ハンターを辞めた男
「……話はよくわかった。だけど、最初に言った通り、俺はもうハンターを辞めたんでね」
それで終わりだ、と、俺は煙草に火を点けた。
煙の向こうでは、気の弱そうな男が正座している。膝の上の拳が、固く握られていた。
最近、不可解な現象に悩まされていると、かつて(ツンデ)霊ハンターだった俺を頼って
きた男だ。
「では、どうしても依頼を受けてはいただけないと?」
その声は震えていた。警察にも、病院にも、既に相談してみたという。彼にとっては、
こんな怪しげな、俺のような商売をしていた人間でも、希望の光だっただろう。
「悪いね」
俺はそいつの顔に煙を吹きかけてやった。言葉より、態度で示したほうが話がはやい。
彼は露骨に顔をしかめ、無言で去っていった。
玄関のドアが閉まる音がした瞬間、男が口を付けなかった、卓袱台の上の湯呑みが宙に
浮き、俺の顔面目がけて飛んできた。
俺はそれを受け止め、卓袱台に置き直す。飛び散ったお茶だけはかわせず、服を濡らした。
息を呑む気配。
「……私が見えるの?」
「まあ、商売柄、ね。見えるようになったんだ」
俺は、女の霊が湯呑みを引っ掴み、投げつける動作を見ていた。殺人的なスピードだった。
キャッチできたのは、偶然に過ぎなかったが。
「用がないならさっさと帰れ。ウチにあんたみたいなのがいると、ちょっとヤバいんだ」
「どうして、私を祓わなかったの?」
「なんだ、祓われたかったのか?珍しい霊もいたもんだな」
「質問に答えて」
「俺には祓う能力なんかないんだ。さっきの話、聞いてただろ」
「嘘」
嘘ではないのだが。祓ってくれるやつがごく身近にいるだけで。その謝礼金で、けっこう
稼いでいた時代もあった。
「どうでもいいけど。あの……あの人、他の人の所へ行くかしら?」
「他の? ああ、霊能者とか? んー、行きそーだなあ。ずいぶん、思いつめてたしな」
「そ、そう……」
女幽霊は不安げに眉をひそめた。気位が高そうなのに、表情を見られることにもう慣れて
いないのだろう、心境がノーガードで顔に表れる。
俺は頭を掻いた。まったく、こんなのがたまにいるから、商売を辞めたんだ。
「あのな、むこうにかまって欲しいのはわかるけどな? さっきの、湯呑み投げるみたいな
ことばっかやってたら、そりゃあダメだろ」
「そ、そんなことしてないわ!」
「…………」
「た、たまにしか」
はあぁ、と俺は盛大に溜息をついた。たまに、でも、霊感のない人間にとっては一大事だ。
その態度で、女幽霊は縮こまってしまった。もとは人間なのだから、憑かれた男の思いは
わかっているだろう。
わかっているのに。
「好きなのか?」
「ば…っ!!」
俺は即座に湯呑みを取り上げた。女幽霊は目標を失い、フライングクロスチョップの体勢で
ずっこける。
んー、この辺の予測能力は、年の功ってやつだ。恨めしげな視線を受け流し、湯飲みを脇に
どける。
その時、玄関のドアが開く音がした。男が戻ってきたのか、と思ったが。
「今帰ったぞ」
とたとたとた、と軽い足取りで俺(たち)のいる居間へとやってくる。
ああ、まずいなこれ。でもどうしようもないや。ここ十年で、ほんとうに諦めがよくなった
と自分で思う。
赤い袴、小学生と見紛う容姿。
その目が、凄絶なほど剣呑な色を帯びて眇められる。
視線の先の女幽霊は、射竦められたかのように動けない。
「ほう。またこんなモノを拾ってきおって」
冷たい声の矛先が自分に向いたのを察し、俺は慌てて手を振った。
「いや、こいつは俺に憑いてるわけじゃないから」
「そうか。では、よかろ。早めに追い出せ」
とたとたと台所へ向かう足音に、怒りが滲んでいるように思えた。彼女にとっては、
生きて
いるものも、死んでいるものも同じと考えているふしがあった。それで何度殺されかけたか
しれない。
今回はやましい所はないんだけどなあ。覚悟だけはしておこう、などと考えていた。
「な、なに、あれ?」
女幽霊は、自らを抱くようにして震えていた。
「あぁ、俺の嫁」
「え? えぇえ!? ロ、ロリ―――」
「ロリコンちがうもん! 法的にロリちがうもん!」
どんなに言い訳したって、近所では変態扱いだ。俺がおかしいんじゃないのに! ふざけんな
幸せ家族め! だから娘さんを俺の目に触れないように背中に隠すのヤメてください!警察に
マークさせるのもヤメてくださいお願いだから!
「あ、あんなのもいるのね……」
「あれで三十過ぎてるんだよ! 信じらんないかもしれないけど!」
「ちがう。あんなのがいるんじゃ、私なんてすぐ消されちゃうわよね」
「あ? ああ、そっちか。しょうがないだろ。どんなにがんばったって、この世との繋がりは
薄いわけだし」
「そうよね……」
ガンッ!! ガンッ!! ガンッ!! ガンッ!! ガンッ!!!
台所から、不必要なほど力を込めて、なにかを包丁でさばく音がしてきた。
「じゃ、じゃ、じゃあ、もういいかなっ? 俺の命にかかわるから」
「そ、そうね。お邪魔したわ。な、仲良くね」
「そっちもな」
女幽霊は寂しげに微笑み、次の瞬間には姿を消した。
俺は最後の紫煙を吐き出し、短くなった煙草を灰皿で揉み消した。
さあて―――言い訳の時間だ。
でも、どっちに?
少し悩んだあと、さっきの男に電話することにした。
最終更新:2011年03月02日 22:37