上浦真帆は、不幸な少女だった。
自室で転倒した挙句に打ち所が悪くてポックリ逝く、というその死に様もさることながら
約400キロも離れた街から転校してきて、その日の夜に死亡するのはかなり同級生の意表
を突いたに違いない。悲しむというよりポカーン、である。打ち切り漫画より展開が速い。
かくして葬儀の列には一様に微妙な表情をしたクラスメート(初日限定)が並び、あまつさえ
風邪で欠席していたまま真帆と会うことさえなかった者などは、小声で「……ねえ、何が起きてるの?」
と隣の生徒に尋ねる有り様だ。訊かれたほうもさぞ困ったことだろう。
「…………じ、自分のお葬式がこんな痛々しい雰囲気になるなんてっ」
読経する坊主の真後ろ、フジロックやサマソニならステージ前に相当する場所でうなだれているのが
件の少女、真帆だ。無論死んでいる。女子高生→女子高生の死体→女子高生の幽霊、という
華麗なるジョブチェンジを遂げた彼女は、状況を理解すると同時にこっ恥ずかしさで死にたくなった。
もう死んでるのでそれは叶わないのだが。まあ、気持ちだけでも。
「うううううぅぅぅ……親不孝でお間抜けでノーフューチャー……最悪」
父母の悲しむ姿はこれ以上見たくないし、同級生の狐につままれたような顔も見たくない。
どうやら誰の目にも映らない上に声も届かないとなれば、もはやここに居ても気まずいだけだ。
真帆はふらつきながらも立ち上がり、そのまま斎場を後にする。
これからどうするべきか頭を悩ませてみるが、なにぶん死ぬのは初めての体験なので
さっぱり善後策が見つからない。天国行きの切符はどこに行けば手に入るのかな、と考えて
「あ、今のフレーズ詩人ぽくない?」などと独りごちるあたり、わりと余裕カマしてる節さえある。
「……西に行けば、どーにかなるかな?」
それは西遊記だ。
死にたてホヤホヤの女子高生は、とりあえず西と思われる方角に向かう。
なにしろこの街に越してきてまだ一週間も経っていないので、どこに向かおうと同じことだ。
あてどなくぶらぶらするうち、真帆の脳裏に「本当に自分は誰にも見えていないのだろうか」と疑念が湧く。
死んでいるという実感がイマイチ希薄だし、もしかしてこれはあれだドッキリではないのか、
もうすぐ「だーいせーいこーう」と叫びながらネタばらししてくる若手芸人の出番ではないのか、
だとすればカメラはどこだろうか、かわいく映ってるといいな、髪きちんとセットしておきたかったな、
などなど。既に論理的思考ではなく連想ゲームに突入していることにすら気付かない。
「……こんにちは、上浦真帆、でーす」
それでも一応は試してみるつもりらしい。交差点の信号待ちで、隣に立つオジサンに自己紹介。
援交と間違われたらダッシュで逃げ出す所存。これでも身持ちは堅いほうだ。
「…………」
「まほまほ、って呼んでもいーよ?」
信号を見据えたまま無反応のオジサンにもう一声。
この安部譲二似のオジサンに、実際にまほまほなどと呼ばれたら泣きそうだ。怖くて。
されどオジサンはその幹部クラスの強面を動かすこともなく、終始無言を貫く。
どうやら自分は本当に空気のような存在になってしまったらしい、と落ち込む真帆。
やがて信号は青に変わり、オジサンもその他の人々もせわしなく歩き始める。
ぽつねん、と立ち尽くす真帆の心中に、怒りにも似た感情が湧き上がる。
……なんだこれは。
……一体全体なんなんだ。
……17歳やそこらで死んで、挙句に皆にシカトされる存在になるほど悪いことをしたのか。
怒りにまかせて歩き出し、スクランブル交差点のど真ん中に立つ。大きく息を吸って、
「①番、上浦真帆っ! モノマネしまーーーーーーっす!!!!!」
キレた。右手で右の耳をつまみ、左手で左耳をつまむ。そのまま耳を可能な限り引っ張って――
「佐藤藍子!!!!!!!!」
