戦争が終わったなんていっても、暮らしがすぐに変るわけじゃなかった。
相変わらず食べ物は少ねぇし、天から家や財産が降ってくるでもなかった。
疎開組の大人たちは不安と悲しさが混じったみたいな暗い顔をしちょった。
恨み言をぶつける相手も無いし、やり場の無い怒りや悲しみに耐えてたんじゃろな。
そんでもまぁ村の大人たちが気丈に励ましてくれてたけんどな。
あの幽霊は、あれから一度も姿を見せなんだなぁ。
無事な親類や家族が居るもんはぼちぼち下に下りてったが、
わしらは一番最後に下りた組じゃった。
こんなことでも無ぇと親類が集まるなんてこたぁ滅多にねぇ、なんて
村に残る爺さんの弟が見送りながら言っていた。気でも遣ったじゃねぇだかな。
最後まで振り返り振り返りして、悪ガキたちと名残を惜しんだ振りしてたが、
実ンところあの幽霊が気になってただよ。
焼け野原になったk府は、そんでもぼちぼち人が集まってた。
荒川をはさんで中心の方はひどい有様じゃったけんど、
わしらの住んでたk母の方はいくぶんましじゃった。
結局一年ばっかし疎開しとったからな、それもあってうちは荒れ放題だった。
その後のつましいくらしの話なんぞ、思い出すのも億劫だし、聞きたくもなかろ。
かいつまんで言うと、ツテを頼って父が宝石の仲買を始めたんじゃ。
じゃがなにぶん慣れないもんでの、一月も経たんうちに失敗して、
下の姉と妹まで借金でひぃひぃ言っておった。そんな時じゃった。
兄ちゃんが帰ってきおったんじゃ。
あまりに突然のことで家族みんなびっくりしてな、
幽霊でも見るように見つめるしかできなんだよ、はっはは。
兄ちゃんによると、とうに何度も現金を入れて手紙を送ったらしいんじゃが、
まったく音沙汰が無いので、こりゃぁもういよいよ駄目だったかと思って
せめて供養だけでもと思って帰ってきてみたらしいの。
あとで聞くところによると、この時分はどこでもそんなことがあったらしいがの。
上の姉や世話になった親類なんかも呼んで開いた宴席で、兄ちゃんは不思議なことを話し出したんじゃ。
あの日の夕方、特攻命令が出たんで隊長として皆に最後の言葉を掛け、
往復分の燃料と特攻用の爆弾とを積んでT林の基地を後にした。
この日の夜の作戦には約75機の特攻機が飛び立った。
兄の特攻の目標となる軍艦には、他に戦友の少尉の隊も攻撃する予定だった。
目標に近づいたら二つの隊は雲の上と下から、反撃をくぐってそれぞれ特攻する予定だった。
上官である兄が指示を出そうとしたとき、突然寒気と耳鳴りがした。
目の前の雲が赤く染まって見え、雲の上に誘導しているみたいだった。
状況が飲み込めないまま他隊に雲下に行くように指示し、自隊は上に進路をとった。
だが、いくら探しても敵艦なんて見つからない。
燃料が残り少なくなって、犬死を避けて出直すために引き返した。
爆弾は誘爆を避けるため、途中で放棄した。
兄は基地に帰ってみて初めて敗戦していることを知ったそうじゃ。
それから生還したのが自隊だけということも。
その話を聞いたわしは、ぱっとあの幽霊を思い出した。
気付いたらそのことを皆にまくし立ててたな。
ふと見ると父も母も押し黙って、じっと俯いてるんじゃ。
長いこと何にも言わなかった母が、わしのせっつきで少しだけ話してくれた。
実はわしら兄弟にはもう一人姉がいたこと。
あの村で結婚した父母の始めての子で芳子と言い、赤い着物を好んで着ていたこと。
おっとりしていて、あの土蔵から村の子供たちを眺めるのが好きだったこと。
4歳になるころ、山でも珍しいすももをおすそ分けで貰ったこと。
親の目を盗んで未生のすももを食べてしまい、急性腸炎であっという間に亡くなってしまったこと…
きっといつもわしらのことを見守っててくれたんじゃろな。
それとも誰かを助けるまでこの世に留まらならんかったんか。
さてな、どっちもなんじゃろか。
あれ以来幽霊は出んようになってしもたし、兄は結婚して娘に芳子とつけた。
あんときの幽霊に、似とると言えば似とるかの。
そう、お前の母さんじゃ。
ほれ、お前にも赤い洋服がよく似合うよ、はっはは。
祖父の三回忌で聞いた話は、あたしのふるさとを少しだけ見せてくれた気がした。
今年の夏休み、その村を訪ねてみよう。
作者さんのあとがき
932 :おぢさん:2006/03/11(土) 03:01:09 ID:d2RtP9Dh0
まづ、昨日来ることが出来ないので一昨日のうちに書き上げたかつたのだが、
あまりの眠気に途中で寝てしまつた事は許して呉れな。
それから少し論議された様だが、この話は何処にも載つてないものですよ。
私が縁あつて実際にお聞きしたものです。
「兄」の土台となつた人、「芳子」の土台となつた人は実在の人物です。
いや、「でした」。
実際はその兄の娘だつたのが芳子で、一家はG県のT林に住んで居りました。
その「兄」自身から伺つたお話を基にして、幽霊話に仕立て上げました。
その方は残念なことに一昨年、永遠の楽土へ旅立たれました。
その後、ご供養に行つた折に奥様に伺つた当時の話も混ぜて真実味を出しました。
出来るだけお話の雰囲気を出したかつたので、いたづらに長い文になつてしまいましたな。
どなたか短くまとめてくださればありがたいと思います。
芳子さんの挿話も実話が基ですよ。勿論お名前や場所は変えてありますけれど。
皆さん、長い話に付き合つて呉れてありがとうね。
このスレがますます発展すると良いですね。また覗かせてもらいます。
そうそう、>>847のご要望にはお答えできてますでしやうかね。
お話を聞かせてくれたk中尉のご冥福を祈って
少しだけ手を合わせて頂けないでせうかな。
いや、これは少々あつかましいお願いでしたかな・・・
最終更新:2008年04月07日 02:36