透けて見える赤い服で、こんときゃぁ背中を向けてうずくまっておった。 そうそう、言ってなかったが下の姉さんはつい先月、 6月のうちにまた違う疎開先へ疎開しておった。工場の工員がみな行っておって たまに手紙も届くので父も母も心配はしなかったんじゃ。 さて幽霊を久方ぶりに見たわしは、なぜか「無事だったか!」と 胸を撫でおろしたよ。相手はもう無事だとか関係ない者なのにな。 しばらく見ていたが、うずくまって動かない。 おどろかしちゃかわいそうだと思って、そろそろと近づいて行ったが、 近くに来てみると震えておる。はて、寒気のする幽霊なんてけったいな、 と思ったが、よくよく見てみるとどうやら泣いているらしかったんじゃ。 いつも話しかけても何も言い返してこんし、そもそも口がきけるんかどうかも しらんかったが、そんときゃ話かけにゃいかんと思ったな。 なぁ、なんで泣いとるんじゃ。 やっぱり答えちゃくれんかった。 でもな、ぴくりと身をすくめると、ふと泣き止んだんじゃ。 ひざの間に顔は埋めたままじゃったけんど、震えるのは止んだ。 わしは泣いてる妹によくやるように、頭をなでてなぐさめてやろうとおもってな、 左手を伸ばして頭のてっぺんから後ろへなでようとしたんじゃ。 じゃがわしの手はすぅっとすり抜けて、幽霊の尻のあたりにある熊笹でちぃっと切ってしまった。 そのとたん幽霊は撥ねるように立ち上がって、まだ真っ赤に泣きはらした目で クスクスッと笑ったんじゃ。声は聞こえんかったがの。 なんとなぁく馬鹿にされたような気がしたもんじゃから、 わしはついついきつく怒鳴ってしもたんじゃ。 こん幽霊がぁ、お前なんかどうせ帰るとこないんじゃろ。 するとな、ほんとに幼い子がやるように、みるみるその場で顔をくしゃくしゃっとゆがめたかと思うと 弾けたように泣き出したんじゃ。口をへの字に曲げて、鼻に可愛いしわをよせてな。 そんときばかりは声が聞こえんことが助かったと思った。 いっこうに泣き止まない幽霊は、まったく始末に負えんな、はっはは。 なんしろなだめようとなでてもどこにもさわれんし、 いじわる言ったことを謝っても、まぁだちびすけだからか通じそうもない。 妹をあやす要領で、いろいろと面白い顔やふざけた格好をさんざやったら、 なんとか気が紛れてくれたみてぇで涙をいっぱい貯めながら笑ってくれたのう。 そのあといろいろ聞こうと思ったが、相手は口ん利けんだから弱ったもんさね。 どこから来たかとか聞いても、あっち、とか指さしゃぁ判るんだが、 うっすら笑ってるだけで身振りも手振りもしんだよ。 まぁ幽霊だし、と帰りかけりゃぁついてくる。 たしかにうちの土蔵に憑いていたんだし、しょうがねぇなとほっといたさ。 土蔵に着きゃまた入り口に陣取るんかな、と思ったら今度はわしにそのままついてきよった。 やっぱり特に何をするでもなしに、あごを引いた上目遣いでわしや方々をを睨んでいる。 睨んでいるっちゅっても怖がらそうとしてるんじゃなくて、 むしろなんかに怯えてるからだっちゅう感じがしたな。 次の日、兄に特攻命令が下されたという知らせが入ってきた。 これは後で聞いた話も入ってるけんど、特攻命令が下されたのは7月の1日だったそうな。 兄ちゃんの所属するk鷲特別攻撃隊は、 30を迎えたばかりの兄ちゃんを201隊の隊長にして組織されたんだと。 で、その知らせがわしらの村に届いた晩、駐屯先の人々が壮行会を兼ねて 送別会を開いてくれたらしいな。 もう、いつ出撃してもおかしくない雰囲気だったけんど、 その時点じゃまだ出撃命令はでてなかったんじゃの。 