とっても、潮風は気持ちがいいもんだった。沈んでいく夕日。
 出店で売ってた鯛焼きを無理して食べたからお腹の餡子が少し重い。
 それにしても、海は広い。見てると今年で二十歳になるのに心が弾んでしまう。
 海中では桃色をしたサンゴがゆらゆら手を振っているだろう。
「・・・ここで、良いんだな」
「うん」
 俺は、少女に問う。今まで結構長い間話してきた。
 こいつは、俺がたまたま釣り上げて食った鯛焼きの霊だ。
 正しく言えば、それの化けた姿。名前は麻凛。
 思い返ってみると、鯛焼きを釣り上げて、それを食べて、麻凛が俺の前にに現れて昨日で一年。
 あの日は、お盆だった。魂が戻ってくる日。
 そして、今日は逆。見送らないといけない日。
「・・・」
 どうしてだか、泣けてきた。いや、理由は解ってる。
 俺は麻凛に恋をしているから。今まで一番の恋を。
 叶うはずも無いのに。相手は自分が食べた鯛焼きの化身なのに。
「バカだね・・・それ、私の為に泣いてるの?」
「どうせバカだよ、俺は・・・さぁ、悲しいから早く行ってくれ」
 俺は、ぶっきらぼうに言ってそっぽ向いた。
 これ以上泣き顔を見られたくなかったからだ。
 なんか、重い沈黙。耐え切れずに視線をあちらこちらに動かす。
 それを破ったのは
「・・・ちょっと、こっち向いてくれる?」
「ん?なん―――」
 そこから先は言えなかった。
 口が塞がれていたから。麻凛の柔らかい唇で。

「えっと・・・泣いてる姿に少しだけ胸が痛んだからプレゼントをあげたの。
 あ、ありがたく思いなさいよ!」
「ありがとう・・・記憶の中で大事にする」
「え・・・あ・・うん・・・・・」
 また、重い沈黙。麻凛が海の方へと向いている。
 夕日が、少しずつ沈んでいく彼方を見つめている。とても、綺麗だった。
 俺はその姿を見て、
「・・・あのさ、麻凛」
 後悔しないように、後々まで引っ張らないように、
「ん?」
 自分の気持ちには整理をつけることにした。
「俺、お前の事が好きだったよ。過去形にしてるけど、今もね」
「・・・・・」
 麻凛の顔が、一瞬で暗くなった。ああ、バカな事をした。
 俺は、本当にバカだ。
「・・・じゃあな、麻―――」
「・・・しも・・・」
「え?」
「私も、大好き。本当に、本当に、大好き。
 この一年、一緒に居て、むかついてばかりだった。
 けど、そんな毎日が大好きだった。本当は帰りたくないの!
 でも・・・でも・・・帰らないと、いけないの・・・!!」
 麻凛はそう言って、その場に泣き崩れた。
 肩を震わせて泣くその姿。鯛焼きなんかじゃない。今だけは女の子だ。

 ふと、その時異変に気付いた。気のせいかと思ったが、間違いない。
「麻凛、お前透けてるぞ・・・」
「思ったより、早かった・・・別れの時間が来たみたい」
 無理してるっていうのが解る作った笑顔。涙がうっすらと浮かんでいる。
 目に見える速さで、足から段々と消えていく。
「お願いがあるの。聞いてくれる?」
「もちろん」
「私の事、忘れないで・・・記憶の隅にでもいいから置いていて欲しいの。
 あと、私を釣り上げた日には、必ずこの海に来て私を思って欲しい」
 麻凛はすでに胴体まで消えている。
 このまま掠れていく。このまま消えていく。
 何も出来ない俺に出来ること、それは
「・・・解った」
 願いを聞き入れること。
「ありがとう・・・。そうだ。あんたバカなんだから、ちゃんと食べ物とか気を使いなさいよ」
「解ってるよ。最後の最後までうるさいな」
「な、なんですって!?」
 もう駄目だ。麻凛は既に肩まで消えている。
「・・・・・じゃあな」
「うん。元気でね・・・・・さようなら」
 麻凛は、消えた。目の前で、消えた。
 今まで一年間の思い出と俺を残して、跡形もなく。
「・・・」
 その時、涙は出なかった。ただ、あいつがさっきまで居た場所を見つめていた。
 でも、家に帰ってあいつの居ない部屋を見た瞬間、ダムが決壊したように涙がとめどなく溢れてきた。
 その日は、眠れずに、ただ一日中泣いた。
 それ以来、俺は鯛焼きを見るたびあいつを思い出す。
 これは、俺が鯛焼きの化身あらため一人の少女に恋をした、一番大切なひと夏のほろ苦い恋の思い出だ。
最終更新:2011年03月03日 11:28