子供の頃、たった1度母の田舎に行ったことがある。
祖母の葬儀のためだったのだけれど、僕は祖母を知らなかったし
葬式なんて幼い僕には意味の分からないただの退屈ごとだった。
だから僕はその数日間を1人で遊んで過ごしていた。
ちょっとした探検気分で裏山に登ってみたときのことだ。
僕はそこで、とてもかわいい猫に出会った。
尻尾の先が2つに分かれていて、珍しい猫だなぁ、と思ったことを覚えている。
猫は、しばらく僕を見つめたあとで、「なーぉ」と鳴いた。
それから僕に近づいてきて、僕も猫に近づいた。
頭をなでてみると、少しピクンとしたけれど
すぐに目を細めてのどを鳴らしだした。
僕は、友達ができたのがうれしくて毎日裏山で遊んだ。
ねこは(僕は気が利かないやつで、猫に名前も付けずただねこと呼んでいた)
いつも同じ場所にいて、僕に気がつくとあいさつするように鳴いた。
僕の遊びにねこが付き合ってくれるのがとてもうれしかった。
帰らないといけない時間になると、ねこは「帰れ」とでも言うふうに
ツンとそっぽを向いて鳴いてからさっさとどこかに消えていく。
そのねこの背中に僕は「また明日」と言って帰るのだった。
だけど、そんなに長い間田舎にはいられなくて
母と一緒に東京の家に帰る日がきてしまった。
僕はねこのことが気になって、電車の中でもずっと
ちゃんとお別れができなかったことを後悔していた。
二股尻尾の猫は猫又という一種の妖怪だということを
僕が知って驚くのはしばらくあとのことだった。
それから10年ほどたって、僕は女の子に出会った。
つり目がちな大きい瞳の、とてもかわいい女の子で
髪形はちょっと変わっていて猫の耳みたいに見えた。
僕はついその子に見とれてしまっていたのだけれど
その子は、僕と目が合ったとたん思いっきり睨んできた。
といっても、もとがかわいいからどんなに怖い顔をしても
むしろ微笑ましいくらいなのだけれど
「よくもあんた、あたしから逃げたわね!!
逃げ切れるとでも思ったの!? 絶対に殺してやるから!!」
などと叫ばれて微笑んでいられるほど僕の神経は図太くない。
なにしろそこは往来のど真ん中で、行きかう人々が立ち止まり
突き刺さるような奇異の視線を向けてくる。
このままじゃまずいと思ってなんとか言葉をひねり出した。
「よ、よく分からないんだけど、とにかく、
どこかでさ、お、お茶でも飲んで、ゆっくり話そうよ」
彼女は一瞬、さらに怖い顔になったけれど
一応はおとなしく僕についてきてくれた。
その子はねこだった。猫又だったねこが人間に化けて僕を捜していたのだ。
ねこは僕がどこのだれかなんて知らなかったから
何年も日本中を捜しまわってようやく僕を見つけたらしい。
「あたしが化け物だって知って怖くなったから逃げたんでしょ。
ふん、こうやって捕まえた以上絶対殺してやるから」
「ごめん。そうじゃないんだ。ただあそこには少ししかいられなかったから。
さよならも言わないで急にいなくなったりして、本当にごめん」
「なによ。謝ったって許してなんかあげないんだから。
あたしがどれだけ――っ。
とにかく、もう殺すって決めたんだから、命乞いは無駄よ」
「悪いのは僕だから、許してもらえないのは、仕方ないかもしれないけど
でも、できたらまた、昔みたいに仲良くなれないかな?」
「命乞いは無駄だって言ってるでしょ。大体仲良くってなによ!
あれは別に、あんたがまだチビだったから……、そうよ。
大きくなるまで食べないで生かしておこうと思っただけよ」
「食べる?」
「そうよ。知らないの? 猫又は人間を食べるんだから。
頭から、バリバリ食ってやるからね」
「そんなに小さな口じゃ無理だと思うけど……」
「なっ!? バカにしてんじゃないわよ!!」
しかし困った。もともと僕を食べるつもりだったのなら
彼女の怒りを解いたところでどうしようもない。
「まあ、君みたいなかわいい娘に食べられて死ぬなら悪くないかもね」
交通事故かなんかで死ぬよりはよほどましなはずだ。うん。
「か、かわいいって、だれに向かって言ってんのよ!?」
「君に。猫のときもかわいかったけど、今もすごくかわいいよ」
「なによ、そういうこと言えば殺されないとでも思ってんでしょ」
「いや、そんなことは、多分ない」
「多分?」
「まあ、ほんと言うと死にたくはないわけだからさ。
君のことをかわいいって言ったのは間違いなく本気だよ」
ねこは少し赤くなって、照れているように見えた。
「なによ、あんた、あたしのこと怖くないの?」
死ぬのは怖くてもねこが怖いわけはない。頷く。
「それじゃ、あたしから逃げたわけでもないのね?」
それもさっき言ったとおりだ。頷く。
「そ。ま、あんたみたいな痩せっぽち
食べたって骨ばっかりでおいしくないし」
そこまで言ってから、ねこはそっぽを向いて続けた。
「太るまで、生かしといてやるわ」
そんなことを言っているけど、本当は僕を食べるつもりなんてないんだと
なんとなく分かって、僕はほっとすると同時にうれしかった。
でも、太らないようには気をつけようと思う。
最終更新:2011年03月02日 22:13