ドアをノックし、お伺いを立ててから入る。家主は俺なのに、ちくしょう。
中に入ると相も変わらず有紀はTVを見ていた。
内容を理解してるのかわからないが、表情を変えずにずっと画面を見つめている。
そのまま俺は、テーブルに温めたコンビニ弁当をひろげ、食べ始める。
有紀は食べない。食べないというか食欲というものが無いらしい。
勧めれば食べるが満腹も空腹も感じないらしい、味は感じるらしいが。
睡眠も必要ないらしい。仕事から帰った俺がTVを見ている有紀に尋ねたが
首を傾げ、しばし考えた後興味なさそうに
「そういえばそうね。でも、眠いとも思わないわ。」
と言ったきりだ。おそらく一年起き続けても大丈夫だろう。
彼女にはそういった生命活動に必要な物は意味をなさないのだ。
あれから幾分か歳月が立った。有紀がいる事を除けば大して変わらぬ毎日である。
大家が家賃を取り立てに来た時、その時も有紀はTVを見ていたが
部屋の掃除を言われただけで有紀には何も言わなかった。
しかし新聞の勧誘員にはまいった。
「奥さんの為にもいいでしょ?三ヶ月、三ヶ月だけだから!」
どうやら有紀は見える人と見えない人がいるらしい。
有紀はここにずっといたと言った。俺も最初は見えなかったのだが
どうやらこの部屋で生活している内に、視覚が馴染んだというか
何かを感じ取れるようになったのだろう。だから有紀が見えるのだ。
俺は大家にある事を尋ね、ちょっとした地方新聞を調べた。
そして俺はある結論にたどり着いた。
その結論を有紀に言おうか言わないか迷ってきた。
食べ終わった弁当をくずかごに放り込み、手持ち無沙汰に有紀の方を眺める。
こうして見ると、ごく普通の人間だ。
俺がちょっかい出さない限り四六時中TVを見ているので
電気代の支出が増えたが、それ以外はまともだ。
いや、睡眠も食事も取らないのはまともではないのだが。
視線に気づいたのか、いつのまにか有紀がこちらを見ていた。
「どうかした?」
初対面の時にじっくりと眺めた事もあったが、有紀は美人に入る部類だと思う。
一言でいうなら、柳。長い髪にたおやかな腰とすらっとした足。
昔水墨画を見た時のあの印象。人も通わぬ山奥にひっそりと咲く、花。
そんな事を考えてると柳が眉を逆立てて言った。
「さっきから何ジロジロ眺めてんのよ、変態。
言いたい事あるんなら、ささっと言いなさいよ。」
前言撤回。どうやら柳ではなくこちらに巻きつく蛇蔓のようだ。
言いたい事はあるがいってもいいのやら。まあ、事実は変わらないからいいのか。
俺は決心して有紀に『言いたい事』を言う事にした。
「よし、いうぞ。落ち着いて聞けよ。」
「何急に真剣になってんのよ。」
有紀は呆れた表情で俺を見ている。呆れたいのはこっちの方だ。
こいつ本当に理解していないのか?
