気が付くと、そこにはいつもの風景。
もう見納めだと思っていたいつもの風景。
「この世に未練なんて…無いと思ってたんだけどな…」
私は死んだ。それははっきりと解る。これからどうしようか?
…とりあえず、適当に歩き回ってみようかな…
やはり私は、人からは見えないようだ。
今の時間は通勤や通学でかなり人が多い。
その人の流れに逆らう私を、誰一人避けようとしないのだ。
もっとも、すり抜けるから避けなくてもいいのだが。
その人ごみの中で、ベンチに座っている男の子に目がとまった。
私はなぜだかすぐに理解した。この子も私と同じだと言う事を。
どうやらあちらも私に気付いているようだ。
「おはようございます。あなた、成りたての方ですね?」
…少し、戸惑った。いきなり話し掛けられた事もあるが、それよりも
見た目に似つかわしくないそのしっかりした話し方に。
「…何故、私が成りたてだと?」
ついついこちらの口調もそれ相応になる。
「以前お見受けした時はまだ
生きておられたようなので。」
確かにこの道は私も通学路として利用していた。
この時間にここにいるなら私を見ていても不思議は無い。
「…おっと、口調についてはお気になさらず。ぼくは見た目よりも高齢ですので」
その言葉が意味する事は、すぐに解った。
「…失礼かもしれませんが、どのくらい…?」
「30年…になりますかね。正に未練がましい、というやつですか」
彼はそう言うと、少し笑って見せた。
未練。その言葉を聞いて、私はどうしても言いたくなった。
「私、どうしてまだここに居るんでしょうか?未練なんか、無い筈なのに…」
この年で未練が無い、なんて言ってしまえば、彼はすぐに気付くだろう。
そう、私は、自分で…
「…それは、あなたが自分で探すしかありません。ただ、これだけは知っておいて下さい。
未練が無い人など、存在しません。たとえどんなに満たされた人生を送ったとしても、
です。人間っていうのは中々欲深い生き物ですからね。それに、
もし欲の無い人が居たとしても…よく言いますよね?人は独りでは生きられないと。
それが未練になります。他者との繋がり…それが良い繋がりにしろ、悪い繋がりにしろ、
心に残るものなのです」
私は、何も言えなかった。
だから、苦し紛れに一つ、質問をした。
「あなたの未練は何なんですか?」と。
彼は、少し困った顔をした。少し間をおいて、答えた。
「…もっと、生きていたかったんです」と。
…ここから今すぐ逃げ出したくなった。
しかしそれは叶わなかった。足が、いや、身動き一つできない。
私はどうしてあんなことをしてしまったのだろう。
生きていたいなんて、当たり前のことではないか。
他者との関わりから目を逸らし、生きていたいという最低限の望みすら無視し、
何もかもから自分を騙して、私は私を殺してしまった。
「…後悔しているのですね?」
私は頷く。
「それが解れば、まずは一歩前進です。なに、あせらなくても
時間はいくらでもありますよ。なんたって30年目のぼくが言うんですから」
「そうですね。…色々と、有難うございました。
まだ、何が未練なのかはっきりとは解らないけど…絶対に、見つけ出して見せますから」
「ええ、頑張ってください。それでは、またいつか」
「はい」
最終更新:2011年03月04日 10:41