しかし、母や父には大きな衝撃だったようじゃな。息子が死出の旅に出てしまう、と。 いやもちろんわしにも悲しみはのしかかってきた。 ついせんに目の当たりにした空襲の光景が、紙や木の戦争じゃない現実をみせてくれたんじゃから。 あのときの雰囲気というか、皆の偏りぶりはなんとも不快で不可解じゃったよ。 今だからいくぶん思うところもあるけんど、皆が兄の特攻隊入りを祝ってくれたんは 不幸の仲間意識もあったんじゃないんかな。 うちの肉親やら親戚が死んでいるのに、あの家で不幸がないのは不公平だっちゅうふうに。 それが証拠に兄の特攻入りを殊更に喜ぶんは疎開組が多かったな。 ともに夫や息子を取られているのに万歳をする姿は、どこか爽快感もあったように思うよ。 わしにゃそいつらの方が幽霊みたいに空恐ろしくみえたもんじゃ。 村の人々はこっそりと母を慰めに来てくれたりもしたもんじゃが。 さてその頃のことじゃ、悲しいばかりも言ってられんでな、 毎日汗水たらしてはたらかにゃ、食糧の確保も日に日に厳しくなる。 夏に入っちゃ山で取れる物も限られてくるし、鉄砲が無いからと罠で取るだけの イノシシやウサギなんかじゃ到底足りんかった。 なにぶん小さな村じゃ、村の人らが蓄えた米や他のもんも避難の人たちに分けたら たいそう少なくなってしまっておったからの。 あの幽霊は、いつもわしについてまわるようになった。 とはいってもわしも相手できるほど暇じゃなかったんでな、かってに遊ばせておいた。 ときおり北西の方を見やって泣きそうな顔をしとるとこを見かけたが、理由はきけなんだ。 7月も終わり、ついに兄に出撃命令がでたと便りが来た。 腕のいい飛行機乗りだった兄は、特攻隊長になった後も後進の育成に力を貸していたそうじゃ。 人づてに、k鷲特攻隊は順に飛び立ち、勇ましく散っていったと聞いた。 ラジオでは広島と長崎にでっかい爆弾が落とされ、何人もの犠牲者がでたと報じられた。 そして毎日仰々しい戦果とともに、散っていった特攻隊の番号が読み上げられておった。 第201k鷲特攻隊の名が、いつ読み上げられるかとはらはらしていたのは わしら4人の家族だけじゃなかったようじゃ。 あの幽霊は、わしらが戦争の話、特に家族の安否を話しているときは必ずそばに居った。 いつもの怯えたような目じゃなしに、眉根をひそめて神妙に聞いておった。 やれ上の姉さんの嫁ぎ先じゃこんなことがあっただの、 下の姉さんの工場は跡形もなくなっていたけんど、疎開が間に合ってよかっただの、 兄ちゃんの飛行機の腕があれば間違いなく敵の船に当てられるねぇ、 それじゃぁ兄ちゃんは苦しまずに立派に逝けるかねぇ、だの… じっと身動きもせず父と母の話を聞いているのは、なにかを待ってるかのようじゃった なんちゅうのはあと知恵かのう、はっはは。 なんだか皆が一様に疲れちょって、ラジオの声が白々しいものに聞こえはじめたの。 あの終戦を迎える、一日前じゃったな。 日の出前からまた幽霊がいなくなっておった。 土蔵をぐるっと周ってみても、k府への坂まで行ってみても、 頼りなげな赤い着物は見当たらんかった。 朝飯に呼ばれて帰る道々、 ふと、南の空から呼ばれたような気がしたんは、なんの知らせだったんじゃろな。 ついに第201k鷲特攻隊が飛び立ったっちゅうて村が騒ぎになっちまって、 泣き崩れる母の代わりに家事をこなさんならんかった。 翌日、天皇陛下のお言葉で、戦争がおわったっちゅうこんだった。 ([[モノクロモノローグ2]]に続く)

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