「お前―――幽霊だろ?」
有紀はその言葉を聞いて意味がわからなかったのか、しばし呆然として次に
なにコイツ馬鹿?と、手話を習ってない俺でさえ判る露骨な表情を浮かべて言った。
「次にお前は、『何こいつ馬鹿?』と言う。」
「何、あんた馬・・・ぅ・・・。」
自分のセリフをずばり当てられ、有紀は面食らう。
「・・・幽霊って何?あんた何言ってるの?バッカじゃない。」
「では一つ聞くが、何故食事も睡眠も取らないで平気なんだ?」
「んー、私って少食だしね。ごろごろしてばかりだから疲れてないし。」
それでもいつかは取らなければならないだろ・・・
「前に大家さんが来た時あったよな?その時も何も言われなかった。」
「そりゃ契約者だしね、家賃あんたから貰ったし言われる必要ないでしょ。」
賃貸契約は現在俺一人のみなんですが・・・
「いいか、お前に触ろうとするとすり抜ける。これはどう説明するつもりだ?」
「ふふん、あたしも知らなかったけど実は私、超能力者だったのよ!」
すごいでしょ?と言わんばかりに、わざわざ腰に両手をあて胸を張る。
いや、元々胸は無いので張る物も張れないのだが。
こいつの幸せ回路には呆れるばかりだ。RPGのラスボスがコイツなら攻略不可能だ
全国で回収騒ぎになるだろう。しかし、俺にはコイツを倒せる最終兵器がある。
だが俺はそれを使う事に躊躇を覚える。倒す事は出来るが文字通り最終兵器だ。
それによって起こる被害は深刻な物だ。
出来れば、それを使わずにコイツに理解させてやりたい。
複雑な気持ちが顔に出たのだろう、有紀は俺をみて言った。
「変な事言っちゃって、疲れてるのね。ココア飲む?あんた甘いもの好きでしょ?」
俺は生返事を返して、そのまま両手でテーブルに頬杖をついた。
有紀はそのまま冷蔵庫へと向かう。
―――幽霊という者は何かしらの未練を残して死んだ者という。
すべからずこの世は生者のものであり、そのかわり死者の為にあの世があるのだ。
死者はもとあるべきに処に還ったのであり悲しむ必要は無い。
我々が経を読んだり線香を上げるのは、死者をもとの場所に還す手伝いをしているにすぎない。
幼い時、お婆ちゃん子だった俺が坊さんに聞かされた言葉だ。
わんわん泣いていた俺に、つづけて坊さんは諭した。
正しく生を全うすれば、人は皆もとの場所へと還る。
天寿を全うすれば君はお婆さんのもとへと還る。だから悲しむんじゃない、と―――
ガキだった俺は意味がよく分からなかったが、悲しみつづけるのは良くない事はわかった。
善悪の概念はわからないが、死者がこの世に留まり続ける事はきっと
どちらの為にもならない事だと思う。
だから俺は、有紀に真実を告げるべきなのだ。
「お待たせー。はいココア、ぬるくならないにどうぞ。」
相変わらずのほほんとした奴だ、真実を告げようとする時にその表情は辛い。
やはりラスボスだ手ごわい、ちくしょう。難易度高すぎのRPGだ。
だが俺は勝たねばならん、明日の未来の為に!
俺は決心して有紀に言った。
「有紀、見て欲しい物があるんだ。それを見ても動揺しないで欲しい。」
いつに無い真剣な表情に押されたのか、有紀は何も言わず首を縦にふった。
俺はそれを受けて鞄から新聞の切り抜き記事を渡した。
「せんきゅうひゃくはちじゅう・・・ずいぶん古いわね。」
「いいからその先を読んでくれ。」
何よ偉そうに、と言いたそうな態度だったが直ぐに記事に目を通し始めた。
「お、この写真あたしじゃん、モノクロだとかっこ悪いわねー。」
軽口を叩いていたが、読み進めていくうちにその表情が強張る。
記事を読む有紀の身体が震える。やはり、見せなければ良かったのか?
「うそ・・・こんなの、嘘…嘘よ!だって私、現にココに・・・」
「今は西暦何年だ?」
「何年って・・・2006年の六月に決まってるじゃない・・・」
「君が生まれた生年月日は?」
有紀はずっとずっと考えていたが、やっと思い出したのか俺にむかって言った。
「えと・・・196×年・・・」
そこで気がついたのか、はっとした顔をする。
「君の生まれは196×年、今は2006年、つまり君が普通に生きてるのなら
少なくみても30代後半の筈なんだ・・・」
「ほ、ほら・・・あたしすり抜けちゃったりするじゃない?
