アットウィキロゴ
ある日、しこたま飲んで帰ったときのこと。
部屋のドアの前でポケットを探るが鍵がない。
おかしい、店を出る前には確かにあったはずだが……ダメだ、思い出せん。
仕方がないのでその日は近所の友人の部屋に転がり込んで夜を明かすことにした。

翌日、前日の足取りを辿って探してみることにしたが、
はて、俺はどこをどう歩いて帰ってきたのだったか……よほど飲んでいたらしい。
結局、新しく合鍵を作ることにした。

ある日、帰宅すると、ちょうど隣の部屋の住人と出くわした。
特別親しいわけではないが、会えば世間話ぐらいはする。

「ところでこの話聞きました?」

それは、最近このマンションで流れている噂だった。
なんでも、深夜になると玄関のドアを何者かが開けようとするのだという。
当然そんな時間に鍵をかけない者がいるはずもなく、ドアが開かないと知ると、その何者かは立ち去るらしい。
当初は空き巣狙いの仕業かと住人も警戒していたのだが、とある勇敢な住人が
ドアノブをひねる音を聞いて即座にドアを開けて確かめたところ、その場には誰もいなかった。
そんなことが何度か続き、この出来事は真夏の夜の怪奇現象として住人たちの間に広まっていったのだった。

「それでね、不思議なんですが、この幽霊、毎晩一階ずつ確かめてまわっているそうなんです。
 一階の住人がこの幽霊に遭ったのが先週の金曜日。それから一週間経ちましたが……」

この隣人の中では件の事件はすでに幽霊の仕業ということになっているらしかった。
先週の金曜日といえば……ああ、グダグダに飲んで鍵を失くして危うく野宿する羽目になりそうだったあの日か。
もっとも、俺は幽霊なんて信じていない。信じてはいないが、ここでそんなことを言う必要もないか。
……そういえば俺の住んでいる部屋は七階か。


その夜、俺はあまり寝付けないでいた。
いくら信じていないといっても、あんな話を聞いた後では気味が悪い――
今、何か聞こえたような気がしたが……気のせいか?

カチャカチャ
今度は確かに聞こえた。今のはドアノブをひねる音? まさかあの噂は本当に……。
今の音は隣の部屋から聞こえてきた。だとすると次は俺の部屋か。しかしちゃんと鍵はかけてある、大丈夫だ――

カチリ
金属音が夜の静けさの中に響く。

カチャ、ギィー
続いてドアの開く音。若干古めの金属製のドアはよく軋む。

バタン
ドアが閉まった。どういうことだ。鍵はちゃんとかけていた。
いや、それよりもドアが開いて閉まった。ということはどういうことだ?

「!」

危うく漏れそうになる悲鳴をなんとか飲み込んだ。
俺が寝ているベッドのすぐ脇のテーブルになにかが置かれる音がした。
いる。何者か知らないが確かにすぐそばにいる。

この夜を境に俺は幽霊というものの存在を信じるようになった。
朝、目覚めた俺がテーブルの上に見たものは、先週の金曜日に確かに失くしたはずのあの鍵だった。
誰かは知らないが、俺が落とした鍵をわざわざ届けに来てくれたらしい。
なぜそれがわかったのか。それは昨日の晩、ベッドの中で震える俺の耳元で囁く女の声を確かに聞いたからだ。

「もう失くしちゃだめよ」
最終更新:2011年03月03日 20:43