オレは山頂付近の展望台から街の夜景を見下ろしている。
時間は夜の8時少し前、彼女が来るのを待っていた。
彼女のおかげかどうか分からないが、仕事もうまくいき、
オレのできる部分は終わっていた。
「ほんとに来てるなんてばかじゃないの」
いつの間にか隣に彼女がいた。
「キミも来てるって事はヒマなんだね」
オレは彼女をからかうように言う。
「ば、ばかな事言わないでよ。
わたしはただ・・そう、あなたが一人寂しくしてるのを見に来ただけ!」
「もしかしてオレの事、心配してくれたの?」
彼女の性格は、この前合った時に大体分かっている。
「なっ、勘違いしないでよ!
わたしはあなたを笑いに来たの。心配なんかこれっぽちもしてないんだから」
彼女は紅潮した顔を見られるのが嫌なのかそっぽ向く。
オレは心の中で『ありがとう』と言い、別の言葉を紡いだ。
「まぁ、そういう事にしておくよ」
「だから、ちがっ・・」
「ああ、そうそう」
オレは彼女の言葉を遮り、コートのポケットから小さな紙袋を取り出すと、
中から空色の石の付いたネックレスを彼女に差し出した。
「キミのおかげで仕事がうまくいったよ。
これはそのお礼、受け取ってほしい」
彼女はオレの顔と差し出されているネックレスを見比べる。
心なしか彼女の顔が暗くなった気がした。
「わ、わたしはあなたの為に何かした覚えはない。
勘違いも大概にして!」
俯きながらも強い口調で彼女は否定した。
オレはいままでの雰囲気と違う彼女に驚きを覚えた。
「・・すまない。
じゃあ、出会った記念でってのはクサすぎるかな?」
オレは苦笑しつつ、彼女の反応を見る。
「・・・受け取れないよ・・」
彼女は消え入る声で呟いた。
そして、キッと睨むように顔を上げた。
その瞳には涙が溜まっている。
「あなた、もう分かってるんでしょ!?
わたしは・・・わたしは・・・」
彼女の言葉は声にならず聞き取ることができなかった。
彼女はまた俯き、肩を震わせている。
オレはため息をつき、ネックレスをポケットに戻した。
そして、そっと彼女に触れようと手を伸ばす。
しかし、手は彼女に触れることはなく、空を掴むようにすり抜ける。
「・・キミに合った時から、なんとなくだけど違和感はあった」
オレは触れることのできなかった手を見つめ、彼女の方へ視線を移す。
彼女は俯いたまま動こうとしない。
オレは夜景に目を向けポツりと呟く。
「オレも死んだらキミに触れる事できるかな・・」
幸いにも周辺の柵は低く、オレの腰辺りまでしかない。
この程度なら余裕で越えられるだろう。
「ちょ、ちょっと、なに考えてんのよ!
ダメ!そんなのダメなんだから!!」
彼女の慌てる声が聞こえる。
オレはゆっくりと柵の方へ歩いていた。
「ばか、そんな事したってなんにもならない!
わたしが喜ぶとでも思ってるの!?」
彼女が引き止めるようにオレを掴もうとするが、
体をすり抜けていく。どうやら彼女も触れることができないらしい。
オレは他人事のように体から突き出ている手を見つめた。
「なんで・・どうして・・」
彼女の言葉を背にオレは柵を越える。
崖下は20mくらいだろうか、暗闇の奥にアスファルトで舗装された道路がぼんやりと見える。
オレは彼女の方へと振り向く。
彼女は信じられないといった顔でこちらを見ている。
オレも自分の行動が信じられなかった。
彼女へ自嘲気味に微笑んだ時、彼女の表情が怒りへと変った。
「あなたばかよ!ほんとにばかだわ!!
なんでわかんないのよ、そんな事したってわたしは嬉しくなんてない!
あなたが死ぬ事でどれだけの人が悲しむと思ってるの!?
残された両親は?友達は?彼女は?
死んだら何もかも無くなると思ってるの!?
そんな事ない!私は死んでこんなになっちゃったけど、
両親や友達の悲しみ、怒り、落胆、いろんな感情に押し潰されそうになったわ。
自分の行いにとても後悔したわ。なんで死んじゃったんだろうって・・。
でも、戻りたくても戻れない。だから、もう忘れようって・・、
誰の目にも触れないようにしてたのに。
あなたが・・あなたが、ここに来なければ!あんな感情を持って来なければ!
