1
やわらかな風が渡る
校舎の屋上から見える 緑の木々を優しく撫でながら
穏やかな
穏やかな 昼下がり
落下防止の鉄柵を背もたれにして座り
まるで眠っているかのような彼女
彼女とふたりきり
幽霊でも眠るのだろうか?
俺は退屈な午後の授業にサボタージュを決め込みながら
彼女を見てそう思った
2
高校3年の春。
「屋上のカギを手に入れた」
きっかけは悪友のそのひと言だった。
もう長いあいだ放置されっぱなしの屋上の、その鍵を職員室から盗んで来たと言う。
それで悪友とふたり、屋上に弁当を食いに行ったのだが。
(あ……)
そこに居たのは鉄柵に手をかけ、遠くの景色を眺めている制服姿の女の子。
彼女はハッとしたように俺たちのほうを振り向き。
そして少し迷惑そうな顔をして風に溶け消えてしまった。
(……?……幽霊?)
綺麗な長い黒髪の、とても可愛い子だった気がする。
呆ける俺の横で、しかし友人は「まだ寒い」だの「けっこう広い」だの言いつつ弁当を広げ始めていた。
気づいてない?
見えていない?
ならばひとりで騒ぐのも馬鹿らしい。
そう思った俺はなにも見なかったことにした。
それからと言うもの。
屋上で昼食を取ることは俺と友人の日課となった。
3
次の日。
また彼女は屋上から遠くを眺めていた。
今度は俺も驚かない。
居るような予感はしていたから。
でもまた昨日と同じ。
俺たちが屋上に入ると、彼女は迷惑そうな顔で消えていった。
やはり友人には見えていないみたいだ。
だから俺も何も言わない。
気づかないフリ。
不思議と恐怖は感じなかった。
やっぱり昼間でも幽霊って出るんだな、ってくらい。
それよりも。
彼女の居場所に勝手にお邪魔してしまったようで、なんだか申し訳ない気持ちのほうが大きかった。
4
3日目。
『また来た…』
俺たちのほうを向いて、げんなりとした顔で彼女がそう呟くのを確かに聴いた。
初めて聴く、彼女の声。
耳で聴くのではなく、直接頭に響くような澄んだ声。
でも友人には聴こえない。
いつもと同じように弁当を食べ始める。
だから俺も、なにも聴こえないフリ。
友人はよく喋る。
大袈裟に身振り手振りを交えて、よく喋る。
俺はそれに相づちを打ったり笑ったり。
コイツは話し上手、俺は聞き上手。
その日、彼女は消えなかった。
諦めたような顔で、鉄柵に持たれかかってこちらを見て。
そして友人の話を聞いているのだ。
俺はなんだか嬉しかった。
5
ひと月もする頃。
毎日のように訪れる来客に、彼女は嫌な顔をしなくなっていた。
いや、それどころか。
俺たちが屋上のドアを開けるとパァっと笑顔を見せて。
そして弁当を広げる俺と友人の横にチョコンと座るのだ。
相変わらず友人はよく喋る。
俺は相づちを打って笑う。
その横で。
彼女も俺と同じように友人の話を興味深げに聞いているのだ。
話に驚いたり笑ったり小首をかしげてみたり。
コロコロと表情を変える彼女はクラスの女子たちと何も変わらなくて。
それが俺にはとても愛しく思えた。
6
もうすぐ梅雨。
いつの間にか屋上での昼食が楽しみになっている自分がいる。
彼女に声をかけてみようか?
でもそんなことをしたら消えてしまいそうな気がする。
もう会えないような気がする。
だから俺は気づかないフリ。
今日は事件?が起きた。
いつものように弁当を食べ終わって寝っ転がる友人の、その投げ出した脚が彼女の脚とぶつかってしまったのだ。
いや。
確実に当たるはずだった脚と脚は互いにスリ抜けてしまい。
彼女の姿が見えない友人は、当然そのことには気づかない。
そして何事もなかったように寝っ転がった。
彼女は脚が重なっている部分を見て少し悲しそうに笑う。
重なっても、交わらない脚。
交わっても、重ならない脚。
それを見ていた俺は彼女の存在の希薄さを感じさせられて。
なんだか言い様のない焦燥感に襲われた。
7
そんなある日。
俺はおもしろいことに気づいてしまった。
いつもの友人の話に彼女は ウンウン と頷き、可笑しな話には クスクス と笑う。
そんなときの彼女はとても優しい目をしていた。
俺は普段あまり喋らないぶん、こういうことには鋭いほうだった。
つまり。
彼女は友人のことが好きなのだ。
まぁ無理もない。
コイツは凄くイイ奴だから。
それなのになぜだろう?
少しだけ、胸がチクンと痛む気がした。
そこに答えがあるような気がして、彼女の横顔を観察する。
しかしあまりにジロジロと見ていたせいか、彼女が急に俺のほうを振り向いた。
それで思いきり目が合ってしまったのだ。
俺は慌てて目を逸らす。
マズい。
視界の隅で、彼女がこちらを見て不思議そうに首をかしげているのが分かった。
8
俺の気づかないフリがバレてしまったかも知れない。
顔が上げられない。
彼女の視線が体に突き刺さるのを感じながらうつ向いて。
その仕草や声を反芻してみた。
あぁ、そういうことか。
焦燥感の正体が分かった気がする。
胸の痛みの正体が分かった気がする。
なんのことはない。
彼女が友人に恋をしているように。
俺も彼女が好きなのだ。
それにやっと気づいただけのことだった。
やっと?
なにが『やっと』だ、意気地なしめ。
もうとっくに気づいていたことじゃないか。
自分の気持ちに気づかないフリをしていただけじゃないか。
ため息をついて顔を上げると。
彼女はまた友人の話に聞き入っていた。
とても優しい目をして。
そんな日だまりの昼下がり。
最終更新:2011年03月05日 22:09