「あー……さっぱり意味わかんねえ」

タバコの煙と共に、天井に向けて投げやりな言葉を吐き出した。
もともと深くものを考えるようには出来ていない頭は、既にオーバーヒート気味だ。
溜息混じりにガシガシと頭を掻き、手の中に在るちゃちな文庫本を眺める。

~たったひとつの冴えたやりかた~ J・ティプトリー・Jr /ハヤカワ文庫

なんでも有名なSF小説らしいが、漫画くらいしか読まない俺にとってそんなことは
大した意味を持たない。可愛らしい少女のイラストが表紙を飾っているこの本を
俺が読んでいる姿などは、悪友連中が見たら噴飯ものだろう。一生からかいのネタに
されるに違いない。

「なんだってんだあの女は……俺にどうしろっつうの」

かつて、この本を俺の手に押し付けた女。
地味で口数が少ないくせに、時折口を開けばえらく攻撃的だった。
俺のような不良を心からバカにしていて、そのくせ自身は友達の一人もいなかった。
そんな女が、ある日の夕方に果し合いでも申し込むような勢いで俺に突きつけたのがコレだ。
呆気にとられる俺を、挑むような目で睨んでから脱兎の如く走り去った。
化粧っ気の無い頬が赤く染まっていたように見えたのは夕陽のせいだったろうか?
……問いたいことは山ほどある。山ほどあるのだが――

「死んじまってるしなあ。なんせ」

翌日のHRで、神妙な顔をした担任が告げた。そいつが信号無視の車に撥ねられて死んだ、と。
ざわめきの中で俺が考えたのは「クイズの答え、どーすんだよ」という埒もないことだった。

あの女が出したクイズは実に難解だった。
読んだことも無い本の中に挟まれた四枚の栞。
……栞なんか、一冊に対して一枚あれば充分だろう?
78ページと79ページの間に一枚、96ページと97ページの間に一枚。
100ページと101ページの間に一枚、150ページと151ページの間に一枚。
これで計四枚。
「そのページを読め」という意味なのか、それとも数字自体に何らかの意味があるのか。
さらにややこしいのが、その本は表題作以外に二編の作品を収録した短編集であるということだ。
栞の1~3までは「たったひとつの冴えたやりかた」に。
栞4だけが「グッドナイト、スイートハーツ」に。

「まさか俺のことじゃねえだろうな……“スイートハーツ”ってのはよ」

口に出しながらもそれはないだろう、と思う自分がいる。
そこまで自惚れるつもりはサラサラ無いし、であればそれ以前の栞が意味不明だからだ。
そう、あの女と同じく意味不明だ。ホントにつかみ所の無い女だった。


怪我、してるの?

……見りゃ分かるだろうよ

分かるのは貴方がバカだってことくらいね

だとおっ!? ……痛ッ……てててっ…

バカ。ほら、すこしじっとしてなさいよ

上級生連中と派手にモメた俺が、痛みと疲労でへたりこんだ芝生。
常緑樹の陰に備えられたベンチに座っていた女生徒が、つまらなそうに話しかけてきた。
それがファーストコンタクト。


お、こないだサンキュな。コレ返すわ

……ちょっと待ちなさいよ。なんなのこれ

なにって、お前が貸してくれたハンカチ

なんでこんなにしわくちゃなのよ

ずっとポケットに入れといたからじゃねえ?

おまけにタバコ臭い……


同じクラスだと気付いたのは、それから少し後のこと。
休み時間にぽつんと一人で本を読んでいる細い背中。
楽しげに談笑するグループのどこにも属していないのはすぐに分かった。
停学や謹慎処分の常連で、最低限しか登校しない落ちこぼれの俺には。

お前友達とかいねえの?

なんで私に話しかけてくるの? ほっといて

いや、家の方向が同じみたいだし仕方ねえじゃん

離れて歩けばいいでしょ? 頭悪いわね

……なるほど、ハブにされるわけだな

う、うるさいっ!


その頃から、ちらほらと妙な噂を耳にした。その女に関するくだらない噂。
「どこかの社長の愛人の子らしいよ」「母親はお水やってるってさー」
「……だったら娘もお店に出てんじゃないの?w」
成績は抜群に良かったのも悪い方向に働いていた。攻撃的な知性。
一見大人しそうに見えて、つまらないケチをつけてくる相手にはニコリともせずに
辛辣極まりない毒舌を吐く。男女を問わず、人前で容赦なくコキ下ろす。
陰口や誹謗中傷が生きがいの連中は随分と業腹だったに違いない。

……お前もわりとバカだ。あんな口の利き方してりゃ、こうなるに決まってんだろ?

こうなる、って何よ。貴方がボコボコにされることが“こう”なの?