彼女の姿が見えるなら「……あちゃあ」なり「やっちゃったよ……」なり「寒っ!!」なりの
リアクションが得られるだろう。だが彼女は幽霊で、ここはスクランブル交差点の真ん中だ。
何もない交差点の中央に注意を払うものなど居るはずもない。
はずもない、のだが。
「………えっ?」
真帆の目が、不思議な光景を捉える。
向かって正面にあるオフィスビルの前を通りかかった若い男が、じっと真帆を凝視している光景だ。
やがてその表情は崩れて、男の顔に苦笑にも似た笑いが浮かぶ。「仕方ないなあ、この子は」とでも
言いたげな顔でくっくっく、と笑っている。真帆の姿が見えているとしか思えない反応だった。
「つか、見えてる? ………………………見えっ!!?? い、いまのっ……!!」
ぼっ、と音を立てそうな勢いで赤面する一発芸人。
それほど恥ずかしいならやらなければよかっただろうに、どーせ見えないという驕りが生んだ敗北だ。
交差点の中央でがっくりと膝をつく。四つんばい女子高生の近くをびゅんびゅん車が通り過ぎる。
当たらないとはいえマジおっかないので立ち上がった真帆の目前、例の男がスタスタと歩き去っていく。
「………わ、笑い逃げなんかさせるかあぁ……」
無論、おひねりが欲しいわけではない。
こそこそと前方の男についていく霊が一人。
先ほどのスベりウケに、いたくプライドを傷つけられた真帆だ。
ストーカー気質があるわけではないが、なんとなく声をかけるのが躊躇われた結果こうなっている。
十メートルほど前を歩く男は、大学生か新社会人といった年齢だろう。
平日にこんなトコをブラブラしているのなら、無職という線もありえる。
このニートめ、と甚だ一方的な決め付け視線を背中に突き刺しつつ、離されないよう小走りを交えて
追いかける。やがて男は人気の無い
寂れた公園に立ち入り、うっそうと茂った木陰に隠れるように
設置してある長椅子に腰掛けた。
「……チャンス。人もいないし……ククククッ」
自らの思考と言動が追い剥ぎのそれになっていることも気にせず、真帆は背後から忍び寄る。
忍び寄ってそれからどうするか、までは考えていないのが彼女の粗忽者っぷりを如実に現しているが
まあそれは今更言ったところでどうにもなるまい。レットイットビー、でひとつ。
「………………」
「………………」
無言を保ったまま、真帆はじりじりと長椅子を目指して歩く。
砂や落ち葉を踏む音もしないので、男を驚かせるには好都合だろう。
おお、そうだ、驚かせばいいんだ。わたし冴えてるー、と今頃になって方針を定める。
5メートル、3メートル、1.5メートル、と距離が詰まり、真帆は大きく息を吸って――
「わっ!!!!!!!!!!」
「ひゃああああああああああああああああっ!!!!!????」
突然振り向いた男に、逆に驚かされた。
「……いや、その、俺が悪かったから。そんなに泣くなって」
「う、ぅ……ぇっく………ひっ……く」
「そもそも、お前が俺のこと驚かそうとしたんだろ?」
「だって……笑われた、し、わたし、むかついてたし……ぐすっ」
長椅子の両端に腰掛けて、ぼそぼそと会話する一組の男女あり。
ぐしぐしと泣く少女を慰める若い男の姿は、人が見ればいろいろなことを想像させるだろうが
如何せん少女の方は幽霊で大概の人には認識できないために、男は職務質問寸前の怪しさだ。
こんな男がいる公園に、近所の奥様方は決して子供を遊ばせには来るまい。
「驚かされたくらいで泣かなくてもさあ」
「だって……だって……」
彼女が泣き出した理由は、当の本人にも説明し難いものだ。
驚かされて尻餅をつき、人の悪そうな笑みを浮かべた男が「幽霊見っけ」と言った時に
真帆の涙腺は決壊した。
見えてる 声も聞こえてる さっきの恥ずかしいモノマネも
見えるひと、いた 死んだのに わたし死んじゃった
ビックリした 笑ってる 笑われた
これからどうしよう わたし、これからどうしよう?