だから特殊な呼吸法かなんかで年を取らない能力とかも・・・」
ここにおいてもポジティブな奴だ、見習いたいものである。
「いいか、君は今生まれの年を思い出してる。そのまま成長の記憶を思い出してくれ。」
有紀は動揺していたが、俺の言う通りに記憶を辿ろうとした。
永い永い時間に思われた。TV番組の音がなければ時が止まってしまった様に感じた。
やがて、思案していた有紀の目から涙が溢れてきた。
そしてそのまま泣き崩れる。こいつとはそれなりに生活してきたが泣くのは初めて見た。
「出てって・・・」
俺は何か声をかけようとするが聞きそうにもない。
「出てって!この部屋から出てって!」
俺はどうもしようもなく居間を出て廊下へと出た。
閉めたドアの向こうから、有紀の嗚咽が止まらなかった。
何となく散歩し、コンビニで缶コーヒーを買い、アパートに帰って、
居間のドアを開けると、中に有紀がいた。
TVは相変わらずついてるが、それには顔を向けず壁にもたれかかっている。
俺はテーブルにあった記事に目をやる。見せなかった方が良かったのか?
俺は自分のとった行動を後悔した。有紀もテーブルの方へ目を向けていた。
「あたし・・・死んじゃったんだね・・・」
目の先の記事には有紀に関する記事が載っていた。
―――独身OL悲劇、死体で発見される―――
○○アパートの管理人は家賃の徴収の為26日午後、小林 有紀(21)さんの部屋を訪れた。
前もって時間は伝えていたが、応答が無い事を不審に思った管理人は合鍵を使い
部屋で倒れている小林さんを発見した。直に救急車を手配したが心臓は既に停止しており
搬送された病院で死亡が確認された。首に絞められた跡と腹部に刀傷があった。
部屋には荒らされた形跡があり、警察は強盗致傷と見て犯人の行方を追っている。
犯人はこの後、物的証拠によって捕まり刑に服している。
有紀は自分が死んだ事を知らず、この部屋に留まり続けていたのだろう。
大家に問い詰めて過去の事件を探すのはそんなに難しい事ではなかった。
思えば入居の時に好物件はすぐ無くなりますよ、と購入を勧める時に疑えば良かった。
「自分語りって楽しくないかもしれないけど、聞いてくれる?」
ぽつりぽつりと有紀は話し始めた。
学校を卒業した有紀は、実家へ帰らずそのまま会社へ就職したのだという。
たまには実家へと電話してみたり、同僚と休日には遊んでいたという。
その日ものんびりとTVを見ていたのだという。
不意に背後に気配を感じ、振り向くと視界が真っ暗になったという。
その先からは覚えてないという。
彼女のTVを見るという行為は、人生の最後の行動だったのだ。
人生をビデオに例えるならば、我々は常に記憶をテープに刻み続ける。
だが死者である有紀には、記録するものがない。
そのままラストシーンで繰り返し再生し続けているのだ。
彼女はTVを見たくて見てたのではなく、先にへと進めなかったのだ。
「あたし・・・どうすればいいのかな・・・」
彼女は呟いた。
「俺にもよくわからんが、ここに居るのは正しく無いと思う。
人は死んでもとあるべき場所に還るのが正しいのだと。
この世は死者がいるのはふさわしくないのだと。」
「それって、誰の受け売り?」
「俺がガキの時の坊主の言葉だ。」
それを聞いて有紀は自嘲気味に笑う
「そうね、誰だって帰る所は必要ね。私も帰ろうかしら。」
「おう、俺に出来る事があるなら協力するぞ。」
「ありがとう、あたし幽霊なのに親切ね。」
「何、月々の光熱費が減るんだ。誰だって協力するぞ。」
なにそれ、と有紀は笑った。うむ、こいつは泣いてるより笑ってる方がイイ。
まあこれから色々と頑張っていこう。その日は夜が明けるまで話し合った。
―――朝。
・・・目覚ましの音がうるさい。起きなければいけないとわかってはいるが
やはり布団の温もりという物は離しがたい。しばし惰眠をむさぼる事にしよう。
布団の中で横になってるとドアの開く音が聞こえた。
「おーい、朝だぞー。起きた方がいいのではないかい?」
何か声が聞こえるが俺は無視する事にした。
「反応無し、これより攻撃に移る。」
布団の上から衝撃が伝わる。おそらく蹴りだろうがこの布団はそれなりに高価だ。
その程度の衝撃はむしろ心地よい。しばらく断続的な衝撃が来たが、やがて止んだ。
「隊長、目標完全に沈黙しています。ううむ、やむをえん。
最終兵器の使用を許可する。はっ、承知しました。」
一人二役か?芸の細かい野郎だ。だが俺は無視を決め込んだ。
次の瞬間、助走音と共に強烈な衝撃が俺の身体に直撃した。
そして、俺はたまらず跳ね起きた。
「おい、もうちょっと普通の起こし方は無いのか。」
「これが一番効果的な起こし方なのよ。」
そういって有紀は俺を見て笑った。まったく、とんでもない奴だ。
俺はひょっとして知らず知らずの内に、コイツにとり殺されてるんじゃないのか?
