雪女と雪赤子
雪降る深山、背負子に荷を乗せた男が山を登る。人里はなれた場所に小屋があり、男はそこに住んでいるのだ。
猟でとった獲物を金と食料にかえた、その帰路である。
思いのほか高く売れたため、男の懐はずっしり重かった。だが、足取りも重い。換金に予想以上に手間取ったためだ。
あたりはもう、暗い。
山には怪異が住まうと言う。特に冬の山は恐ろしい。
今は亡き祖父にも厳重に戒められていた。
『夜山を登ることはならん、特に冬山は』
男は禁を破った。懐には一介の猟師がもつには相応しくない額の金子があったからだ。
だから、男は夜の雪山を登る。
「もし、そこの御仁」女の声がした。
(すわ、怪異か)男は振り返るまいと懸命に耳をふさいで道を行く。
「御仁、待ちたもれ」女の声が追いかける。そればかりか赤子の声まで聞こえてきた。
「んあぁー、んあぁー」赤子の叫びが悲痛さを醸す。
男は肝の据わった男ではあったものの、憐れみの深い男でもあった。
つい、振り向いていしまう。
「あぁ、ありがたや」女は雪に埋もれかけていた。男は急ぎ、女の雪を払う。
「賊に襲われ、子を抱き逃げたるも力尽き、もはや動くことままならぬ。せめて我が子だけでも救いくださらぬか」
男は女を憐れに思い子を抱きあげた。と、吹雪が唐突に訪れ、視界もままならなくなった。
「我が子をよろしゅぅ…」猛烈な吹雪の音に混じり女の悲しげな声が聞こえた。
男は赤子が凍えるのを防ごうと懐に抱きいれた。
雪に長く埋もれたせいか、その身は想像以上に冷たかった。
泣く赤子をあやすうちに吹雪は次第に落ち着きを取り戻した。
と、不思議なことがおきた。一歩も動かなかったはずなのに女の姿が無い。吹雪に埋もれたのだろうか。
男は少し思案したのち、共倒れしては話にならんと帰路を急いだ。赤子はいつしか眠っている。
男は道を急いだ。ようやく小屋まで数キロというところで異変が生じた。
身が重いのだ。一歩いくたびに、ずしり。二歩進めるとずしり、ずしり。次第にその重さは増していく。
そして10歩目を踏み出そうとしたときにはもう、動くことも出来なかった。
初めは疲れかと思ったが、懐の赤子をみて己の過ちに気がついた。
赤子は目覚めていた。そしてにやにやと嫌な笑みを浮かべている。重かったのはこの赤子だった。
祖父の言葉を思い出した。
『雪山には雪女と雪赤子がでる。会えば、しぬるぞ』
男はじっと赤子を見つめた。そして意を決したかのようにうなずくと雪に座り込んだ。
尻が冷える。男はぐっと赤子を抱え込んで口を開いた。
「お前の母はわしに頼むともうされた。そが怪異なれど母が子を思う気持ちは人と同じ。今更お前を放るわけもいくまいて」
と話し、背負子をおろす。
背負子につんだ荷物から、雪よけになるものを探し、自分と子供を囲む。そうして行灯のか細い火が消えぬように暖を取った。
赤子は不思議そうな顔をして、男を覗き込んでいたが、飽きてきたのか次第に寝息を立て始めた。
雪山の夜が更ける。男は眠るまいと買い込んだ食糧を口にしながら夜を明かした。
暖かい日差しを感じ男は目を覚ました。どうやら力尽きかけていたらしい。
何とか生き延びることができた。懐には赤子がいまだすやすやと寝息を立てている。
そして男はあたりを見回して驚いた。一歩先はがけになっていたのだ。どうやら雪に視界を奪われ道を外したらしい。
男は赤子を抱いて小屋に行き着いた。
と、先客がいた。小屋の中からひゅうっと冷たい風が吹く。
小屋には見目麗しい女性がいた。
「そなたの赤子のおかげで無事たどり着き申した」
「べ、別にあなたのために我が子を預けたわけじゃないんだから。…で、でもお願いを聞き届けてくれて有…難う」
と、頬をそめた。
というわけで、男には×イチで子持ちの嫁が出来たという。
-とってんからりのぷう(了)-
※物語はフィクションです。雪山で雪女に出会ったら、全力で走って逃げましょう。子供を預かったら死にます。
最終更新:2011年03月02日 21:17