雑多な思考に脳髄が攪拌され、気付けば真帆は泣いていた。
そして男に促されるままベンチに座ってこうして話している。
やがて少しだけ落ち着きを取り戻すと、今度真帆を襲ったのは凄まじい恥ずかしさだった。
微妙なモノマネ、ストーキング、サプライズカウンター喰らって号泣。
いずれも初対面の人間を相手にするべき行為ではない。というか、多少親しくても危ない。
「…………」
「今度はだんまりか? カミウラマホさん」
「……気安く名前呼ばないでよ」
「だったら大声で名乗らないでよ」
「むっ、むかつくっ………」
からかうような口調で話す男の年齢は、20歳前後といったところか。
いかにも今時の若者らしい風体で、それなりに背も高い。
ちらちら横目で観察しながら「ん。わりとイケてるかも」と真帆はジャッジを下す。
むかつきはするが、評価は公正に。
「……ぶっちゃけ、あのモノマネはどうかと思う」
「…………ぅぅっ……」
やっぱむかついた。
蒸し返すなこのハゲッ、とハゲてもいない男に対して失礼なことを考える。
ちなみにハゲてる人に対しても失礼だ。全方位型失礼である。
「でもまあ、モノマネする霊なんて見たのは初めてだからさあ。面白かったよ」
「別にアンタ笑わすためにやったんじゃないもん」
「俺も別にモノマネがおかしくて笑ったわけじゃ………に、睨むなっつーの。
お前みたいな幽霊が珍しかったからさ、つい」
「……ほかの幽霊って、どんなのよ?」
幽霊になった以上その辺りは重要な点だ、と真帆は思う。
郷に入っては郷に従えの精神でやっていかなければ、幽霊業界で干されてしまうかもしれない。
ハブにされるのはマジ勘弁。基本的に彼女は淋しがりだった。
「……俺が見る幽霊は、あんまり“よくない”のが多い。聞かないほうがいいぞ」
「よくない? なにそれ?」
にやにやと笑っていた男が急に真顔になるのを見て、内心で緊張する真帆。
それでも知りたい気持ちに変わりはないので、意を決して口を開く。
「もったいぶらないでよ。こっちはマジなんだから」
「…………俺が通ってる大学の近くに、十字路がある。半年くらい前にそこで人身事故があった」
「うん、それで?」
「母親と、小学生くらいの男の子が即死した。それからそこに出る」
「……あたしみたいな幽霊になって?」
男は言葉を切って、なんともいえない目で真帆を見据える。
困ったような、悲しむような目の色をしたままで呟く。
お前みたいな幽霊ならよかったんだけどな、と。
「血まみれの母親が、グチャグチャの男の子を抱えて、立ってる」
「……………」
「裂けそうなくらいでっかく口開けて、ずっと叫んでる。『あああああああああああ!!!!!!』って」
「……もう、いいよ」
「男の子の腹からはみ出た内臓を、元に戻そうとして無理やり……」
「もういいって!!!!!」
「……趣味の悪い話し方だったな。ゴメンな」
事故があったらしい時間帯に、その光景が毎日繰り返される、と男は言った。
おそらく自分と子供の死に気付いていないのだろう、とも。
胃壁に霜が降りるような感覚に、真帆はぞっとする。
安らかな死ばかりではないのだ。ズダボロになったわが子を抱きしめたまま叫ぶ霊。
壊れたテープのようにその行動が繰り返されているとすれば、それは――
――それはつまり、地獄ではないか
「………あんた、そんなのばっかり見えるの?」
「そこまで酷いのは稀だけどな。他にもいろいろ。
……子供の頃は、街を出歩くのがホントに怖かった。でも誰にも言えないから、さ」
「……………」
いつのまにか先ほどまでのニヤニヤ顔に戻っている男を、真帆は少し違う感慨でもって見つめる。
この世界には怖いものや悲しいものが溢れていることくらい、17年も
生きていれば知っている。
後ろめたさを感じながら、そういうものから少しだけ目をそらして日々をやり過ごすのが
普通のことだ。だが、この男は人より多くのものが見える。見たくなくても見える。
相談する相手もいないままに、怖いものを見続けて生きていくのだ。
「……わたしのこと、怖くなかった?」
