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我が輩は猫である。名前は「トラ」。あれからご主人様は帰って来ない。

「やほぉ~♪猫ちゃ~ん、あそぼ~♪」

そう、ご主人様がいなくなったのはこの先住者様が原因と言っても良い。
臆病なご主人様をからかうように、毎夜の如く音を出したり壁に字を書いたり…。
時には寝ているご主人様の上に乗ってる事もあった。ただ、その時の先住者様の横顔が少し哀しそうに見えたのだが…。

どうでも良いですが、我が輩は真剣に悩んでいるんです。尻尾を握らないでください。前足を持ち上げて踊らせないでください。

「きゃはははっ!猫ちゃんのダンス~♪尻尾フリフリ~♪」

「…ふぅ…。帰って来ない…ね…。猫ちゃん、あたしの事怒ってる?」
「そりゃ…怒るよね…。あたしのせいで猫ちゃんのご主人様、逃げちゃったんだもんね…。」

どうしたんですか。何泣いてるんですか。ご主人様がいなくなったのは寂しいですけど、怒ってませんって。
もし怒っていたら引っ掻きます。必殺の猫パンチもします。我が輩の猫パンチは強力ですよ?どんな虫や鼠だってイチコロなんですから。

泣きたいのは我が輩の方です。何ですか。
毎日毎日、肉球を触るじゃないですか。裏返して腹モフモフするじゃないですか。寝ていたらヒゲ引っ張るじゃないですか。
さっきも踊らせてたじゃないですか。…あれは楽しかったですけど。

「ふぇ…ごめ…ごめんなさぃ…。猫ちゃんに…寂しい思いさせちゃって…ごめんなさ…」

な、泣かないでくださいってば。我が輩が涙を舐めて拭いてあげますから。あまり塩分は摂りたくないですが、今は仕方ありません。

「ぁは…慰めてくれてるの?ありがと…。優しいね、猫ちゃんは…」

優しくするのは英国紳士として当然の事ですから。日本猫ですけど。猫夜会で聞いたんです。

「ねぇ…猫ちゃん、聞いてくれる?あたしの事…。なんで今もここにいるのか…」

はい。聞きますとも。聞きますけど、膝の上に乗らせてください。丸くなってますから身体撫でてください。

「きゃぅっ…膝の上はくすぐったいんだってば!ぁ…丸くなるのね?あったかい…」
「あのね…」

先住者様の話を我が輩はゴロゴロと喉を鳴らしながら、身体を撫でられる心地良さの中、その話をただ聞いていたのである…



あたしはこの部屋に住んでたの。父さんと母さん、2つ上の兄さんと4人暮らしだった。
お世辞にも裕福とは言えなかったけど、毎日楽しかった。
いつも笑ってる母さん。真面目だけが取り柄の父さん。優しい兄さん。家族とっても仲良かったと思う。

でも、ある日母さんに買い物を頼まれたあたしが車にはねられちゃった…。
その後どうなったのかは分からないけど、気がついたらあたしのお葬式してた。何かの間違いだと思った。

でもね…、誰もあたしに気付いてくれないんだ…。誰もあたしの声が聞こえないんだ…。
あぁ、あたし死んじゃったんだ…って思って、家族の所へ行ったらね…普段無口だった父さんが大声で泣いてた。母さんも泣いてた。兄さんまで膝を抱えて部屋の隅で泣いてたんだよ…。
あたしも声を出して泣いたよ。だけど、誰も気付いてくれない…。
「ここにあたしはいるんだよ?気付いてよ!あたしはここだよ!」いくら叫んでも気付いてもらえなかった…。


それから、明るかった家の中は変わったの。父さんと母さんは喧嘩ばっかりするようになった…。

「お前が買い物になんか行かせるからだ!」「なによ!あなたは何も悪くないっていうの?」って…。
兄さんはそんな2人を見てるのが嫌だったのか、いつしか帰らなくなった。
そして、父さんと母さんも離婚してこの部屋から出ていったの…。

あたしがあの日、車に気をつけてたら…。あたしが死んだりしなけりゃ、みんな仲良く暮らせたのに…。

この部屋はあたしの楽しかった思い出なの。ここで待ってたら、また家族仲良く暮らせるかもしれない。
だから…今でもここにいるの…。この部屋は他の誰も住まわせない。だって、あたし達の部屋だもん。

でもね…いつまで待っても、家族は帰って来ない…。寂しくて寂しくて堪らなかった…。
そんな時、あんたとご主人が住むようになったの。あんたのご主人ね…兄さんに似てるんだ。臆病な所とか布団に丸まって震える所とか…ね。
だから、面白くてからかっちゃった…。

時々、寝顔見てたら寂しさが込み上げてきた事もあったけど…。


あーあ、楽しかった。
でも、ごめんね。あんたまで独りぼっちになっちゃったね…。帰ってくると良いね…。
もし帰ってこなかったら…あたしと…



最後の『あたしと…』の後、また姿を消してしまった。どこへ行ったんだろ…。

その時、ドアが開いた。ご主人様が帰って来た!我が輩は尻尾をピンと立てて急いで走り寄った。

え?ご主人様、何て言いました?ここを出てく?

「よ、良かったじゃない!独りぼっちにならなくてすんだじゃない!」
「あ、あんたがいなくったって寂しくないんだからっっ!静かに暮らせるってもんよ!さ…さっさと行きなさいよねっ!」

急に現れたと思ったら、何ですか。振り向いた横顔に、また涙が伝い落ちてるじゃないですか。
ちょっと待っててくださいね。

我が輩はご主人様に一声鳴くと、部屋の中に引き返した。後ろでご主人様が呼んでいたけど。

「ば…ばっかじゃないの?どうして引き返してきたのよっ!どうして…ぇぐっ…」

ご主人様には他に誰かいますけど、先住者様には誰もいないじゃないですか。



今までの御恩は忘れません。ありがとう、ご主人様。
さようなら、ご主人様…。
最終更新:2011年03月01日 22:28