「ばっかやろうっ! 何度言やあ分かるんだ!!」
「すいません親方!」

静謐な工房に突如響く怒声。
髪に白いものが混じるとは言え、精気に溢れた初老の男が発したものだ。
男の勢いは収まることなく、対面でうな垂れる若者に対し容赦ない叱責が浴びせられる。

「……いいか、見てくれだけ綺麗に仕上がっても仕方ねえんだ。
 実際に使う人間の身になって考えられねえなら、こんな仕事辞めちまえっ!!」
「すいません……」
「やり直しだ、ノブ」
「……はい」

――この人達、仲悪いのかな?

工房の隅からその光景を眺める少女が一人。
年の頃は15~17歳だろう。くりくりとした黒目がちで大きな目が印象的だ。
興味深げに二人のやりとりを観察するこの少女、別にこの工房の関係者というわけではない。

――どーでもいいけどさっさと引っ越してくれないかなあ……

区画整理事業によって移転するのは住居や店舗だけではない。
墓地もまたその対象になり得る。無論充分な費用が支払われ、供養も成されるのだが……。

――人のお墓の上、勝手に仕事場にしないでよね!

簡単には納得出来ない故人もいらっしゃるようだ。例えばこの少女のように。


858 :本当にあった怖い名無し :2006/04/15(土) 20:54:23 ID:eRMkBzwu0
「……………」
「……………」

――ま、静かにしてる時はいいんだけど

更地になった墓地跡には、いくつかの住宅に混じって小さな工房が建った。
そこで何を作っているのかは少女の知るところではない。そもそも興味も無い。
ただ、どこからか仕事場ごと引っ越してきた「親方」と「ノブ」と呼ばれる若者の声が
時折耳障りで、思わず工房へと出現してしまうのだ。

「親方! 出来ました!」
「………ふん、おめえにしちゃ上出来だ。この調子でな」
「はい!」

――なんであんなに嬉しそうなんだろ

少女にとって特に理解し難いのは「ノブ」という若者だ。
「親方」にとにかく怒られる。滅多やたらに怒られる。時にはぶん殴られることもある。
それなのに、ちょっと仕事の出来栄えを認められたくらいで嬉しそうに笑う。
ニコリともしない「親方」と二人、朝早くから夜遅くまで工房で作業をしている。

――わっかんないなあ……ヘンなの

真剣な面持ちで作業に没頭する二人の姿を見ると「怖がらせて追い出してやれ」という
考えがみるみる萎んでしまう。安眠場所の頭上で騒がれるのは業腹だが、なんとなく
邪魔するのも可哀想な気がして、結果的にはじっと作業を見守る羽目になる。
職人と職人見習いと幽霊は、そんな風にして工房での毎日を過ごしていた。


859 :本当にあった怖い名無し :2006/04/15(土) 20:55:20 ID:eRMkBzwu0
「…………ダメだ……どうしても上手くいかないや……」

――あれっ? 今日は一人なんだ

少女が気まぐれに出現したある日、工房に「親方」の姿は無かった。
「ノブ」が一人で首を捻りながら唸っているだけだ。
難しい顔で手元を睨む「ノブ」を見ているうち、少女に悪戯心が湧いた。
いつも失敗ばかりしている「ノブ」だけなら、そもそも今日は大した仕事には
なるまい、と高をくくったせいもある。

――これ、材料だよね。……隠したらビックリするかな?

そっと背後に忍びより、作業台上の資材をこっそり移動させようとした少女の動きを

「ごめん。そういうことはやめて欲しい」

――…………っ!?

「ノブ」が静かな声で制した。

――見えてる、の?

「声も聞こえるよ。驚かせちゃったかな」

――ホ、ホントに? ホントのホントにっ!?

「うん。僕だけじゃなく親方にもね。 
 ……いつもは大人しく見学してくれてるのに、今日はどういう風の吹き回し?w」


860 :本当にあった怖い名無し :2006/04/15(土) 20:56:26 ID:eRMkBzwu0
手元から視線を動かさずに語る「ノブ」を見ながら少女は思う。
手の離せない工程でよかった。こんなに真っ赤に染まった顔を見られたくはない。
工房の隅で佇む姿を今までずっと見られていたと思うと、いたたまれない気持ちになる。
照れ隠しに発した言葉は、自然とキツい響きを持った。

――悪趣味。今まで言わないなんて最低
「ごめんごめんw でもね、作業中は親方も僕も
 真剣だから……君を無遠慮に眺めたりはしなかったはずだよ?」
――それは……知ってるけど……
「親方が言うにはね『魂込めて仕事してると、見えないモンまで見えることがある』だって」
――なにそれ。エラそーな台詞
「親方はエラいんだよ。ホントに凄いんだ、親方の腕前は……僕の目標だから」

工程が一段落したのだろう。
ようやく少女の方に向き直ったノブは、柔らかく笑いながらそんなことを言った。
線の細い優男で、どこか知的な雰囲気を漂わせている。見るからに荒くれ男の親方とは対照的だ。
これほど近くで顔を合わせたのは初めてということもあり、少女は少しだけうろたえた。
何かを話さなければという焦りが、いつもの疑問を口に昇らせる。

――ねえ、いつも怒られてるのに嫌にならないの?
「全然。……僕はね、大学を中退してから目標も失くして無気力に暮らしてたんだ」
――なんの話よ、それ
「その頃に出会ったんだよ、親方の作品に。それで頼み込んで弟子にしてもらった」
――…………
「嫌になんてなるわけが無い。
 親方の作品はぬくもりがあるのに実用性に溢れていて……素晴らしいんだ」
――なんだか分かんないけど、随分入れ込んでるのね
「ああ、この仕事は天職だと思ってる。……まあ、まだまだ半人前なんだけどねw」
――この先もずっと半人前なんじゃないの?
「……ひ、ひどいなあ」


861 :本当にあった怖い名無し :2006/04/15(土) 20:57:25 ID:eRMkBzwu0
目を輝かせて語るノブの姿は少女にとって眩しく思えた。
何を作っているのか知らないが、これほど情熱を傾けることが出来るのなら――

――ま、せいぜい頑張ってね。邪魔はしないでおくから
「ありがとう。一人前になるまで長い付き合いになるかもしれないけど、今後とも宜しく」
――う、うん。えーと……貴方、ノブっていうのよね?
「大崎幸伸。親方は僕をノブって呼ぶ」
――じゃあ、あたしもノブって呼ぶね。そ、その方がほら、言いやすいし……
「親方が二人になったみたいだなあ……」
――不満なの? 半人前のくせにー
「今は確かに半人前さ……
 だけど、いつの日にかきっと親方みたいな――










                          ――オナホール職人になってみせる!」


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以来、少女の霊が姿を見せることはなかったと大崎氏は幾分寂しそうに語った。

  「匠の業を訪ねて」第28回 了                 文責:長井孝介
最終更新:2009年04月16日 22:33