絡まれてたのはお前だろーがっ!! あ……つっ……いた、たたた……

……人助けしたなんて思わないでよね。勝手に喧嘩して負けて……ホント、ばかだわ

俺は、ああいう奴らは嫌いなんだよ。別にお前を助けたつもりなんかねえ

…………ヘンなの


素行が悪いチンピラ学生と、口が悪い優等生。
接点なんか何一つなかったはずの俺達はいつの間にかごくごく普通に、
それこそ「普通のクラスメート」みたいに話をする関係になっていた。
はぐれ者同士の傷の舐めあい、と笑わば笑え。
それは妙にくすぐったくて心地よい関係だった。

お前って本ばっかり読んでるよな

貴方は喧嘩ばかりしてるわね


――誰かと一緒に、他愛も無い話をする。


別に気を遣わなくてもいいわよ? 私が愛人の子、っていうのは本当のことだし

愛人の子だろうが皇族出身だろうが、お前が口の悪い女だってことに変わりねえ。よって無問題

……けなされてるのかフォローされてるのか……あははっ……

おおっ? お前の笑ったとこって初めて見たぞ


――互いに笑いあって、家路を辿る。


え、えっと……じゃあ………えっと……その…

おう。また明日、な

………う、うんっ。また、明日……


――分かれ道で、いつもの挨拶。

そんな日が続けばいいな、と。
ガラにもなくそう思っていたのに。

「…………死んじまうんだもんなあ」

手の中にある文庫本は黙して語らず。
謎の栞ととりとめもない思い出がぐちゃぐちゃと心中をかき乱す。
夕闇の迫る街路で赤い顔のまま鞄を引っ掻き回して、文庫本を取り出す姿が脳裏をよぎる。
クイズだと、あいつは言っていた。
俺みたいなバカにも分かるように、うんと簡単な問題にしてあげたんだ、と。
改めて栞が示す四箇所を眺めてみる。順に開いて、目で文字を追う。

刹那の瞬間、閃くものがあった。

何度も読み返す。苛立ちにも似た焦燥が身体を駆け巡る。
矢も盾もたまらなくなって、家を飛び出した。
この答えが外れていればいいと、そう思った。
でも……でも、もし、この答えが正しかったら?
そんなのはあんまりだ。
もう逢えないのに、そんなのは酷すぎる。

通学路をひた走る。
あいつが事故に遭ってから意識的に避けていた道を走る。
水銀灯に照らされた夜道を駆けて、路側に白い花が捧げられた場所へ。
挿した花が萎れつつある空き缶の横。ガードレールに腰掛けているのは――

「……やっと、分かったの?」
「お前……」

あいつが、そこにいた。
いつものような仏頂面で、足をぶらぶらさせながら。

「さすがおバカさん。こんなに時間かかるとは思わなかったんだけどなあ」
「……バカはお前だろうが。何が“たったひとつの冴えたやりかた”だ」

全く、冴えないやりかたにもほどがある。
あの日にそのまま伝えてくれれば済んだことなのに。

「……だって、恥ずかしいよ、そんなの」
「…………」

ああ、あの日の別れ際と同じ顔だ。
赤らんだ頬、挑むような目つき、消え入りそうな声。

「でも、伝わったからいい」
「……いいわけあるかよ。こんな終わり方が……」
「ゴメンね。でも、来てくれて嬉しかった。……消えちゃう前に来てくれて、よかった」

言わなくちゃ。
今、言わなくちゃ。
もう、言えなくなる。

「俺も、だ」
「……えっ?」
「クイズの答え。……俺も、だよ」

俺が告げた言葉を理解したのか。
仏頂面がくしゃくしゃに歪んで、白い頬を涙滴が伝うのが見えた。
その最初の雫がアスファルトに落ちると同時に、あいつの姿は霞んで消えた。
ヘッドライトに照らされた萎れた花だけを残して消えた。

「…………」

――もう、ここには何も無い。
口を堅く結んで、踵を返す。無理に顔を上げて足早に歩く。
そうしなければ眦の熱が決壊するのが分かっていたから。
ジーンズのバックポケットには、小さな文庫本の感触。
頭は良いくせにてんで要領の悪かった女が、なけなしの勇気で俺に出題したクイズは
実に実に単純明快で、幼稚で、まわりくどくて――


79P
 す」「よしてよ。知らずにやった~」

97P
「キャスさん。あなたのお嬢さんは~」

102P
「だったら、それは考えないように~」

152P
 ょに――あなたは二年~」



 す

 キ

 だ

 ょ



―――だから、しばらくの間はこの胸を締め付けるに違いない
最終更新:2008年10月02日 18:00