う、ぅぅ・・」
彼女は捲くし立てるように言った後、崩れ落ちるように泣き出した。
彼女の死んだ理由・・あの時のオレのように自暴自棄になって、か。
幽霊に諭されるとは思っていなかった。
オレは柵を越え彼女の方へ歩み寄る。
「ごめん。オレ・・」
オレは彼女の肩に手を伸ばす。
「ばか!!」
彼女の平手がオレの頬をすり抜ける。
痛みはないはずなのに、ズキリと胸に響く。
お互いが動かず、どれくらいの時間がたっただろう。
「ようやくキミの本心を聞けた気がした・・」
オレはできる限り優しく話しかけた。
「もう死ぬなんて言わない。だから・・ごめん」
彼女がゆっくりと顔を上げる。
咎めるような視線が痛い。
――なんであんな事したんだろうな
とことん不器用なんだと思った。オレも彼女も。
「ふぅ・・」
彼女は少し大げさにため息をついた。
どこか吹っ切れたような、そんな表情だった。
「こんな気持ちになるなんて・・。
なんでもっと早く素直になれなかったんだろ」
自問自答のようで、オレに問いかけるような彼女の言葉。
オレの言葉で彼女の人生を否定してしまいそうで、
答えることができなかった。
――情けねぇな、ほんとに。
「あ~、なんかすっきりした~。
身体が軽くなったみたい」
オレは突然明るくなった口調に驚いてしまった。
「この前のあなたじゃないけど、ありがとうって言うべきかな?」
彼女はからかうような笑みをオレに向けた。
「オレは礼を言われるような事をした覚えはない。
そんなことを言われても嬉しくはないな」
「ちょ、なによその言い方!」
オレはにやりと笑みを浮かべる。
「キミのマネをしただけだ、気にするな」
彼女は『全然似てない』と抗議するような視線を向てきた。
しかし、ふっと真顔になって言った。
「あなたも素直になった方がいいよ」
――ああ、分かってる。
オレは心の中で答え、苦笑だけを彼女に返した。
「そろそろ時間かな・・」
「行くのか?」
言っておいてなんだが、変な質問だと思った。
「うん、なんかそうみたい」
ハッキリとしない回答だった。
「一つだけ」
彼女はオレに向けて人差し指を立てた。
「一つだけ約束して」
強い意志を持った瞳がオレを見つめる。
「あなたはわたしが生きられなかった分、幸せになること!」
簡単なようで難しい約束だった。
だが、なんとでもなる、それが人生だ。
「ああ、わかった。がんばるよ」
オレは彼女に負けないくらい意志を込めて見つめ返す。
「うん、がんばれ!」
見たことのない屈託のない笑顔だった。
「キミも・・」
オレは思わず出そうになった『一緒に』という言葉を飲み込む。
ここで引き止めてはいけない。オレは首を横に振り言い直した。
「また、いつか会おう・・」
「ええ、また、いつかどこかで・・」
そして彼女はオレの前から消えた。
十数年後
オレは妻と小ニになる息子を連れて遊園地に来ていた。
といっても、妻はショッピングに勤しんで子守を押し付けられた形なのだが。
「おと~さん、次アレ乗ろうよ」
手を繋いだ息子の指さす方向にはジェットコースターが見える。
「よし、行こうか」
オレは息子に引っ張られるような形で歩く。
「すいませ~ん!」
誰に向けられた言葉か分からないが、比較的近い場所で声がした。
オレは辺りを見渡し、左手の方からこちらに向かって駆け寄ってくる女の子に視線を止めた。
栗色の髪を肩まで伸ばし、学生服を着ている。
中学生くらい・・旅行生だろうか。
「すいません。写真撮ってもらっていいですか?」
オレの元まで走ってきた女の子が尋ねてくる。
彼女の少し後ろには、この遊園地のマスコットを囲んでいる3人の女の子がいた。
「いいですよ」
オレは彼女の持っていたデジカメを受け取り、マスコットを中心に並んだ4人の女の子を撮った。
「ありがとうございます」
オレは栗色の髪の彼女にデジカメを返した。
「どういたしまして」
言葉も半ばに、横で待っていた息子にせかされて歩き始める。
「あの」
再度呼び止められ、オレは振り向く。
彼女はオレを真っ直ぐ見つめていた。
「あなたは幸せですか?」
普段のオレなら『宗教か?』と眉をひそめただろう。
「ああ、とても幸せだ」
しかし、無意識の内に答えていた。
オレの言葉を聞いた彼女は満足そうに、そして見た事のある屈託のない笑顔を向けて言った。
「わたしも幸せだよ」
―終―
最終更新:2008年04月07日 02:41