夕暮れの学校の図書室で、ぼくは先日死んだはずの先輩に会った。
「今、暇か?ちょっと頼みたいことがあってな」
「なんですか」
「ラブレターの代筆をしてもらいたいんだ。現国は得意だったな?」
「そういうのは自分で書いたほうが」
「私はもうペンは持てないみたいなんだ」
そう言って先輩はぼくの筆記用具に手を伸ばす。その指先が物体をすり抜けるのが見えた。
「ああ、本当に死んじゃったんですね」
「もう少し驚くものじゃないか?」
「なんていうんですかね。ぼくがいる世界には先輩が必ずいたわけで。いきなりもういない
なんて言われても実感湧かないですよ。幽霊になって話してる、そのほうが自然です」
本心だった。何かふわふわしていた思いが、霊となった先輩が現れたことで、ストン、と
どこかに落ち着いた気分だった。
「そうか。さすが文系だな。私はまだ自分の存在に関して納得できる仮説が思いつかない」
先輩は物を見るということや、考えることの原理について語った。ぼくはその話の半分は
当たり前だと思ったし、残り半分は理解できなかった。さらに人類以外の知的生命体へと
話は発展し、さらに……
「それでだ、観測できない質量に対する説明ができるんじゃないかと思うんだ」
「……先輩。用件は何でしたっけ」
「ん?書けたか?」
「い、いえ」
「仕事が遅いな。並列処理は苦手か?こう、もう一人くらい頭の中にいるつもりで」
「無理です」
「では早く取りかかれ」
「どんな感じで」
「本当に好きなのだ、と伝われば良い。決してからかっているわけではないのだと」
「今まで面白がってオモチャにしてた人へですね?」
「そ、そんなつもりはなかったのだが…多分、そう思われている」
ぼくは先輩の意向を取り入れ、文面を練った。先輩が口にする言葉は素っ気なさすぎて、
そのままでは正確に意志が伝わらないように思えた。
「……こんな感じですかね」
「おまえはどう思う?」
「いいんじゃないですか」
「なげやりだな。よし、これは没だ。おまえの言葉で書き直せ。熱い魂を手紙にぶつけろ」
「ダメ出しですか。理系のくせに根性論ですか」
「黙ってやり直せ」
「恥ずかしいですよ。喋れるんなら直接言ったほうがいいんじゃないですか?」
「それはもうやってみた」
「それで?」
「……忙しいから後で。という答えだった」
「先輩でも、そんな扱いされることあるんですね。しかしヒドいですねえ」
「……全くだな……!」
先輩にとってはよほど屈辱だったのだろう、凄まじい怒りと苛立ちがこめられていた。
ぼくはしかたなく、好きな子に告白するならばこう書くだろう、というラブレターを書き
あげた。
「今度はどうですか」
「――うん。いいね」
先輩は文面を見ながら何度も頷いていた。
「過程はどうあれ、これは私のラブレターだ。それを忘れるな」
それが先輩の最後の言葉だった。
「先輩?」
ぼくの声に反応する姿はすでになく、虚しく一人きりの図書室に響いた。
「先輩?」
ぼくの手には精一杯の想いをこめた用紙が一枚。
「先輩?まだ宛名を聞いてないですよ?」
それから。
同じ学校の生徒が死亡という話題も風化したころ。
ふと思い出したことがある。
生徒会に入ったばかりで、ぼくは毎日雑用をさせられていた。
先輩のこともよく知らなかった。
(――つきあってくれないか)
そう先輩に言われた。そのときはまた雑用かと思ったし、高圧的な態度が癇に障った。
そして間違いなく忙しかった。
だからぼくは。
(忙しいから後で)
先輩のことを考えるとき、いちばん最初に思い浮かぶのは宛名のない手紙。
それはまだぼくの手元にある。
最終更新:2011年03月03日 21:12