「全然怖くねえw おまえ、結構綺麗だし。学校じゃモテたろ?」
「が、学校? んー、どう、だろう……」
160cmオーバーの長身に明るいマロンブラウンの髪。気の強そうな美人、というのが
真帆の基本スペックであり、事実前の学校では幾度も告られた。
外見の派手さに似合わぬ地味めでオクテな性格のおかげで、全部お断りしてしまったが。
おかげさんで「調子こいてる」「あの女ムカつかね?」などという評価も頂き、人知れず
枕を涙で濡らしたりもしたものだ。キャラを装いすぎるのは良くない、という好例である。
次の学校では……言うまでもない。一陣の風のように過ぎ去った新生活、グッバイ。
とりとめもない思考に没入していると、不意に立ち上がる気配があった。
慌てて右を見ると、男が真帆を見下ろして穏やかに笑っている。
「さんきゅ、な。初めて幽霊に和ませてもらった。……んじゃ、これで」
「ま、待って待って。現役女子高生の幽霊相手にその素っ気無さは何?」
「……付加価値あるのは認めるけど、その身体じゃ援交なんかできねえぞ?」
「ンなこと誰がするかあっ! いままでカレシだっていなかったのにっ!!」
「………そりゃ、なんつーか……ご愁傷さま」
「うっ……」
演繹して考えていけば、処女であることまで暴露したに等しい発言だ。自爆も甚だしい。
自爆霊、という言葉が真帆の脳裏をよぎり、思わずブンブンと頭を振る。
そんなエキセントリックなジャンルの霊になりたくはない。何事も中庸が一番だ。
さりとてこれから先どうするべきかも分からず、座ったまま頭を抱える真帆。
何か行動の指針が欲しい。一般的な霊のとるべき行動なんて、皆目見当がつかない。
それを知っているのは――
「…………あんた?」
「俺? 俺がどーした?」
天啓を得たような気持ちで、男の顔を見据える。
そう悪いヤツではなさそうだし、いまのところ唯一話ができる人間でもある。
笑われた上に驚かされた恨みもあるし、幽霊としては恨む相手に憑くのがスジでは
なかろうか、とスジが通っているような通っていないような極論に辿り着く。
それに、なにより……
――よくないものが見える
かつては怖かった、と男は言った。では今は怖くないのだろうか。
――血まみれの母親が、グチャグチャの子供を
その光景が怖くないはずがないだろう、と思う。怖くて、悲しいはずだ。
――はじめて幽霊に和ませてもらった
自分が傍にいてやれば、そんなには怖くなくなるだろうか。
怖いこと悲しいことやりきれないことが全部帳消しになるわけではないにせよ。
だからこれは、きっとギブ&テイクになるはずだ。……なると、いいな。
勢いは尻すぼみになったが、そう結論づけた。
「……あ、あのさ、わたし、とり憑き先を探してるんだけど……」
「ふーん…………まあ、気長に探せばいいんじゃねえ? 俺以外にも“見える”人間はいるだろうし」
「だ、だよねっ! いるよねっ!? それで、その……正式なとり憑き相手が見つかるまで……」
「そこのトーテムポールに憑くのか。頑張れよ!」
「憑くかあっ!! ……あ、またイッコ恨み増えた。あんたが悪いんだかんね」
「…………あの、よ。なんかヘンなこと考えてねえ?」
訝しげな表情の男を見据えて、真帆は含み笑いを漏らす。
願わくば邪悪な笑みに見えますように、と考えているのは本末転倒だが、彼女は気付いていない。
「あんたに憑くことに決めました。よろしく」
「……………………えー…………」
「その迷惑そうな顔にまたムカついたので、もう手遅れ」
「マジで? 自分の家とかに帰らなくていいんか?」
「……たまには帰ろうかな、と、思う……」
「単なる放蕩娘だろ、そりゃ」
「う、うっさい! いいからキリキリ歩く!」
「………へーい」
そうして二人は並んで歩き始める。男は首を捻りながら。女は上機嫌で鼻歌まじりに。
真帆の脳裏には、尻餅をついていた時と同じ言葉が浮かんでいる。
ただし、その言葉に付随する感情はネガティブなものではない。あくまで上機嫌に――
わたし――これからどうしよう?
最終更新:2007年10月13日 01:58