そう考える俺に有紀はタオルを渡す。
「はい顔洗って歯磨いてきて。今日は特製スクランブルエッグよ。」
また卵料理失敗しやがったな・・・。そう考えながら俺は洗面所へむかった。
あれから成仏というか、もとの場所へ還す事を試みた。
寺や神社に連絡しようとしたが、有紀は
―――わたし、ミッション系だったしカトリックだし
の一言で拒絶された。俺に最後の審判まで待てってか、ちくしょう。
第一おまえが食事時にお祈りしてるの見た事無いぞ。
「はい弁当持った?ハンカチは?ネクタイ曲がってるわよ?」
「うるさいな毎日毎日、実家の母ちゃんでもそんなにうるさく言わないぞ。」
「あら、生まれでいったら私のほうが年上で、あんた息子みたいな年齢よ。
さんづけで呼んで欲しいくらいだわ。」
それはそうだが、没年でいうと俺の方が年上になるのだが・・・
「結婚は出来なかったけど、息子が出来たらこんな感じだったかしら。
あんたが結婚でもして、孫でも見せてくれないと未練で逝けないかもよ。」
それを聞いて思わず俺は笑った。こんなにおかしいのは久々だ。
そんな俺を有紀はキョトンとした顔で見ている、どうしたの?て感じだ。
「おいおい・・・いいか?弁当作って一緒に飯を食べて休日には二人で遊ぶ。
これは親子というより、恋人か夫婦ではないのかね、ゆーきママ?」
嫌味ったらしく言ったつもりだったが、どうやら別の意味で受け取ったらしく
有紀の顔が朱に染まる。コイツにもそんな感情があるらしい。
「な、何朝から馬鹿な事言ってるのよ!さっさと行っちゃいなさいよ!
遅刻しちゃうわよ!幽霊と夫婦なんて変よ、この変態!」
「それはいい、遅刻して上司に怒られたら、ゆーきママに慰めてもらうか。
なにしろ俺は、変態さんだからな。」
それを聞いて有紀の顔がさらに紅く染まり、口をパクパクさせる。
こいつはいい、まるで金魚みたいだ。
しかしあまりからかうと、右ストレートが飛んでくるからな。
適当にあしらって俺は会社へとむかう事にした。
アパート前で大家と出会う。一人で何やってんだ、て顔だが俺は気にしない。
あれから更に分かった事があった。有紀はあの場所から動けない訳ではないらしい。
いなければならない、という強迫観念はあるらしいが
気持ちを強く持てば他の場所に行けるらしい。
家の中ならそんなに意識せずに動けるようになった。
俺が寝ている間暇らしいので、台所で料理等するようになった。
幽霊が料理とは笑わせる、皿でも数えていた方がまだそれらしい。
今では俺の弁当も作るようになった。作りすぎて一食じゃ収まらないらしい。
いずれ外にでも自由に行ける様になるだろう。
そうしたら、二人で一緒に色んな場所へ行こう。
有紀を還す事は諦めた訳じゃない。
きっといける方法が何かしらあるはずだ。
色んな場所に行けば、きっとその方法が見つかるはずだ。
俺は有紀と一緒にその方法を模索していこうと思う。
「死者の事ばっかり考えるのはおかしいな。」
そう言って俺は苦笑した。ひょっとしたらこれが、とり憑かれてるという奴なのか?
だとしたら―――俺は呟いた。
「とり憑かれるのも悪くない。」
最終更新:2011年03月02日 21:21