渇いている。とても渇いている。

体験したことはないけど、戦争のとき空襲にあった人が
水を求めるのと多分同じような感覚。

多分飲んでも何も満たされない。もっと欲しくなる。
それは「生」を欲しているから。そしてそれが叶わないから。

子供の頃読んだ妖怪の本に出てきた「餓鬼」
私は死んで、それになってしまったのだろうか。

でも、それはみんなが悪いんだ。
だって、みんな私のことなんか忘れてしまっている。
一緒に笑いあった友達も、もしかして両親だって。

私はもっと生きたかった。
生きているうちに、もっとやりたいことがあった。
そう、誰とも付き合ったりしたこともなかったのに。
先のある人すべてが、許せない、生きている人みんな許せない。

だからそこのあなた

どうせ死ぬなら、私に命をちょうだい?

通り過ぎる電車の風圧を受けて、僕ははじめて今死に掛けたことを自覚した。
どうして?僕は誰かに背中を押されるようにホームの列から歩を進めていた。

少し遅れてけたたましい警笛がなる。
白線より前に出るなとの注意。怪訝な顔で僕を見る周りの人。
振り返ったときに、その顔がさらに不気味なものを見るように変わったから、
きっと今でも僕はうまく笑えていないんだろうと思う。

……別にいま、死んじゃってもよかったんだけどな。

なんだか最近、こんな風にしか考えられなくなっている。

「ねえ、具合悪いの?」
そう声をかけてきたのは、同じ駅から通学している同じクラスの委員長。
最近、何かとかまってくるのがうざったい。

「別に……なんでもない」
僕は心配げな彼女を振り払うようにして電車に乗り込んだ。
乗り込むタイミングを逃した彼女は、人ごみに紛れ、もう見えない。

誰も彼も、いなくなってしまえばいいんだ。

この人はとても美味しそう。
だけど、大嫌いだ。

彼から感じる死の臭いに惹きつけられて、憑りついてから数日。
彼が自分の通っていた高校の生徒であることには驚いた。
クラスは別で顔も知らないようなやつだし、こんな暗いのとは知り合いにも
なりたくなかっただろうけど。

ただ、これは不幸なことに私の闇を広げてくれる結果になった。
ここにはどうしても生前の私の臭いがするから。
自分の座っていた席は最後方に移動しており、そこにはお情けと
ばかりの花が数輪ささってるだけ。

痛切に自分が無になっていくのを感じる。

私はここにいるべきなのに。
そしてこの人は、ここにいられるのに、ここを嫌っている。
そして、死にたいとさえ思っている。

とても、不愉快。
本当に、早く死んで欲しい。

放課後、誰もいなくなった教室で一人、ぼんやりと考える。

突然いなくなってしまった彼女のこと。
話しかけたこともなく、ただ視線で追いかけるだけで。

でも僕は、ずっと彼女が好きだった。
いつも毅然として、みんなから好かれて、とてもキレイで。

そんな彼女に見合う自分になりたかった。
彼女の存在が、僕の生きる力になってくれていた。
いつか、彼女にこの気持ちを伝えたいと、そう思っていたのに。

今日は彼女がいなくなってからちょうど四十九日になる。
もう、みんな彼女なんかいなかったようになっている。
彼女の友達だって、今日は連れ立ってショッピングに行くとか言ってた。
取り巻きの男子だって、今では他の女子を模索してる。
それは多分普通のことなんだろう。

でも、僕は嫌なんだ。自分の大切に思っていた人が、自分よりも近くにいられた人に、
消すように扱われているのが許せないんだ。

……けど、もっと許せないのはきっと僕自身。
勇気が出なくて、なにも伝えられないままになってしまったこと。

僕は立ち上がり、ふたつ隣の彼女の教室に向かっていた。

彼は、私の席前で泣いてる。

……ああ、そうか。

彼に惹かれたのは、死にたがってたからじゃなかったんだ。
私を今でも想ってくれているから。その想いに惹かれたんだ。

名前も顔も知らなかった人だけど、そんな人の中に私がいるんだ。
そう感じることができて、私の渇きはウソみたいになくなっていた。

ありがとう、できれば、生きているうちに知り合いたかったな。

でも、わかんないね。
きっとあなたみたいにメソメソした暗い人は嫌いになってたよ。
だから、こんなふうにして出会わなかったら、ありえなかったんだから。

私は顔を寄せながら、すごく悲しいファーストキスだと思った。

彼は気づかない、目の前の私に。
体がとても軽くなって、もうすぐ消えちゃうのにな。

でもそれでいいと思った。
多分彼を幸せにしてあげられるのは、教室の外で彼を見てるあの子だから。
繋がらないロマンスは、ここでおわり。

「……ちぇ」
最後の未練を舌打ちで振り切ったとき、私の意識は遠く空に昇った。

窓から吹き込んだ風に、一瞬目がくらんだ。

「……泣いてるの?」
急に後ろから声をかけられたことに驚いたが、なぜだかそれが
委員長だとわかってしまった。

「ち、ちげえよ、風で埃が目に入ったんだよ!」
とっさにしては良いいいわけだったんだろうか。

彼女は、何もかもわかっているかのように、苦笑の中に少しの悲しさを
含んだような表情を見せた。

僕は、それが気に入らなくて、彼女を無視して教室を駆け出た。

でも、その足取りはいつもよりちょっぴり軽くなったような気がしていた。
最終更新:2008年10月02日 17:46