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ああ、こりゃあ極めつけだ。

バックミラーに映る客の姿を見た瞬間、背筋の震えとともに「それ」を知覚した。
なんの特徴も無い平凡なサラリーマンの背後に、緑色のカットソーを着た女の姿が見える。
俺のように「見える」人間がタクシーの運転手なんかをやってると、頻繁にこういうモノを見かける。

つまり、まあ、幽霊ってやつをだ

わけてもこの女は酷い。
どんな思いで死んだのかは知らないが、手を伸ばせば触れることが出来そうな妄執や恨みの念が、
この手の存在に慣れているはずの俺にも鳥肌を立たせた。
そんなことにも気付かないまま、背中にべったり幽霊を張り付かせた男は
「じゃあ運転手さん、××町の綾瀬物産まで」などと指示を出す。
「はい、わかりました」必死でそれだけを言い、ガチガチに強張った指をほぐしてハンドルを
握りなおす。事故でも起こして緑色女と同じ存在になるのはまっぴら御免だ。

結局その男は、背後霊付きのまま平然と大きなオフィスビルへと入っていった。
車から降りる際に女がこちらを一瞥したのが気になったが、これで最後ならなんの文句も無い。

あくまでも「最後なら」だ。


俺が再びタクシーにその女幽霊を乗せたのは、その数日後のことだった。
今度はキャリアウーマン風の中年女性の背後にぴったりと寄り添っている。
どうやらこの女、張り付いていた相手に恨みがあるわけではないらしい。
そのことに気付いたのは、客の女性が「綾瀬物産までお願いね」と言ったからだ。
以前、このタクシー乗り場で幽霊女を背負っていた男も同じ社名を告げたはずだ。

「……はい、わかりました」

その会社か、あるいは会社の人間に恨みがあるのか。
誰かに張り付いていかないと、そこへ移動できないのだろうか。
思いをめぐらせていると、バックミラー越しの視線がその幽霊とモロにぶつかった。
こちらの首筋を刺すような怨念の放射は相変わらずだ。
余計な詮索をするな、と言われているようなその視線に閉口して前だけを見るようにする。

「着きました」

料金を受け取ってすぐさまドアを開ける。
生きた女と死んだ女が同時に車を出て、眩しい陽射しの中を高層ビルに向かって歩いていく。
その姿をぼんやり眺めながら、なんとなくやるせない気分になった。


それから約二ヶ月半の間に、都合八回その幽霊を乗せる機会があった。
いずれの場合も例の会社へ向かう客の背後に付き添って。
当初の恐怖は少し薄れて、運転中にその幽霊を観察する余裕さえ生まれた。
服装はいつも同じ淡い緑のカットソーに、上品なタックスカート。
ゆるくウェーブのかかった髪はセミロングで整えられ、さながらどこぞのお嬢様のような風貌だ。
二十歳を少し過ぎたように見えるその幽霊は、世間一般の美醜感覚で言えばかなりの美人ではあった。
……恨みがましい目つきが大きくマイナスではあったが。

「……なんの恨みがあるんだろうな」

会社の休憩室で、まずいコーヒーをすすりながら呟いた。
さすがにあれだけの回数幽霊を乗せれば、多少なりとも気になる。
最近では、TVや新聞に綾瀬物産絡みのニュースが無いかどうか注意しているほどだ。
今のところは怪死や変死のニュースは無いようだが。そもそもその死に事件性が無ければ
単なる急性心不全で処理されるだろう。考えて気を揉むだけ無駄なのかもしれない。

「さーて、お仕事お仕事、と」

紙コップを握り潰してダストボックスに放り込み、タクシーに乗り込む。
死んだ人間のことをアレコレ気にするより、自分のこれからでも考えるべきだろう。
三十になる前には転職するつもりで、資格の勉強しながら金を溜めている現状。
余計なことを考えている暇など有りはしない。


それからというもの、幽霊女のおまけが付いた客を乗せる機会は無かった。
あの女が何者なのかは知らないし、あの会社との関わりも勿論分からない。

……だから俺が知っていることは二つだけ。

最後にあの幽霊を見た日から十日ほど後、例のビルで飛び降り自殺があったこと。
飛び降りたのは、綾瀬物産の常務取締役を務めていた人物だということ。
それだけだ。
新聞記事は、その常務が三ヶ月程前からノイローゼ気味だったと報じていた。
丁度、俺が初めてあの幽霊女を乗せた頃と綺麗に合致する。
それが偶然なのかどうか、俺に判断する材料は与えられていない。

――ただ、今日俺は見てしまったのだ

深夜、帰社する際に通りすがった綾瀬物産のビルの前。
無人のビルを睨んでけたたましく笑いながら涙を流す女。
愕然として車を止め、まじまじと凝視する俺にも気付かない様子で笑い続ける女。
狂気じみた姿はやはり他の誰の目にも映らないようで、学生らしい集団が何事も
無いように語らいながらその傍らを通過していくのは、一種の悪夢のように
異様でもの哀しい光景だった。


「………ふぁぁあ…」

欠伸と共に、憂鬱な気分を吐き出す。昨夜見た光景がどうしても脳裏を離れない。
幽霊女は、あれで成仏できるのだろうか。もう怒りも悲しみも存在しないのだろうか。
ぼおっとした頭で、本日何度目かのタクシー乗り場へ向かう。
深夜0時も近くなり人影もまばらな乗降口を見た瞬間、思わず息を呑んだ。

あの女がいる。
服装や容姿はそのままに、だが険のとれた表情はいっそ儚げで。
所在なげなその姿は、親とはぐれた迷子のように頼りなく見える。
どこに行きたいのだろうか。あるいは自分がどこに行きたいかもわかっていないのか。
ゆっくりとした速度で近づきながら、俺は一つの決心を固めた。
幽霊に、自分の意思で話しかけるのは初めてだな、と思いながら――

「――お客さん、どちらまで行かれます?」

ああ、言ってしまった。
傍から見れば何も無い空間に話しかけながらドアを開けている、
おかしな運転手にしか見えないだろう。まあ、確かにそれが真実でもあるのだが。
まんまるに目を見開いた女は、開かれた後部座席のドアを凝視している。

「……乗らないんですか?」

静かな声で促すと、幽霊女は慌てて後部に乗り込み、こちらが問いかけるより早く
「家まで」と呟いた。恥ずかしそうに俯いているその姿を見て、思わず吹き出しそう
になるのを懸命にこらえる。

――ああ、これは傑作だ。まるでよくある怪談のようだ。

きっと指示通りに家に送ると、お金を取りに降りた女がいつまでたっても
車に戻ってこなくて、しびれを切らせて玄関のチャイムを鳴らせば、出てきた家人に
「娘はもう死んでます」と言われるのだろう。
どうせ踏み倒されることが確定しているのなら、遠回りしながら幽霊とドライブも
悪くないかもしれない。
益体も無い話題を次々と投げかけて、鬱陶しいくらいにフレンドリーに振舞ってやろうか?
身を縮めるように後部座席に座る女幽霊に微笑みをひとつ投げかけて、
俺はゆっくりとアクセルを踏み込んだ。

~おしまい~
最終更新:2011年03月04日 17:11